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2012年5月10日木曜日

ダニエル書 -全体の流れとあらすじ

ダニエル書 -全体の流れとあらすじ
1.ダニエル書は聖書の中で一番長い予言が書かれています。
2.ダニエル書9章には、メシア、救い主がいつ地球に来るかはっきり書かれています。
3.イエス様はダニエル書を勉強して理解するようにと弟子たちに教えていました。
4.ヨハネの黙示録を知るには、ダニエル書を理解する必要があります。
5.ダニエル書は、聖書の中で唯一封印されていた予言の本です。しかし、今はもうその封印がとかれて、誰でも聖霊と共に聖書を真剣に勉強すれば、理解する事が出来ます。
ダニエル書は12章あり、前半と後半に分かれています。1章から6章はお話です。7章から12章までは予言です。もちろん、ところどころに予言とか話が混ざっていますが、大体は前半と後半に分かれています。
ダニエル書には六つのお話と三つの予言が書かれています。
六つのお話
1章      - イスラエルの人たちがバビロンに占領される。
2章      - 未来を示す銅像の夢
3章      - 燃える炉
4章      - ネブカデネザル王が天の神様を認める
5章      - 壁に書かれるメッセージ
6章      - ダニエルとライオンの洞穴
三つの予言と説明
2章 - 予言と説明
7章      - 予言と説明
8章      - 予言と説明
9章から12章 - 8章の予言の詳しい説明
ダニエル書は1章から2章4節まではヘブライ語で書かれています。2章4節から7章の終わりまでアラム語で書かれています。8章から12章までは再びヘブライ語で書かれています。
                面白い事に、ダニエル書は同じようなテーマが最低で2回繰り返されています。たとえば2章と7章、3章と6章、4章と5章、大体同じようなテーマです。同じように1章と12章、8章と11章、9章と10章も大体同じようなテーマです。
Chiasm Structure) 交叉
アラム語の交叉
2章と7章 -神様がこの世の中を納めています。神様は歴史の流れをすべてお見通しです。
3章と6章 -神様を認めそして忠実に神様を従う結果。
4章と5章 -プライドを持ちすぎる結果。神様のお力を退ける結果。
Chiasm Structure 交叉
ヘブライ語の交叉
1章と12章 -バビロンが強くなり始め、ミカエルが立ち上がる。
8章と11章 -予言されている王国と神様の民の歴史的流れと関係。
9章と10章 -神様は心がこもっている必死なお祈りに対応する為に天使たちを私たちのもとへ送ります。

ダニエル書はどうやって、神様の王国が築き上げられるか説明しようとしているのです。そして、どういう人たちが神の王国の民になるのかを説明しているのです。本当に心から神様の事を従う人たちを心から神様の事を従ってない偽者の人たちから分ける方法も説明されています。
イエス様はダニエルを信頼できる預言者として認めていました。そして、ダニエル書に描かれてる予言を正確で信頼できる予言として扱っていました。(マタイ24章15節)ですから、そのイエス様がぜひ勉強して理解してくださいと言っていた本を共に勉強しましょう。



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ダニエル書って何?

 ダニエル書はダニエルという予言者によって書かれた本です。英語では、ダニエル書や予言についての記事や本が沢山あります。しかし日本語では、あまりダニエル書や予言についての記事や本がなかったので、ダニエル書シリーズを書き始める事にしました。ダニエル書には合計12章あります。一章ずつ、分かりやすく説明する為に2012年の3月から記事を書き始めました。

 ダニエル書では、神様がものすごく貴重な情報を終わりの時代に住んでいる人たちのために預言者ダニエルを通して書かれた本です。私たちが書いた記事を通してもっと聖書や予言を学ぶ助けになればうれしいです。しかし、我々が一番に望んでいることは、あなたがイエス・キリストという人類の救い主を心から受け入れ、愛と希望と喜びで満ちた人生を一日も早く生きる事です。忙しい中だとは思いますが、ぜひダニエル書を読み、勉強してみてください。

