2012年5月7日月曜日

心の王座


「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
マタイによる福音書 6章24節

            たとえば、心の中に一つの座り心地の良い椅子があるとします。この椅子には自分を含めて誰でも座ることができ、また物を置くこともできます。ただし、ルールは誰かが座っているときはほかの人が座ったり、ほかの物を置いたりすることができません。この椅子は「心の王座」という名前がついています。つまり、その椅子に座っている人または物がその人の心を支配する王様となるのです。
            みなさんの心の王座に座っているのはだれですか?またはどの様な物ですか?自分が一日のなかで、一番よく考えることを思い浮かべてみてください。ある人の心の王座には友達、家族、恋人、憧れの芸能人やモデルなど、またある人には学校の課題、職場の役割、バイト、お金などが座っているかもしれません。もしくは忘れられない過去の出来事、将来の不安などが座っているかもしれません。いつも自分のことばかり考えて、落ち込んだり喜んだりしている人の心の王座には、その人自身が座っているはずです。
         この心の王座には一度に一人、もしくは一つの物しか座れないというのと、もう一つルールがあります。それは、自分でその椅子に座る人、または物を指定するということです。もちろんわたしたちは周りの環境に影響されます。しかしそれを上回る「意志」というものが与えられています。自分で「この人やこの物に心を支配させよう!」と決めることができるのです。
            もしこの心の王座に神様が座っていたらどうなるでしょうか? マタイによる福音書6章33節に「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と書いてあります。もし私たちが神様に「自分の心の王座に座ってください!」とお願いするとき、その椅子には神様しか座ることができません。もしほかの人やほかの物が心の王座に座っているときは、そのものでしか心は満たされません。しかし、神様がわたしたちの心の王座に座っているとき、神様は私たちに必要なものを全て与えてくださると約束しています。
            今みなさんの心の王座に座り、みなさんの心を支配しているのはだれですか?どの様なものですか?もし神様じゃない人や物がいるのなら、まずはそれをどけて、「神様、わたしの心にはいってきてください」と神様を自分の心の王座に迎え入れてください。素敵なことがたくさん待っているはずです。そして神様は、みなさんの人生を祝福してくれるでしょう。      
作者:森春香
編集者:品末拓真

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