2013年9月26日木曜日

心を打ち明ける

あなたはどの様な時に友だちと話しますか?

嬉しい時、悲しい時、普通の時、はたまた何も無い時でも、友達とは話すのではないでしょうか?

「祈りとは、友だちに語るように、心を神に打ち明けることであります」(キリストへの道93)。

大変な時、「神様助けて!」と祈って、実際に神様が助けてくれたら、その後祈らなくなることがあります。悲しい時は祈っても、嬉しい時はあまり祈らず、まして何もない時は祈ることがないという経験はないでしょうか?

祈るということは、僕たちが友だちにするように、神様に純粋に語らうことなのです。何も特別なことが無くても、神様に心を開いて話すことが祈りなのです。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」 ヨハネの黙示録3:20

神様は今、僕たちの心の戸をノックしています。僕たちと本当の友だちになりたいからです。しかし、心を開くか否かは僕たちが決めることです。

今、戸を開き、いつくしみ深き友なるイエス様と語ってみたらいかがですか?


2013年9月15日日曜日

今日の痛み止め:罪深い習慣と中毒

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」
創世記1:27

神は愛です。愛は与えることを望みます。神様は与えることを望みます。神様にかたどって創造されたわたしたち人間は、神様を愛することを望み、神様から愛されることを望むように造られたのです。人間的な条件付きの「愛」ではなく、本当の愛です。

この世の中には神様の本当の愛を知らずに、もしくは忘れてしまい苦しんでいる人がたくさんいます。

さて、創世記3:4にて、エデンの園で蛇となって現れたサタンがエバを誘惑します。サタンの目的はエバが神様の愛を疑うこと、神様の愛が嘘であると信じさせることでした。つまり、神様の品性を疑わせることで、エバの神様への愛を挑戦したのでした。サタンは神様よりも優れたものとなることができないと分かっていたので、神様についてエバに嘘をつくことで自分を良く見せようとしたのです。

サタンは、「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」と言いました。これは、神様が言われたこと(「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」創世記2:16)と辻褄が合いません。しかし、エバはサタンの言葉を信じることを選びました。その時、エバの心には穴があき、傷がついてしまいました。神様の愛の言葉は嘘だったと信じ、裏切られた気持ちになったからです。

そこでエバは、その心の穴を埋めるために善悪を知る木の実を食べました。ただお腹が空いていたから食べたわけではありません。サタンに騙されて、神様を疑ったときに感じた痛みを紛らわすために食べたのです。

わたしたちも、エバと同じようなことをしてはいないでしょうか?わたしたちも、サタンの嘘を信じて傷ついていないでしょうか?そして、その痛みを一時的に紛らわしたり、忘れされてくれたりするようなものにすがってはいないでしょうか?それはもしかするとショッピングかもしれませんし、食べ物、スポーツ、ビデオゲーム、ポルノ、映画、小説などかもしれません。「世間一般的に悪くないもの」にすがっても、責める人はいません。なぜなら、周りから見てそれは罪深いものではないからです。しかし、例えば、痛みを忘れるために仕事や教会奉仕にすがり、仕事や教会奉仕の中毒になることだって可能なのです。それは果たして、アルコールやたばこ、ドラッグ中毒よりもましと言えるのでしょうか?大して変わらないのではないでしょうか?

何が中毒の本当の原因なのでしょう?その原因は、無条件の愛が欠けているということです。たとえ自力で一つの中毒から脱せたとしても、何にすがっても満たされないがために、またすぐ他の中毒にはまってしまうでしょう。中毒は、神様の愛が必要なサインなのです。

神様の癒しの計画は創世記3:15に書かれています。「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」

「お前」はサタン、「女」はエバ、「彼」はイエス様を示しています。「彼はお前の頭を砕き」というのは、イエス様がサタンの頭、つまり考え方や思想を砕くということです。イエス様は、人間の中にある神様への疑いというサタンの考えを砕きます。それによって、人間は神様を本当に知ることができるのです。イエス様は、十字架上にて本当の愛をはっきりと示され、サタンの思想を砕かれました。イエス様は既にサタンに勝利されているのです。その勝利に与るかどうかは、あなたの選択です。

あなたにはとても価値があります。カルバリーを見てください。イエス様は十字架に架かることを選び、血と汗と涙を流して死なれ、そして復活することによって無限の代価を支払い、あなたへの愛を公に示されたのです。信じられますか?ですからイエス様は、あなたがあなた自身をイエス様によって価値のある者として受け入れることを求めておられます。