**今のところは、9章についての記事まで書きました。10-12章はもっと分かりやすく書く為に研究中です。それまで楽しみにしていてください。

05/10/2012


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2012年5月7日月曜日

ダニエル書9章ー後半

あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。”
ダニエル書9章24-27節

24節
-「とがを終わらせ、罪に終わりを告げ,不義をあがない、永遠の義をもたらし」というのは、8章14節の「聖所は清められてその正しい状態に復する」ことを言っています。
-「幻と預言者を封じ」というのは、ステパノが石で打たれる事を表しています。ステパノはイエス様が父なる神様の右側に立っている幻を見ました。しかし、人々は怒り狂ってステパノを殺してしまいました。その結果、「幻と預言者を封じ」るという予言が成就したのです。ステパノについては新約聖書の使徒行伝に書かれていますので読んでみて下さい。

“人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、 彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
使徒行伝7章54-60節

-「いと聖なる者に油を注ぐ」と言うのは、イエス様がバプテスマを受けた時に天から聖霊が注がれる(ルカによる福音書3章21,22節)事を予言していました。

25節
-「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。」メシヤとは、救い主イエス様のことです。要するに、エルサレムを建て直せとの命令が出てから69週間後=483年後(予言では1日=1年)にイエス様が現れると予言されていたのです。ではいつ、誰がエルサレムに神殿を建て直せと命令したのでしょうか?

“諸王の王アルタシャスタ、天の神の律法の学者である祭司エズラに送る。今、わたしは命を下す。わが国のうちにいるイスラエルの民およびその祭司、レビびとのうち、すべてエルサレムへ行こうと望む者は皆、あなたと共に行くことができる。あなたは、自分の手にあるあなたの神の律法に照して、ユダとエルサレムの事情を調べるために、王および七人の議官によってつかわされるのである。かつあなたは王およびその議官らが、エルサレムにいますイスラエルの神に真心からささげる銀と金を携え、またバビロン全州であなたが獲るすべての金銀、および民と祭司とが、エルサレムにあるその神の宮のために、真心からささげた供え物を携えて行く。”
エズラ記7章12-16節

 エズラ記によりますと、アルタシャスタ王がエズラを通してイスラエルの人たちに神殿を建て直すようにと命じました。エズラ記7章7節では、「アルタシャスタ王の7年」目と書いてあります。歴史を調べてみますと、アルタシャスタ王の7年目と言うのは457B.C.です。457B.C.から69週間(483年)というのは、ちょうど27A.D.です。ルカによる福音書3章によりますと皇帝テベリオ在位の第十五年目に、イエス様はバプテスマを受けました。皇帝テベリオ在位の十五年目を、他の資料で調べるとちょうど27A.D.になります。要するに、ダニエル書9章25節で、イエス様がいつバプテスマを受けるかが正確に予言されていたのです。前にも言いましたが、ダニエル書はだいたい500B.C.から600B.C.頃に書かれています。ですから、イエス様のバプテスマは最低でも500年以上も前に予言されていたのです。人間にできることではありません。

26節
-「その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう」というのは、62週の直後、という正確な時間ではなく、ここでは62週の後のいつかと言う意味です。メシヤが断たれる、要するにイエス様が死なれる正確な時は27節に予言されています。
-「ただし自分のためにではありません」というのは、メシヤが他の人たちのために死んだという意味です。
-「またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう」というのは、エルサレムと神殿が70A.D.にローマによって滅ぼされることを予言しています。
-「洪水のように臨む」というのは、もとの言語では、「ものすごく大変な時期」という意味で書かれています。
-「そしてその終わりまで戦争が続き、荒廃は定められています」というのは、エルサレムがとことん荒れ果てるまで戦争は続くと言う意味です。

 ダニエル書9章26節を大きく分けると二つの予言があります。一つ目は、62週の後、メシヤ(イエス様)が他の人たちのために死ぬということです。二つ目は、エルサレムと神殿が滅ぼされるときは洪水のように大変な時期で、エルサレムと神殿が徹底的に荒らされるまで、ローマ国は戦争を続けるということです。

27節
 27節の予言はびっくりです。イエス様(メシヤ)が地球へ来る500年以上も前に、正確に、十字架で死ぬ年が予言されていたのです。もうすでに69週間の予言は説明したので、27節に出てくる70週目の1週間の予言を説明します。
-「彼は一週間の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」彼というのはイエス様の事で、契約は罪の許しと天国での永遠の命という希望の約束のことです。
-「そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。」その週とは、70週目のことです。週の半ばは3.5日なので、3年半です。27A.D.にあったイエス様のバプテスマから3年半となると、31A.D.になります。そして、31A.D.がちょうど、イエス・キリストが十字架で亡くなられた時なのです。(バプテスマから十字架までが3年半であったというのは、ヨハネの福音書に記録されている過ぎ越しの祭りを数えればわかります。)
-「犠牲と供え物とを廃するでしょう」と言うのは、イエス様が十字架で全人類の罪の犠牲として亡くなられると同時に、神殿で捧げられていた犠牲の供え物は無用になったということなのです。なぜなら、イエス様こそが完全なる犠牲、神の子羊だったからです。よって神殿で行われていた子羊を捧げる儀式は必要無くなったのです。

