「善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」
ルカによる福音書 6章45節
最近、英語のウェブサイトを日本語に翻訳するお仕事を頂きました。このお仕事をやっていく中で、日本語には、同じような意味でも様々な表現方法があることや、微妙に違った意味合いをもつ言い回しがたくさんあることを実感させられました。そして、日本語は丁寧な言葉遣いを心がける美しい言語だと思いました。相手の存在を認め、尊重する態度が示された丁寧な言葉遣いが日本語には数多くあります。
言葉遣いは礼儀として気を付けるのが当たり前であり、社会でうまくやっていくためには良い言葉遣いを身につけることが必要です。さらに、言葉遣いはその人自身の心の状態をよく表します。わたしたちはほぼ毎日だれかと会話をするわけですから、毎日どのような言葉を使ってどのように話すかは、わたしたちの態度そのものにつながると思います。
さて、言葉遣いについて聖書はどのようなことを言っているのでしょうか?ルカによる福音書6章45節には「善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」と書かれています。
「自分はこんなことを言うけど、本当はそうは思っていないよ」と言う人がいるかもしれません。では冗談について考えてみましょう。冗談で友達をからかって、「本当は思っていないからいいんだよ」とか「冗談だよ~本気にしないで」という人がいます。しかし、もしからかわれている人に冗談が通じなかったらどうでしょう?冗談を本気にとらえてしまったらどうでしょうか?わたしはアメリカに来たばかりのころ英語があまりしゃべれず、日常会話を理解するのも大変だったのに、周りの学生がやたら冗談好きで冗談を頻繁に言ってきました。やっと相手が何を言ったか分かったと思った矢先、「ハハハ冗談だよ!」と言われさらに訳が分からなくなるということが何度もありました。彼らにとっては面白いであろうアジア人に対するジョークなどもたくさん言われましたが、わたしには全然おもしろくないということもありました。冗談を言うにも気を付けないと、思わぬところで人を傷つけてしまうことがあるということを心掛けておく必要があると思います。なぜなら、自分にとってはおもしろくても相手にとってはおもしろくなく、むしろ不快な思いをさせてしまうかもしれないからです。
言葉遣いに気を付けることは、結局は相手を思いやる心遣いであり、聖書が言うように良いものを入れた心の倉からは良い言葉が、悪いものを入れた倉からは悪い言葉がでてきます。それでは、聖書が言葉について他に何と言っているか見てみましょう。
箴言13章3節「自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開く者は滅びる。」
箴言16章28節「暴言をはく者はいさかいを起こさせる。陰口は友情を裂く。」
箴言15章1節「柔らかな応答は憤りを静め 傷つける言葉は怒りをあおる。」
箴言16章24節「親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。」
コロサイの信徒への手紙4章6節では「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。」と勧められています。わたしたちの言葉は人を励まし、勇気づけ、慰めることもできれば、人をいらだたせ、怒らせることもできます。そして、どのような言葉をどのように話すかは、わたしたちが決められることです。
もしわたしたちが心から神様に仕えたいと望んでいるのなら、神様の品性を映し出すような言葉遣いを心掛けるべきではないでしょうか。愛をもって仲間を励まし、褒め、感謝し、また慰めることのできる言葉を毎日選んで使っていきたいです。
著者:森 春香
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