自分でサタンに立ち向かうことに疲れていますか?あなたの心は傷ついていますか?神様に今日癒されたいと思いませんか?神様は今日あなたを癒すことができます。今日、神様のもとに来ること、神様を信じることを選んでください。

森春香

2013年9月5日木曜日

腰の曲がった女の人へ (腰の曲がったあなたへ)

(イエスが)安息日に、ある会堂で教えておられると、そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。
ルカによる福音書13:10-13

聖書は神様の言葉です。聖書は神様が私達に伝えたいメッセージです。今回はこの短いお話から、素晴らしい教訓を学びたいと思います。18年間も体を伸ばす事のできなかった女性がいました。長年の疲れや労苦から腰を悪くしてしまったのでしょうか?それとも事故で怪我をしてしまったのでしょうか?理由が何にせよ、このお話の主人公は腰の曲がった女の人です。腰が曲がっていると言うのは、大変なことです。上を見ることができないからです。常に下、地面を見ていなければいけません。地面には何がありますか?タバコの吸殻、ガム、空きかん、空きびん、ゴミ、犬の糞…。いつも下ばっかり見ている人生は辛いと思いませんか?18年間も上を向けない人生なんて考えられますか?

あなたは、腰の曲がった女ですか?

過去の辛い経験や、苦悩のゆえにあなたの腰は曲がっていませんか?人生の汚点、失敗、悪いことばかりを見ていませんか?

できることならば、まがった腰をまっすぐにして、上を見ながら生きたいと思いませんか?

たいていのお話には、必ずヒーローがいます。このお話のヒーローはイエス・キリストです。腰の曲がった女に希望を与えたのはイエス様です。女の曲がった腰を真っ直ぐにし、18年ぶりに上を向かせてくださったのは、イエス様です。

あなたも、腰の曲がったまま歩いてないで、イエス様に出会い、治してもらったらどうですか?

たいていのお話には、ヒーローがいるように、ヒーローの墓、悪役もいます。このお話の悪役は悪魔です。悪魔は、病気、事故、けんか、その他様々の問題を常にこの世界に持ってきます。あの腰の曲がった女の人も、悪魔の持ってきた「病気の霊」のせいで、18年間も上を見る事ができなかったのです。

それと同じように、悪魔は、あなたの腰をどうにかして、曲げようとしています。悪魔は、あなたは無価値で、どうしようもない人間で、皆から嫌われていると思わせたいのです。悪魔は、あなたに上を向いてほしくないです。なぜなら、あなたが上を向いたら、あなたは夢と希望に満ちあふれて、偉大な事をするということが分かっているからです。あなたが上を向いたら、天から来る喜びと、愛と、真実に出会ってしまうからです。あなたが上を向いたら、神様があなたを愛しておられるという素晴らしい現実をあなたが知ってしまうからです。

どうか、腰の曲がったままの苦しい人生をこれ以上歩まないでください。イエス様に腰を真っ直ぐにしてもらい、上を見上げて生きていきましょう。天からの夢。天からの喜び。天からの愛。天からの真実。天からの希望。それらのものが来る上を向いて、神様を賛美しながら歩いていきましょう。

見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。
エレミヤ書32:27

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
マタイによる福音書7:7-8

人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。
ルカによる福音書19:10

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
エレミヤ書29:11

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
コリントの信徒への手紙 二 5:17

どうか、腰の真っ直ぐな人になってください。

福田ダニエル

2013年9月3日火曜日

しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。

ルカによる福音書6:27-30

2013年9月1日日曜日

十字架

数々の人々はまるで生きる目的や高い基準となるものを持っていないかのようにただ人生を送っています。その理由の一つは彼らが自分自身の価値を低く見積もっていることにあります。イエス様は計り知れないほどの代価をわたしたちに払ってくださったのです。そしてその払われた代価に応じてわたしたちが自分自身を価値ある者として尊重することを願っておられるのです。

ミニストリーオブヒーリング Pg.498

"Thousands pass through life as if they had no great object for which to live, no high standard to reach. One reason for this is the low estimate which they place upon themselves. Christ paid an infinite price for us, and according to the price paid, He desires us to value ourselves."
Ministry of Healing, pg. 498



神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためでなく、御子によって世が救われるためである。
ヨハネによる福音書3:16,17


罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
ローマ信徒への手紙6:23