2013年2月27日水曜日

ミニコンサート:アウトライン


この前ミニコンサートの動画をあげましたが、そのアウトラインを載せたいと思います。


1.     Life’s Too Short

皆さん人生楽しんでいますか?
平均寿命 日本人 男性 79. 3歳
         女性 85. 9歳         
    アメリカ人 男性    75. 9歳
         女性 80. 5歳
よく考えてみたら人生短いものです。

でも聖書の中にはこんな事が書かれています。
「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が独りも滅びないで永遠の命を得るためである。」ヨハネ 3:16

ただ信じるだけです。私達は神様の独り子、イェス様を心から信じることによって死んでからよみがえり、神様、イェス様が住んでおられる天国に行って、そこで永遠に生きる事ができるのです。  


2.     Lady Bird

アメリカに初めて来たとき、僕は英語が上手く喋れず、友達との会話がスムーズに出来なくて落ち込んでいた時期がありました。相手が何を言っているのか分からないこと、英語発音が悪くて相手にちゃんと自分の気持ちを伝えることが出来ないことばかりでした。でも、うまく会話が出来ない自分に友達は優しく接してくれました。その温かい優しさに僕は励まされ、感動していました。なんでみんな言葉があまり通じない自分に優しくしてくれるのだろう?と考えた時、僕は彼らの中にある共通点を見つけました。それは「みんな神様を信じている」ということでした。ヨハネによる福音書14:21でイェス様はこのように書かれています。「私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」この聖句に書かれているように、イェス様を信じる人は、彼に愛され、さらにイェス様がするように彼の愛を他の人に伝える事ができます。今考えてみるとイェス様は僕と仲良くしてくれていた友達の優しさを通して「大丈夫、英語はこれからだよ。」と励ましてくれていたのだなと思います。

3.     Good Dog

僕は小さい頃、近所に「サブちゃん」というビーグル?の犬がいました。僕は毎日幼稚園から帰ってくると彼と一緒に遊んで、楽しい時間を過ごしていました。どんなに意地悪をしてもそんな事すぐに忘れてしっぽを振りながら近寄ってくるサブちゃんがとても大好きでした。また、年が同じだった事もあって彼は僕の親友でした。でも大きくなるにつれて、彼の家に行く事も少なくなり、さらに中学校は寮の学校だったのでサブちゃんと遊ぶことはなくなってしまいました。中学校3年の何かの休みに僕はサブちゃんに2年振りに会うことになりました。もう忘れているだろうと不安に思っていたのですが、サブちゃんは「待っていたよ!」と言っているかのように力一杯しっぽを振って近寄ってきました。それを見て「あぁ、この子は自分としばらく遊んでいなかったら悲しかったなんて全然思っていない。ずっと僕がくるのを待っていたのだ、なのに自分は」と嬉しい反面申し訳ない気持ちでした。別れ際、僕はサブちゃんを見ながら「次、寮から帰って来たら遊ぼう」と心に決めました。でもそれは僕が見たサブちゃん最後の姿でした。彼は僕が寮にいる間に息を引き取ったのです。その知らせを聞いた時から僕はサブちゃんのように純粋な心を持つように努力しています。マタイ15:27の中には、このような事が書かれています。「しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」どんなに小さな恵みでも心から感謝できるようなクリスチャンに僕はなりたいです。

