audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。
わたしは教会へ行き始めてからも、しばらくダンスを続けていました。ある時、ラッパーのヘヴィーDから電話がきて、「カリフォルニアへツアーに行くからお前にも来てほしい。」と頼まれました。わたしはまだイエス様に完全に人生を捧げていませんでしたが、「金曜日の夜、お休みをくださるのなら行きます。」と答えました。しかし彼は、「それはできない。金曜日の夜は踊って、それから部屋へ帰って土曜日は安息日として休んでいい」と言いました。わたしは金曜日の夜にダンスをするという条件をのみました。イエス様に背を向けたのです。わたしはツアーへ行き、安息日も踊っていたのですが、その中でイエス様が恋しいという思いを経験しました。イエス様と本当の関係を築きたいと思っていたからです。
ペンテコステ教会に通っていた時に習慣づいたことのなかで、聖書を適当にパッと開いて、そのページ上を指で適当に指し、その指した聖句を勉強するというものがありました。ある金曜日の夜、わたしはこれからダンスをしないといけないと分かっていました。だから安息日は守れないけれど、今は神様との時間を持とうと思い、聖書を開いて適当に指を指してみると、箴言28章9節にあたりました。そこには「教えに耳をそむけて聞こうとしない者は その祈りも忌むべきものと見なされる。」とありました。それが、わたしの指した聖句でした。わたしは聖書を閉じ、「今は礼拝すらできない…。」と思いました。「忌むべきものと見なされてしまう」と思ったからです。わたしはこれから罪を犯すと分かっていました。いわゆる不正です。不正行為は知らずに犯してしまった罪ではなく、前もって計画された罪です。不正を行う人は、罪を犯す前にそれが罪だと知っています。ヘブライ人への手紙6:5-6には「神のすばらしい言葉と来たるべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱するものだからです」とあります。わたしは結局その晩、礼拝すらできませんでした。
ツアーが終わり、次のツアーが始まる前にわたしは教会へ行きました。そこで、神様に忠実であるということをテーマにしたとても力強いお説教を聞いたわたしは、ヘヴィーDに電話をかけ、「よく聞いてください。わたしはこのツアーには行けません。」と伝えました。彼は「お前は頭がおかしくなったのか?!このツアーでお前は有名になれるんだぞ」と言いましたが、わたしは「わかっていますが、いけません。」と答えました。彼は更に「仕事がなくなってもいいのか?」等々言ってきましたが、わたしはそのまま電話を切りました。
それからわたしはヒップホップゴスペルダンスをはじめました。様々な場所でヒップホップゴスペルダンスをして歓声を浴びましたが、ステージから降りた後にはいつも変な気分になりました。なにか間違っているような気がしたのです。見に来た人たちはわたしに電話番号を渡してきましたが、聖書には興味がありませんでした。彼らはイエス様については話してこず、「あのスピンどうやってやるんですか?」と聞いてきました。そこでわたしは、神様にあるべき栄光と誉れがわたしに向けられてしまっていることに気付いたのでした。
つづく
訳:森春香
編集:品末拓真