2013年11月18日月曜日

人の子よ、あなたの同胞に言いなさい。正しい人の正しさも、彼が背くときには、自分を救うことができない。また悪人の悪も、彼がその悪から立ち帰るときには、自分をつまずかせることはない。正しい人でも、過ちを犯すときには、その正しさによって生きることはできない。

エゼキエル書33:12


なにかいいことをしたらもっと自分は救われてるような気分になりませんか?ここには、どんなに正しいことをしていても背くときには自分の正しさは自分を救うことができないとはっきりと書かれています。ではだれがわたしを救うことができるのでしょう?それはわたしたちの罪のために十字架にかけられ死なれたイエス様です。神様に立ち帰り、救いという贈り物を受け入れましょう。

2013年11月3日日曜日

福音への免疫 1

これはダニエル・ペル先生のImmune to the Gospel を訳したものです。

(お祈り)父なる神様、あなたに感謝します。わたしたちを真理に導いてくださるとあなたが約束してくださった聖霊に感謝します。今このとき、わたしたちの心と思いが聖霊で満たされますように、あなたがわたしたち一人ひとりの心に語りかけてくださいますように、またわたしたちがあなたの声を聞きわけることができるようにお願いします。これらのことをイエス様の尊い、全能の御名によってお祈りします。 アーメン

聖書のヨハネによる福音書を開いてください。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、福音書の4冊目であるヨハネによる福音書1章です。今朝のトピックはなんでしたか?「福音に対する免疫」ですね。みなさんは今、インパクト(衝撃)というミーティングに参加しています。インパクトスカンジナビアです(スカンジナビアで行われました)。みなさんが周りの人になにか衝撃を与えたいという思いをもってこのミーティングに参加したと、わたしは理解しています。友達、家族、同僚に衝撃を与えたい。キリストの大使、代表者になりたいという思いがあるでしょう。しかし、わたしたちが周りに衝撃を与えるには、まずわたしたち自身が衝撃を受けていなければいけません。アーメン(そうですよね)?今朝は、わたしたちがどのようにしたら福音による衝撃をただ一度ではなく、二度でもなく、毎日毎日受けられるか学びたいと思います。イエス様の福音の衝撃を毎日、そして絶えず受け続ける。もし今朝あなたが心を開くならば、あなたは衝撃を受けなければならないことに気付くでしょう。もしかすると、あなたはだれも知らないところで苦しんでいるかもしれません。しかし心の奥深くで、イエス様ともっと近くで歩みたいと願っているかもしれません。周りの人になにか影響を及ぼしたいのなら、自分自身がまず聖書によって強い衝撃を受けなくてはなりません。

この衝撃を3つの側面から見ていきたいと思います。1つ目は、一番初めに受ける衝撃、イエス様に初めて出会ったときの衝撃です。2つ目は、初めに受けた衝撃をわたしたちがいかに簡単に無くしてしまうかです。そして3つ目は、その無くしてしまった衝撃をどのようにして再び取り戻すかです。

イエス様に初めて出会う時、それは初恋のようで、愛のエネルギーに満ちています。しかし多くの場合、クリスチャン生活をしている間にそれを無くしてしまうのです。いつの間にか、わたしたちは福音に対して免疫をつけてしまうのです。よって、福音の衝撃を受けなくなるのです。今朝は、わたしたちが初めに受けた愛の衝撃、それを途中で無くしてしまったこと、そしてどうすればそれを再び受け続けられるか、という3つのステップを見ていきます。

「いつやるか?今でしょ」

「今日は無理。明日にしよう。」

そう言って宿題や勉強を後回しにした経験は、誰にでもあるのではないでしょうか?僕もしょっちゅうそんな感じです。そして翌日、後悔するのです。「ほんの少しだけでも昨日のうちにやっておけばよかったなぁ…」と、悲嘆にくれるのです。

かの予備校講師はこう仰いました。
「いつやるか?今でしょ」
そうです。今やるしかないのです。後でいくら頑張ったところで、今から頑張ったものには敵わないのです。

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
コヘレトの言葉12:1

「今は大学で一杯いっぱいだから、就職したら教会に戻ろう。」
「今は忙しいから、いつか暇がある時に聖書を読もう。」
「今は人付き合いで酒を飲まないといけないけど、いずれはやめよう。」

果たして、就職したら一杯いっぱいではなくなるのでしょか?いつか暇がある時なんて来るのでしょうか?いずれ人付き合いはなくなるのでしょうか?

神様を後回しにしてはいけません。今日の自分がしていないことを、明日の自分がする保証なんてどこにも無いからです。神様が必要なのは、来るかも知れぬ未来のあなたではなく、今のあなたです。今こそ、あなたが神様に心を留めるときなのです。

「いつやるか?今でしょ」