4.     Devotion

留学してからしばらくすると、アメリカで出会った信仰的な友達の影響もあり、僕はもっと神様の事、聖書の事を知りたいという気持ちが大きくなっていました。大学にいる日本人で聖書研究や、大学で神学のクラスを受けたりして聖書の知識がどんどん増えていきました。知識が増えていく一方で僕は自分の中にある悪い所がどんどん見えてきて、そんな自分を変えたい、完璧なクリスチャンになりたいとも思うようになってきました。でも そう上手くいくことなんて全くありませんでした。なにか罪を犯してしまう度に、「あぁ自分が情けない、こんな自分を神様はいいクリスチャンだと思っているはずはない。」と思うようになってきました。そんなときに僕はこのような聖句を見つました。マラキ 3:7−8の中にはこうあります。「まことに、主であるわたしは変わる事がない。あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。あなたたちは先祖の時代から私の掟を離れ、それを守らなかった。立ち返れ、わたしに。そうすればわたしもあなたたちに立ち帰ると主は言われる。」わたしたち人間はローマの信徒への手紙7章に書いてあるように罪に売り渡されているので、どんなに努力を尽くしても罪を犯してしまいます。でもそのとき、神様に心から許しを求めれば神様は必ず赦してくださいます。神様が私達を見捨てることが無いからです。このとき僕は「神様は弱い部分を含めて、こんな弱い自分を受け入れてくださっている。」という事に気かされ、感動しました。この経験を通して僕は「Devotion」という曲を書きました。僕はこの曲を通してみなさんに伝えたいのは「あなたが望まないで犯した罪のことで神様に申し訳ないと思っていても、許しを求めれば神様はあなたを許し、ありのままのあなたを受け入れてくれる。ありのままのあなたで神様に献身しなさい。そうすれば神様はよろこんでくださる。」という事です。


5.     I Knew It Was You

僕は中学、高校にいたときにある一つの音楽グループを持っていました。それは僕を含め4人で構成されていて、僕はギターを担当していました。礼拝の特別賛美でよく演奏していて、とても賛美している事が楽しかったです。でもあるとき僕は自分のメンバーのみんなが心から楽しく音楽をしていないという事に気づきました。なんで楽しんでいないのだろうと最初は思っていましたが、時間が経つにつれてなんで自分はこんなに技術をあげて神様を心から賛美しようと頑張っているのになんでみんなは何もしてないという考えに変わっていました。自分が正しいことをしているのにみんなは自分についてこないなどとも考える事もありました。そしてあるときちょっとした事から言い合いになり、メンバーから「努力する姿勢は尊敬する。でも何も考えずに 目立ちたがる君のギタースタイルがずっと嫌だった」と言われました。それを聞いた時、自分の今まで正しいと思ってやって来た事が全て否定されたような気がしてものすごくショックを受けました。全ては自分のせいだったとも悟りました。話し合いの結果、僕の音楽グループは活動停止となりました。その夜、「なぜあなたはなんでこんなひどい事を僕にするの?」と怒りをぶつけながらお祈りをしたことは今でも覚えています。本当に悲しかったです。でも僕はこの経験を通して「他の楽器がどう演奏して聞いて、それに自分の音を会わせる」という 音楽をする上で一番大切な事を学びました。前の自分は本当に自分の事だけ考えて演奏にベストを尽くしていました。でも今は他の音を聞きながらベストを尽くしています。もしあの経験が無ければ音楽を愛するものとしてここまで成長できなかったと思います。今では僕に覚悟を決めて僕に本音をぶつけてくれたメンバー達には感謝しています。エレミヤ書29:11にはこのような事が書かれています。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」苦しんでいたときは分かりませんでしたが、神様はあの音楽グループでの試練を通して神様を賛美するものとして僕を成長させくれたと僕は信じています。本当に感謝しています。


6.     Amazing Grace

コリントの信徒への手紙12:9にこのような事が書かれています。「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」と主は言われる。」最後になりますが僕がみなさんに心に留めて欲しいのは、永遠の命を与えてくださるのも、信仰によってイェス様のようになれるのも 、純粋に神様を信じる心を与えてくださるのも、望まないで犯した罪を赦してくださるのも、私達をクリスチャンとして成長させるために私たちに試練をあたえてくださるのも全部神様の愛と恵みによるものなのです。私たちは弱い人間ですが、そのなかで神様は私達を用いて私達が出来る以上のことをしてくださいます。そのことをぜひいつでも覚えていてください。


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