“その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」”
ヨハネによる福音書1章29節

「また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終わりが、その荒す者の上に注がれるのです」。これは、イエス様を救い主であられるメシヤと理解していながらも拒否したユダヤ人たちの悲しい定めです。





















ちなみに、神殿を建て直す命令(457BC)から2300年と言うと(1843+1)1844年になります。ですから、ダニエル書8章14節に書かれていた聖所の清めは1844年に始まったのです。1844年以来、イエス様は天国の至聖所で、我々の永遠の命のために必死に執り成しておられるのです。そして、天国の至聖所での執り成しが終わった時、イエス様は雲に乗って天使たちと共に地球へ戻ってこられるのです。イエス様はもうすぐ帰ってこられます。天国は近いのです。

これでダニエル書9章の説明は終わりました。予言を通してイエス・キリストの素晴らしさをもっと理解する手助けを、この記事によってできたのならば、何よりもうれしいです。これからも、日々お祈りをして、聖書を勉強しましょう。一日も早く、あなたがイエス・キリストの想像以上の素晴らしさを心から理解できる日が来るのを毎日祈り、待ち望んでいます。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012




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ダニエル書9章-前半

 9章4-19節はダニエルが神様にお祈りをしているところです。8章14節にある「二千三百の夕と朝」の意味が理解できないダニエルは困っていたのです。そこで9章2節に書いてあるように、ダニエルは聖書を勉強してその予言を理解しようとしました。

すなわちその治世の第一年に、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。”
ダニエル書9章2節

 ダニエルは「二千三百の夕と朝」の予言が、預言者エレミヤのしたエルサレムの神殿についての予言(エレミヤ書25章と29章)と繋がっていると思いました。ダニエルは、エレミヤが予言した70年間のバビロンでの捕囚期限がもうすぐ終わりなのを知り、ひょっとしたら神様は、イスラエルの人々が神様に忠実に従っていなかった罰として、捕囚期限を延ばそうとしておられるのではないかと思い、困り果ててしまいました。そこで、我々イスラエルの民の罪を許してください、とダニエルは必死に神様にお祈りしたのです。そして9章20-23節にあるように、神様は天使ガブリエルをダニエルの下に送り、天使を通してダニエルに、8章14節に出てくる「二千三百の夕と朝」の幻を説明されたのです。

9章24-27節には更にいくつかの出来事が予言されていますが、それらすべての始まった時は同じです。その24-27節と「二千三百の夕と朝」の始まった時は457B.C.、すなわちエルサレムの神殿を建て直す命令が下された年です。後半ではそれについて詳しく書きます

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012
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ダニエル書8章― 後半

 クリスチャンとして、聖所を理解するのことは信仰的にも非常に重要な助けとなります。ですから、聖所についてもっと知りたいのでしたら、「聖所って何」と言う記事を「ダンくんコーナー」でお読みください。また、新約聖書にあるヘブライ人への手紙を勉強したら、もっと理解する事ができると思います。

“その角の一つから、一つの小さい角が出て、南に向かい、東に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。”
ダニエル書8章9-12節

8章10節と11節を簡単に説明しますと、要するに小さい角は天の神様に向かって威張り、力を誇示すると予言されていたのです。また「燔祭(捧げ物)を取り除」くというのは、イエス・キリストが我々の罪の犠牲として十字架で死んでくださり、もう我々は捧げ物を捧げる必要がなくなったことを示しているのです(ヨハネによる福音書1章29節)。また、それまで人々が罪もなき子羊を自分たちの罪の償いとして捧げていたのは、イエス様がいずれ来て全人類の罪の償いになるということを表していたのです。
 8章11節で小さい角が「聖所を倒した」とありますが、実際に70A.D.にエルサレムの神殿はローマ王国によって破壊されました。「燔祭を取り除」き「聖所を倒した」のは小さい角、ローマ王国なのです。小さい角についての更なる説明は9章~12章でします。

“それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。”
ダニエル書8章13,14節

2300の夕と朝で聖所が清められると言うのは、どういう意味でしょうか?聖所が清められることを地球が清められ、イエス様が再臨することであると間違って解釈してしまった人たちが1800年代にいました。しかし、1800年代に再臨は訪れなかったので、多くの人たちは信仰を捨て、教会を失望と共に去っていきました。ところが、何故間違った解釈をしてしまったのかを知りたいが為、あきらめずに聖書を調べ、本当の意味を見つけようとして50人位の若者たちが集まりました。この50人位の若者たちは必死にお祈りをして、聖書を調べました。そして聖書を調べた結果、この聖所は地球の事ではなく、天国にある聖所のことを指していたのだということに気づきました。この若者たちは、新約聖書のへブル人への手紙でイエス・キリストと天国にある聖所のつながりを理解することができました。聖所が清められるというのは、イエス様が天国にある聖所から、至聖所の中へと入られるということだったのです。

“アロンとその子らは燔祭の壇と香の祭壇の上にささげることをなし、また至聖所のすべてのわざをなし、かつイスラエルのためにあがないをなした。すべて神のしもべモーセの命じたとおりである。”
歴代志上6章49節
 

 モーセの兄弟アロンがイスラエルの人たちのための大祭司であったように、イエス様は全人類の大祭司として天国にある聖所に勤めておられるのです。そして2300の夕と朝の後にイエス様は香の祭壇から至聖所へと移り、我々のために執り成しの働きをされているのです。イエス様が十字架を通して我々の救い主になったという事を認める人たちは皆、天国での永遠の命を得る事ができるのです。

 では、2300の夕と朝はいつ始ったの?正確な日にちはいつだったの?等の質問があると思いますが、答えはダニエル書9章にあります。それまでのお楽しみです。

さて、50人近くの若者たちはイエス様と天国の聖所の関係に気づいた後、更に聖書を勉強し続け、人々に伝えてゆくようになりました。そしてどんどん人が集まり、それは正式な教会となりました。その教会が、セブンスデーアドベンチスト教会なのです。ですから、セブンスデーアドベンチスト教会は、神様が主に若者たちを通して始められた教会なのです。もしもまた初代教会の持っていた福音を伝える力強さと勇気、勢いが欲しいのならば、我々若者が立ち上がるべきなのです。年配の方たち、大人の方たちと力を合わせ、我々若者が再び積極的にキリストの信仰と力によって福音を伝えていくべきなのです。そしてそれから終わりが来るのです。

そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。”
マタイ24章14節

我々のすべてを神様に捧げ、福音を伝えていきましょう。しかし、福音を全世界に伝える前には、もちろん日本全国に福音を伝える必要が在ります。聖霊の力により我々の世代で全世界に福音を伝え、近い将来にイエス様と天国を迎えられるよう全力を尽くしてがんばりましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012



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ダニエル書8章- 前半

 ダニエル書8章前半の記事です。2章と7章の予言は常に、バビロン王国から始まり、神様の王国で終わっていました。しかし8章は違います。8章ではバビロンを飛ばして、メデアとペルシャから始まる三つの王国について説明しています。更に、8章の最も重要なポイントは聖所です。ダニエル書8章を読んでみますと、ほとんどが小さい角と聖所が清められることについての予言です。8章を通して、神様が我々に聖所の事をもっと知ってほしいのです。聖所は、旧約聖書で神様がイスラエルの民をエジプトから救出した後に作るようにと命じたもので、天国にある聖所と同じような作りをしています。聖所については旧約聖書のモーセの五書と新約聖書のヘブル人への手紙を読んでみてください。この記事と次の記事では、聖所の事を大体知っているという前提で解説していきますので、聖所のことをあまり知らない方は「聖所って何?」という記事をダンくんコーナーで読んでください。

われダニエルは先に幻を見たが、後またベルシャザル王の治世の第三年に、一つの幻がわたしに示された。その幻を見たのは、エラム州の首都スサにいた時であって、ウライ川のほとりにおいてであった。”
ダニエル書8章1,2節

「ベルシャザル王の治世の第三年目」は、ダニエル書7章の幻の2年後です。

ダニエル書8章では、雄羊、雄やぎと小さい角という登場人物が出てきます。

あなたが見た、あの二つの角のある雄羊は、メデアとペルシャの王です。また、かの雄やぎはギリシヤの王です、その目の間の大きな角は、その第一の王です。”
ダニエル書8章20,21節

