よく教会で聞く「信仰」という言葉があります。みなさんはどういう意味だと思いますか?確かではないけれどなんとなく心地が良いから、もしくは気分が良いから信じることでしょうか?意味が分からないけどとりあえず鵜呑みし、それが「偶然正しいことでありますように」と願うことでしょうか?それとも信仰は「わたしは信じている!」とただ毎日言うことでしょうか?
聖書を開いてみましょう。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」ヘブライ人への手紙11:1
わたしはこの聖句を何度もさらっと読んできました。しかし注意深く勉強しなかったために多くの勘違いも生まれました。セブンスデーアドベンチスト教会の信じているこの聖句、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。」エフェソの信徒への手紙2:8,9。イエス様がわたしの個人的な救い主であると受け入れてバプテスマを受けたあとにはどうやってクリスチャンとして生きていけばいいのか、イエス様を信じていると言い続けてきたけれど果たしてそれだけでいいのか、そういう疑問にぶつかりました。私自身、信仰とはすべてのことはよく分からないけど分からなくても信じることだとしばらく理解してきました。信仰とはどういう意味かはっきりと分からずに信仰を持とうとしていました。
今回は日本語の聖書は他の言語から翻訳されたということをふまえて「信仰」と言う言葉の由来を調べてみました。
私が使っている聖書は新共同訳という聖書です。その序文の冒頭には「聖書の原文は、旧約のほとんどがヘブライ語で、新約がギリシア語で書かれました。」とあります。
それでは今回はヘブライ語を見てみましょう。「信仰」、または「信じる」と翻訳された語源はヘブライ語のエムーナという言葉です。エムーナという言葉は創世記15:6の「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」という聖句の「信じた」に使われています。さらにエムーナの語源となったヘブライ語はアマンです。アマンはアーメンの語源でもあります。ヘブライ語であるアマンという言葉の意味は「断固とした、堅固さ、真実、確か」です。
それではアマンという言葉から成り立ったエムーナ、「信仰」と日本語には訳されるこの言葉はどういう意味でしょうか?エムーナと言う言葉の意味はアマンと同じような「確かに、明確に真実であり、また確立されていること」と訳されます。信仰は希望と関係があります。聖書でいう希望というのは「こうなればいいな」という理想ではなく、神様がわたしたちに約束されたことが果たされることを待ち望むということです。
ここで始めの聖句をもう一度読んでみましょう。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」ヘブライ人への手紙11:1
望んでいる事柄というのは神様が過去にわたしたちに約束されたことです。それを確信するということはその神様がわたしたちに約束されたことは信頼できるものである、そしてそれは事実であるということを確信すること。見えない事実は目には見えないけれども本当であるということを確認する。
つまり信仰とはよく説明しきれないことがあるけどなんとなくそれが本当であるかのように信じることではなく、神様は御自分のされた約束を果たす方、そして神様はわたしたちに約束されたことは必ず果たされるということを確認することです。
見えない事実とはどういうことでしょうか?目に見えないけれども存在するものです。例にあげれば風や磁力、引力などです。わたしたちはこれが「風の形」だとそのものを見ることはできませんが風が花びらを散らしたり木を揺らしたりといった証拠を見て風が吹いているという事実を確認できます。磁力そのものをみることはできませんが磁石が鉄にくっつくのを見て磁力が働いていると分かります。そのように、神様の約束も見えない事実の一つです。そしてそれが事実だということを知るための証拠はわたしたちに十分に与えられます。(ペトロの手紙二 1:3)
みなさんは神様が約束を必ず果たす方であると信じていますか?だれも赤の他人を信頼できないように、わたしたちは神様がどういう方であるかを知らずに神様の約束を信じることはできません。祈りを通して聖書を勉強して他人から聞いた話を丸のみに信じるのではなく、自分で聖書を調べて、祈って、神様を知ってください。自分の感情によってではなく、神様の御言葉によって確信してください。
神様はたくさんの約束をわたしたちにしておられます。また、過去にすでに果たされた約束もたくさん聖書に記されています。わたしたちは神様の約束がどんなものであるか知らなければなりません。約束が何かを知らずにそれを待ち望むことはできないからです。
そして「主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちをご自分の栄光と力あるわざとで召し出してくださった方を認識させることによるのです。」ペトロの手紙二 1:3
と書かれています。神様はわたしたちが求めれば、神様を知るために必要なものをすべて与えてくださいます。
最後に、わたしたちは神様、聖書を理解するには聖霊の導きが必要です。そして信仰を持つためにも聖霊が必要です。じっくりとお祈りして聖霊を求めて、聖霊が真実を示してくださることを求めてください。
著者:森春香
参考文献
e-Sword
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