2014年1月14日火曜日

山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。

イザヤ書54:10


神様の癒しの力はどの自然のなかでも見られます。もし木が切られたり、人間がけがをしたり骨を折ったりするとその怪我を直すために自然はすぐに働きはじめます。必要となるまえから自然は癒しの力を備えていて、ある部分が傷つけられると、すぐにすべてのエネルギーがその部分の回復に向かって働きはじめるのです。これは霊的にも言えることです。神様は罪の治療法を必要とされる前から備えておられたのです。誘惑に服する全ての魂は敵の力により傷つき打たれます。しかし罪があるところには救い主がおられます。イエス様の業は「捕らわれている人を解放...目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由に..」することです。(ルカによる福音書4:18)

  これらの業はわたしたちがイエス様と共に行う業とされています。「兄弟たち、万一誰かが不注意にも何かの罪に陥ったなら、 "霊"に導かれていきているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。」ガラテヤの信徒への手紙6:1 「立ち帰らせなさい」 という言葉は脱臼した骨をもとの関節の場所に戻すという意味です。罪や過ちに陥った人は自分に関わっているすべての事を投げ出してしまいます。自分の過ちに気付いて後悔するかもしれません。しかし自分で自分を回復することはできないのです。不安、混乱、無力の中にいるのです。その人には癒し、回復、解放、自由が約束されています。「正しい道に立ち帰らせなさい」。イエス様の心から流れる愛のみが癒すことができます。木の樹液や体のなかの血液のようにその愛が流れるとき、イエス様の愛のみが傷ついた魂を回復させることができるのです。

Education 113.2

   

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