2012年6月11日月曜日

「巨人に独りで立ち向かうな―コロンビアでの経験」

「巨人に独りで立ち向かうな―コロンビアでの経験」


「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。」サムエル記上14:45,47


 コロンビアへの伝道旅行では、説教者ひとりひとりがそれぞれの教会で合計19回お話することが予定されていました。わたしは、広島三育学院中学校の卒業祈祷週で1度お話した以外には、お説教をしたことがありませんでした。まったくの初心者であるわたしが、一体どうやったら19回も連続でお説教できるのだろうか、と思っていました。

コロンビアに到着した次の日、金曜日の夜からお説教がはじまりました。金曜日の朝にパワーポイントの編集、声に出しての練習を繰り返し、夜にはわたしの担当するベテル教会へ向かいました。通訳者のホスィアスと打ち合わせをし、神様が導いてくださるように一緒にお祈りをしました。ソングサービスがはじまったときには6人ほどしか教会に来ていなくて、大勢の人の前でお話をしなくてもいいのだ、とほっとしていました。しかし、ソングサービスの間に次々と人が集まってきて、ソングサービスが終わる頃には大勢の人が教会に集まっていました。長老のアントニオさんがわたしの紹介をしてくださり、わたしは登壇しました。

その日のテーマはダニエル書2章のネブカドネザル王が見た巨大な像の夢の預言についてでした。バビロンのネブカドネザル王が夢に悩まされており、ダニエルが神様に祈りその夢の意味を解説するというお話です。その像の金の頭はバビロン、銀の胸と腕はメディアとペルシア、青銅の腹と腿はギリシャ、鉄のすねはローマ、鉄と陶土の混じった足はローマ帝国から分裂したヨーロッパ、そして、一つの人手によらずに切り出された像を打った石はイエス様の再臨を表しています。この像の頭から足への順番の通りに、それらの王国がこの世界を治めていたことが歴史でも証明されていて、今わたしたちはこの石がもうすぐくるという時に生きていて、もうすぐイエス様の永遠の王国が築かれる、というメッセージでした。

ところが、素晴らしいメッセージだということは間違いないのですが、わたしが話しながらみんなの顔を見てみると、みんなとても退屈そうでした。子供たちはぼーっとしており、おばあちゃんは気持ちよさそうに居眠りをしていました。そこでわたしは「あぁ、自分はなんてつまらない説教者なんだ」と思いました。ホテルに帰ってサザンアドベンチスト大学から来ていた仲間たち15人と「第1夜はどうだった?」と話し合いました。15人のうち13人は初めてお説教をしたと言っていました。「説教は自分の心地よいと思える領域を遙かに超えていてすごく緊張した」、「みんな退屈そうだった」、「パワーポイントがうまく動かなかった」など、みんなわたしと同じように気を落とした様子でした。わたしの友達、そして同じ部屋に泊まっていたジーンは「春香、あと18回もお説教あるって知ってた?あと18回もどうやってお説教すればいいの!!」と言っていました。わたしもまったく同じ気持ちでした。人前で話すことは得意ではないし、自分のような人間が他人に神様のことを伝える権利など無いのではないか、と疑問に思いました。

次の日の朝の礼拝で、サザンの教授であるフレディー先生がこんなお話をしてくれました。サムエル記上17章で、少年ダビデが巨人ゴリアテに立ち向かい見事にやっつけるという場面でした。ダビデはゴリアテに向かう前に、防御のために重たい鎧や兜をつけさせられました。しかしダビデは、「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから(サムエル記上17:39)。」とそれらを脱ぎました。彼は代わりに石を5つと石投げ紐を手にし、巨人ゴリアテの前に出てこう言いました。

「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。…主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。」サムエル記上14:45,47

ダビデは独りで巨人に立ち向かったのではなく、神様と一緒に立ち向かったのです。鎧や兜で自分を守ろうとはせず、神様にのみ助けを求めました。わたしたちは巨人、つまり試練やサタンの誘惑に独りで立ち向かえば、こてんぱんにやっつけられてしまいます。なぜなら、それらはわたしたちより強いからです。しかし、神様と一緒にそれらに立ち向かう時、わたしたちは必ず勝つことができるのです。私たちの感情はついてこないかもしれないけど、どんな気持ちであっても神様を信じること、神様には巨人に打ち勝つ力があると信じることが私たちには求められています。

このお話を聞いた後、たとえ「自分は説教をするのに十分ではない」という気持ちが私の中に起こっても、神様が自分を使ってくださることを信じてお説教することを決めました。そしてその後わたしは18回ともすべて無事に、神様のさまざまな助けによってお話することができました。初めは「お説教なんてできない」と思っていたのに、振り返ってみればあっという間に終わっていました。私たちが神様の力を信じるとき、神様はどんな状況でも私たちを使って神様の働きをしてくださるのだなと実感しました。

著者:森春香
編集者:品末拓真
2012年6月11日



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