2012年5月7日月曜日

ダニエル書8章― 後半

 クリスチャンとして、聖所を理解するのことは信仰的にも非常に重要な助けとなります。ですから、聖所についてもっと知りたいのでしたら、「聖所って何」と言う記事を「ダンくんコーナー」でお読みください。また、新約聖書にあるヘブライ人への手紙を勉強したら、もっと理解する事ができると思います。

“その角の一つから、一つの小さい角が出て、南に向かい、東に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。”
ダニエル書8章9-12節

8章10節と11節を簡単に説明しますと、要するに小さい角は天の神様に向かって威張り、力を誇示すると予言されていたのです。また「燔祭(捧げ物)を取り除」くというのは、イエス・キリストが我々の罪の犠牲として十字架で死んでくださり、もう我々は捧げ物を捧げる必要がなくなったことを示しているのです(ヨハネによる福音書1章29節)。また、それまで人々が罪もなき子羊を自分たちの罪の償いとして捧げていたのは、イエス様がいずれ来て全人類の罪の償いになるということを表していたのです。
 8章11節で小さい角が「聖所を倒した」とありますが、実際に70A.D.にエルサレムの神殿はローマ王国によって破壊されました。「燔祭を取り除」き「聖所を倒した」のは小さい角、ローマ王国なのです。小さい角についての更なる説明は9章~12章でします。

“それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。”
ダニエル書8章13,14節

2300の夕と朝で聖所が清められると言うのは、どういう意味でしょうか?聖所が清められることを地球が清められ、イエス様が再臨することであると間違って解釈してしまった人たちが1800年代にいました。しかし、1800年代に再臨は訪れなかったので、多くの人たちは信仰を捨て、教会を失望と共に去っていきました。ところが、何故間違った解釈をしてしまったのかを知りたいが為、あきらめずに聖書を調べ、本当の意味を見つけようとして50人位の若者たちが集まりました。この50人位の若者たちは必死にお祈りをして、聖書を調べました。そして聖書を調べた結果、この聖所は地球の事ではなく、天国にある聖所のことを指していたのだということに気づきました。この若者たちは、新約聖書のへブル人への手紙でイエス・キリストと天国にある聖所のつながりを理解することができました。聖所が清められるというのは、イエス様が天国にある聖所から、至聖所の中へと入られるということだったのです。

“アロンとその子らは燔祭の壇と香の祭壇の上にささげることをなし、また至聖所のすべてのわざをなし、かつイスラエルのためにあがないをなした。すべて神のしもべモーセの命じたとおりである。”
歴代志上6章49節
 

 モーセの兄弟アロンがイスラエルの人たちのための大祭司であったように、イエス様は全人類の大祭司として天国にある聖所に勤めておられるのです。そして2300の夕と朝の後にイエス様は香の祭壇から至聖所へと移り、我々のために執り成しの働きをされているのです。イエス様が十字架を通して我々の救い主になったという事を認める人たちは皆、天国での永遠の命を得る事ができるのです。

 では、2300の夕と朝はいつ始ったの?正確な日にちはいつだったの?等の質問があると思いますが、答えはダニエル書9章にあります。それまでのお楽しみです。

さて、50人近くの若者たちはイエス様と天国の聖所の関係に気づいた後、更に聖書を勉強し続け、人々に伝えてゆくようになりました。そしてどんどん人が集まり、それは正式な教会となりました。その教会が、セブンスデーアドベンチスト教会なのです。ですから、セブンスデーアドベンチスト教会は、神様が主に若者たちを通して始められた教会なのです。もしもまた初代教会の持っていた福音を伝える力強さと勇気、勢いが欲しいのならば、我々若者が立ち上がるべきなのです。年配の方たち、大人の方たちと力を合わせ、我々若者が再び積極的にキリストの信仰と力によって福音を伝えていくべきなのです。そしてそれから終わりが来るのです。

そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。”
マタイ24章14節

我々のすべてを神様に捧げ、福音を伝えていきましょう。しかし、福音を全世界に伝える前には、もちろん日本全国に福音を伝える必要が在ります。聖霊の力により我々の世代で全世界に福音を伝え、近い将来にイエス様と天国を迎えられるよう全力を尽くしてがんばりましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012



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