「神様か…。いつかはちゃんと向き合いたい。今はできないけれど、きっとまたお祈りして、聖書を読んで、教会に行けたらいいな。」そう思うことはないでしょか?
僕は中学校の時に聞いたこのお話が、いまだに忘れられません。
青年の父はお酒好きでした。青年はアドベンチストになった後、父と聖書研究を始めました。その中で、お酒は断つべきであるということを父は学びました。そこで父は、「今晩でお酒は最後にする」と言い、外に飲みに行きました。父は帰ってきませんでした。酔っぱらって歩いているところを車にはねられて、亡くなられたのでした。
主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。
イザヤ書55:6
僕たちは一秒先の未来すら知りません。それなのに、どうして「いつかは…」と言えるでしょう。いま僕があなたに言えることは、いまがその時だということです。
神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち返るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち返るならば
豊かに赦してくださる。
イザヤ書55:7
結局僕たちは、主を尋ね求め、呼び求め、立ち返ることしかできないのです。その時に、主は「豊かに赦してくださ」います。いつか僕たちがましな人間になったからではなく、主が「憐れんでくださ」るからです。さぁ、主に立ち返りましょう。
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