2012年6月20日水曜日

「テクノロジー以外なら…-コロンビアでの経験」

「テクノロジー以外なら-コロンビアでの経験」

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」
フィリピの信徒への手紙4:13

              コロンビアへの伝道旅行はShareHimという団体を通して行われました。ShareHimは説教者にプロジェクターと、既に完成されたお説教のスライドショーが入っているパソコンを貸してくれます。説教者はそのスライドを勉強し、自分の経験をお話の中に入れたり写真を追加したりして編集して、それを練習することが求められています。私たちも毎日、それぞれの教会の集会に行く前にお説教の編集、練習、最終確認をしていました。そんなある日経験したことをお話します。
ShareHimによってつくられたスライドショーは、シンクロナイザーというプログラムによって聴衆用スライドと説教者用スライドを同時進行できるようになっていました。つまり、教会で実際にお説教している時は会堂前方のスクリーンには聴衆用のスライドが映し出され、私を向いているパソコンには説教者用のノートが出るようになっていました。私がリモコンのボタンを押すと、聴衆用スライドと説教者用スライドが一緒に次に進んだり前に戻ったりする、という優れたプログラムでした。 
              ところが、このプログラムでスライドを編集するのは中々ややこしくて、特にパソコンがあまり得意ではない私にとってはどうしたものかと思うことがたびたびありました。しかし有難いことにあまり大きなトラブルもなく、16日間続くこのキャンペーンもあと3日で終わり、残されたお説教もあと4つという日まで来ました。わたしはその水曜日の集会のあと、ホテルに帰ってきて残りすべてのお説教を復習していました。そこで気付いたのは、最初の数枚のスライドの順番がバラバラになっているということでした。私はそれを編集するためにスライドを追加したり削除したりしていました。しかしその内わたしはよく分からなくなってしまってやり直そうと思い「リセットする」という項目をクリックしました。そうすることで自分が編集したものがすべて元通りになるはずでした。ところが、わたしが「リセットする」という項目を押した後そのスライドを見てみると、聴衆用と説教者用のスライドが15枚程ずつずれていて、全体にかなりのずれが生じていました。「これは大変なことをしてしまった!」と私は焦りました。ずれてしまった聴衆用と説教者用のスライドを再び一致させるためには相当な時間が必要でした。私は何時間も掛けてそれを編集し、ついには聴衆用と説教者用のスライドショーを一致させることができました。また、それを声に出して練習する時間も残されていました。「神様、ちゃんと編集してさらに練習するための十分な時間を与えてくださって感謝です。」と私は祈り、木曜日の集会へ向かいました。
お説教の練習をしている仲間たちです。
              無事教会に着き、ソングサービスの後に通訳者のホスィアスと一緒に登壇しました。まずは次の集会のトピックを紹介し、はじめのお祈りをしました。そして説教を始めようとしてふと気づいたことは、確かに直したはずのスライドが、説教者用のスライドが聴衆用のスライドより一つずつ前にずれているということでした。わたしは心の中で「なんでずれてるんだー?どうしよう!」と思いましたが、そのまま進む以外どうしようもなかったので、一つずつずれたスライドを見ながらお話をすることにしました。パソコンの説教者用スライドをパッと見て覚え、急いでスライドを進めて聴衆用スライドと合わせてさっき覚えたことを言う、それを15回ほど繰り返しました。その日のスライドショーは全部で95枚ありました。「神様、果たしてわたしはこの方法であと80スライドも進むことができるのでしょうか?」と心の中でお祈りしていました。そうしたら、一つずつずれたスライドにも徐々に慣れてきて、このほうがパソコンにあまりとらわれずに自然にお説教ができるような気がする、とさえ思いはじめてきました。ところが、20スライドあたりでリモコンが突然動かなくなったかと思うと、私のパソコンと聴衆用のスクリーンが真っ黒になりました。私は「ついに一番恐れていたことが自分にも起きてしまった」と思いました。サザンアドベンチスト大学から一緒に来ていた何人かの仲間たちから、お説教中にプロジェクターが動かなくなったとか、コンピューターが動かなくなったという話を聞いていました。自分にはそういう問題は起こらないでほしいなと思っていました。しかしいま自分の目の前にあるのは、なぜか真っ黒のパソコンの画面と聴衆用スクリーンでした。
              わたしは、フィリピへの信徒への手紙4章13節の「わたしを強めてくださる方(神様)のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」という聖句を知っていて信じているつもりでした。ところが前から私の頭の中では、テクノロジーに関しては例外だと考えていました。神様と科学技術の関わりについて深く考えたことはあまり無かったのですが、頭のどこかで「パソコンや電子機器がうまく動かなくなってしまったらそれで終わり、神様がパソコンや電子機器に働くことはできない。」という神様の力を限定するイメージがありました。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしには“テクノロジー以外のことなら”すべて可能です。」と思っていました。
             真っ黒になってしまった画面をみて混乱している中、この聖句がふと私の頭に浮かびました。そこで「すべてが可能です。」って本当に「すべて」なのかな?と思いました。しかし今わたしにできることはお祈りしかないと思い「神様、あなたにはすべてのことが、テクノロジーも含めて可能だと信じます。助けてください」と心の中でお祈りしました。そして、リモコンの前へ進むボタンを2回押しました。何も起こりません。そこで前へ戻るボタンを押してみました。するといきなりパソコンとプロジェクターが復活して、パソコンには説教者用スライドが、スクリーンには聴衆用スライドが映し出されました!そして更に驚いたのは、今まで確かに一つずつずれていたスライドが、その時には完全に一致した状態になっていたということです!そこで私は、神様はテクノロジーも含めた本当にすべてのことが可能なのだなということを実感しました。そのとき神様の凄さを知ると同時に、自分の信仰の弱さを知りました。
              私たちは神様の莫大な力のほんの一部しか理解していないのだと思います。私たちは自分たちの知っている神様のイメージで神様の力の大きさを推定してしまいがちです。しかし本当は計り知れない力を持っておられる神様を信じ、助けを求めることがわたしたちには必要なのです。そして神様と日々交わることで、神様の力の大きさをもっと感じることができるのだと思います。



熱くなってしまったプロジェクターを扇風機の前で冷ましています。
著者:森春香
編集者:品末拓真
06/20/2012



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