雄羊-ダニエル書8章20節によりますと、雄羊はメデアとペルシャ王国です。
雄やぎ-ダニエル書8章21節によりますと、雄やぎはギリシャ王国です。
小さい角-???この記事の後の方で出てきます。 

わたしが目をあげて見ると、川の岸に一匹の雄羊が立っていた。これに二つの角があって、その角は共に長かったが、一つの角は他の角よりも長かった。その長いのは後に伸びたのである。わたしが見ていると、その雄羊は、西、北、南にむかって突撃したが、これに当ることのできる獣は一匹もなく、またその手から救い出すことのできるものもなかった。これはその心のままにふるまい、みずから高ぶっていた。”
ダニエル書8章3,4節
 
 

 雄羊の二つの角というのはメデアとペルシャの両国が共に支配していたことを表します。7章で見た熊と同じで、片方の角が一方より長いというのは、一つの王国のほうが強かった、つまりペルシャの方がメデアより強かったと言う意味です。西、北、南の三方向へと突撃するのは、7章での熊の口の中の3本の肋骨と同じです(メデアとペルシャが征服した三つの王国、バビロン、エジプト、レディアです)。

わたしがこれを考え、見ていると、一匹の雄やぎが、全地のおもてを飛びわたって西からきたが、その足は土を踏まなかった。このやぎには、目の間に著しい一つの角があった。この者は、さきにわたしが川の岸に立っているのを見た、あの二つの角のある雄羊にむかってきて、激しく怒ってこれに走り寄った。わたしが見ていると、それが雄羊に近寄るや、これにむかって怒りを発し、雄羊を撃って、その二つの角を砕いた。雄羊には、これに当る力がなかったので、やぎは雄羊を地に打ち倒して踏みつけた。また、その雄羊を、やぎの力から救いうる者がなかった。こうして、その雄やぎは、はなはだしく高ぶったが、その盛んになった時、あの大きな角が折れて、その代りに四つの著しい角が生じ、天の四方に向かった。”
ダニエル書8章5-8節

足が土を踏まないで全地を飛びわたると言うのは、ギリシャのアレキサンダー大王のものすごい戦略と素早い征服を意味しています。目の間の「著しい一つの角」とは、8章21節に書いてあるように、アレキサンダー大王の事を意味しています。そして、雄羊が雄やぎに倒されるように、メデアとペルシャはギリシャに倒される、ということが予言されていたのです。更に、雄やぎの著しい角が折れ、四つの角が生えると言うのは、アレキサンダー大王が死に、四人の大将たち(セレウコス、プトレマイオス、カッサンダー、リサメイカス)が彼の後を引きつぐことを予言していたのでした。

“その角の一つから、一つの小さい角が出て、南に向かい、東に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。”
ダニエル書8章9-12節

ここで面白いパターンを見ることができます。4節で、雄羊(メデアとペルシャ)は「高ぶってい」ました。8節で雄やぎ(ギリシャ)は「はなはだしく高ぶっ」ていました。9節で小さい角は「はなはだしく大きくなり」「高ぶって」いました。後の王国になるにつれ、段々と表現が強くなっています。ですから、メデアとペルシャよりもギリシャの方が、ギリシャよりも小さい角の方が強かったのです。さて、この小さい角の正体は一体何なのでしょうか?そしてそれは、我々にどう影響するのでしょうか?続きは次回のお楽しみです。8章9-12節も次の記事で解説します。
日々お祈りをして、聖書を勉強していきましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012

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ダニエル書7章-後半-2

ダニエル書7章後半の後半です。

“わたしは、その角の語る大いなる言葉の声がするので見ていたが、わたしが見ている間にその獣は殺され、そのからだはそこなわれて、燃える火に投げ入れられた。その他の獣はその主権を奪われたが、その命は、時と季節の来るまで延ばされた。わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。”
ダニエル書7章11-14節

この聖句を簡単にしますと、ローマと法王権は永遠には続かないということです。神様と聖書に反する者たちは皆いずれ有罪の判決が下されるのです。近い将来、神様が永遠の国を設立します。そして、その神の王国に入るチャンスはあなたにも、この世の全ての人たちにも与えられているのです。

