「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」 ローマの信徒への手紙5:8
一人の青年がいました。皆が彼を好青年だと思っていました。しかし、彼は自分よりも弱いと思う奴を軽蔑し、人目のつかない所でいたぶって優越感に浸りました。自分よりも強いと思う奴には媚びておいて、どのようにして陥れようか画策しました。彼は衝動的に繰り返し姦淫しました。彼は自分の願望を妨げる人がいれば、友達でさえ殺しました。けれども周囲は彼を善人だと思っていました。なぜなら彼は、それらを上手に闇に葬り去ったからです。疑われそうになっても、口車に乗せて丸め込みました。
しかし、彼の悪事が明るみに出る時が来ました。いつまでも隠せるわけがありません。彼は死刑に定められました。当然の報いです。彼の父は非常に悲しみましたが、反論の余地がありませんでした。そこで父は嘆願しました。「私を殺していいから、息子にもう一度チャンスをください!」
その理解し難い程の愛から、要求はのまれました。そして彼の代わりに父は罪を着せられ、殺されました。彼は自由になり、選択肢が与えられました。今までしてきたことを再び明るみに出るまで続けるか、父の愛に生きるかです。
彼は僕で、父は神様です。神様は、どうしようもなく罪深い僕のために命を捨てました。僕を愛していたからです。神様が僕を愛しているのは、僕が神様のために良いことをするからではありません。神様が愛だからです。このような愛が他にあるでしょうか?僕は神様の愛に生きています。神様の愛に激しく心を打たれたからです。神様はあなたを死ぬほど愛しています。あなたはそれにどう答えますか?
執筆者:品末拓真
(これは2/25にhttp://www.facebook.com/adventistyouthjpに掲載されたものです。)
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