自分で、ダニエル書を読んで勉強してみたい時に、どうぞこの図表を使ってみてください。ダニエル書の予言のだいたいのつながりと流れをもっと理解する事が出来るはずです。
ダニエル書7章後半は長いので二つに分けました。
日々の祈りと聖書研究を欠かさず、イエス様と生きていきましょう。
ダニエル書の予言
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2章
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7章
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8章
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11章
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バビロン
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メデアとペルシャ
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ギリシャ
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アレクサンダー
大王
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四つに分けられたギリシャ
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ローマの分断
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法王権
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キリストが天国を受け入れる
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英語のオリジナル:http://www.patmospapers.com/
翻訳:福田ダニエル
さて、ダニエル書7章のほとんどは四つ目の王国の説明と神様の審判について書かれています。前回の記事で説明したように、四つ目の王国はローマです。
“その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。”
ダニエル書7章7,8節
前回の記事で「十の角」は西ヨーロッパ近辺にあった王国であると説明しました。そして、三つの角(三つの王国)を抜き取る「小さい角」が法王権であることも説明しました。上の聖句の最後の文を読んでみて下さい。「小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった」とあります。この「目」と言うのは知恵、賢さを意味します。西ヨーロッパ近辺にあった「十の角」(10の王国)はどれも野蛮な人々の集まりでした。ですからこの「小さい角」が他の10の国よりも賢い集団であると伝えるために、「目」のある角と書かれたのです。しかし、「大きな事を語る口があった」と言うのは決してほめ言葉ではありません。大きな口というのは大抵おしゃべりな人、自分の立場をわきまえない発言をする人、大げさな人、ありもしないことを語る人のことを言います。ですから、「小さい角」が「大きな事を語る口」を持っているとは大変な事です。「大きな事を語る口」については後で詳しく説明します。
“わたしが見ていると、もろもろのみ座が設けられて、日の老いたる者が座しておられた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりもののない羊の毛のようであった。そのみ座は火の炎であり、その車輪は燃える火であった。彼の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた。”
ダニエル書7章9,10節
7章9節からは審判についての説明です。簡単に言いますと、天国で神様が天使たちと共に審判を行っている様子がここに描かれているのです。この審判は今でも続いています。神様は全ての人間の人生を、一人一人、調査しているのです。そして天国で永遠に暮らす者たちの名前は「かずかずの書き物」の一つである「いのちの書」に書きこまれるのです。ヨハネの黙示録にて「いのちの書」について詳しく書かれています。
“地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。”
ヨハネの黙示録13章8節
“また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。”
ヨハネの黙示録20章12節
上の聖句に書かれている通り「いのちの書」は裁きのために使われます。神様が来られた時に「いのちの書」に名前がある者のみが救われるのです。ではどうすれば「いのちの書」に自分の名前を書き入れてもらえるのでしょうか?そのためには、イエスキリストを救い主として信じ受け入れる必要があります。そして最後まで神様の力によって真実のために生き続けるのであれば、「いのち書」からあなたの名前が消される事は無いのです。つまり、神様と天国で永遠に幸せに暮らす事ができるのです。
ヨハネの黙示録13章8節で、「いのちの書」に名前がしるされていない者は「獣」を拝むと書かれています。実はこの「獣」は、ダニエル書7章に出てくる第四の獣、すなわちローマと法王権の事を言っているのです。聖書によりますと、いずれ法王権は聖書に反する法律を世界中の人々に押し付け、権力を用いてそれに従わない者を迫害します。彼らはこの世の終わりの時に、かの暗黒時代を遥かに凌ぐ力で神様の民を神様から引き離そうとするのです。そしてその時は、正に我々のすぐ目の前まで来ているのです。
しかし、我々には希望があります。たとえ迫害されようが、仕事を無くそうが、世間から侮蔑されようが、命が危険に晒されようが我々は何も恐れる事など無いのです。今の地球での命はとても小さなものです。最後までイエスキリストを信じ続け、真実を握り続けるのならば、幸せと愛に満ちた天国での永遠の命があなたに与えられるからです。
法王権と世の終わりについてはダニエル書11章とヨハネの黙示録に詳細に書かれています。ぜひ読んでみてください。ダニエル書の記事を書き終えた後はヨハネの黙示録についての記事を書き始める予定です。ダニエル書が聖書の予言の下級生クラスだとすると、ヨハネの黙示録は聖書の予言の上級生クラスです。ですからヨハネの黙示録を勉強する前に、まずはダニエル書をじっくり勉強して理解しましょう。
ダニエル書7章後半は長いので二つに分けました。
日々の祈りと聖書研究を欠かさず、イエス様と生きていきましょう。
作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012
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