  “そこで、われダニエル、わがうちなる霊は憂え、わが脳中の幻は、わたしを悩ましたので、わたしは、そこに立っている者のひとりに近寄って、このすべての事の真意を尋ねた。するとその者は、わたしにこの事の解き明かしを告げ知らせた。『この四つの大きな獣は、地に起らんとする四人の王である。しかしついには、いと高き者の聖徒が国を受け、永遠にその国を保って、世々かぎりなく続く』。そこでわたしは、さらに第四の獣の真意を知ろうとした。その獣は他の獣と異なって、はなはだ恐ろしく、その歯は鉄、そのつめは青銅であって、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。この獣の頭には、十の角があったが、そのほかに一つの角が出てきたので、この角のために、三つの角が抜け落ちた。この角には目があり、また大きな事を語る口があって、その形は、その同類のものよりも大きく見えた。わたしが見ていると、この角は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。”
ダニエル書7章15-22節

7章1-14節はダニエルが見た夢について書かれており、15-22節はダニエルの夢への反応が書かれています。ダニエルは第四の獣の解釈に困っていました。そこで天使が来て、彼にそれを解説します。7章23-27節は、第四の獣についての更なる説明です。

“彼はこう言った、『第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ、国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であって、諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う』。”
ダニエル書7章23-27節

 ここに第四の獣(法王権)の様々な行動が予言されています。「彼はまた時と律法とを変えようと望む」と書いてありますね。カトリックの歴史を勉強すれば、実際に法王権が時と律法を変えたこと、そして彼らがそれを認めていることがわかります。この律法とは、聖書の旧約聖書にある出エジプト記20章に書かれている、神様が人間に渡した十戒の事です。法王権の十戒と聖書の十戒は違います。法王権は第二の律法を丸ごと取り除き、第十の律法を二つに分けてしまったのです。更に第四の律法は非常に短縮されています。第四の律法は、七日目の安息日を守ることについてです。七日目、すなわち土曜日が聖書の定めた安息日であったのに、法王権は安息日を日曜日に変えたと主張しています。そして悲しい事に、多くのクリスチャンは何も知らずに法王権の定めた日曜日を安息日として教会に行っているのです。聖書には、七日目が安息日だとはっきり書かれています。そしてそれは、神様が決めたのです。しかし聖書のどこにも「安息日は日曜日に変わった」などとは書かれていません。ですから真実を守りたいのであれば、自分の目で聖書で確かめて、本当の安息日である七日目、土曜日に神様を礼拝しましょう。

“彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。”
ダニエル書7章25節

「ひと時と、ふた時と、半時の間」とは法王権が大きな権力を握っていた時間(暗黒時代)を予言しています。「ひと時」は一年です。よって「ひと時」+「ふた時」+「半時」=さん時半です。さん時半は三年半になります。聖書の時代、一年は360日でしたから、3年半×360日は1260日です(3.5×360=1260)。さらに聖書の予言では、一日は一年として数えられています(民数記14章34節;エゼキエル書4章5-6節)。ですから、1260日は1260年を表します。「小さい角」は1260年間、神の聖徒たちを悩ませると予言されていました。そして実際のところ、法王権は538A.D.1798A.D.、正確に1260年間、聖徒たちを迫害によって苦しめたのでした。法王権は538A.D.に三つの角であるヘルリー、東ゴート、バンダルを滅ぼし、法王権は自立した権力をローマの皇帝に認められました。そして、1260年間、権力を握っていたのですが、1798A.D.にフランスのベルティエ大将に法王が捕えられ、法王権は力を無くしたのです。しかし聖書の予言をもっと勉強しますと、法王権は1798A.D.に一度潰されるが、終わりの時代に、キリストの再臨の直前に、再び復活して権力を握ると予言されていることがわかります。これはダニエル書11章とヨハネの黙示録で詳しく説明されています。

“「その事はここで終った。われダニエルは、これを思いまわして、非常に悩み、顔色も変った。しかし、わたしはこの事を心に留めた」。”
ダニエル書7章28節

ダニエルはこの予言を見せられた後、非常に驚き、悩んでしまいました。しかし、彼はそれを心に留めました。我々もこの予言について真剣に考え、勉強し、そして終わりの時代とキリストの再臨のために準備をするべきです。日々お祈りをし、聖書研究をし、イエスキリストを信じながら真実を固く貫いていきましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012



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