聖句:「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
第一テサロニケの信徒への手紙5:17、18
「「声をあげ、主に向かって叫び 声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。御前にわたしの悩みを注ぎ出し 御前に苦しみを訴えよう。」
詩編142:2、3
お祈りには3種類あると思います。 それらは感謝、お願い、そしてだれかほかの人のためにお祈りする執り成しというお祈り、この3つです。
まず今日おこった出来事でうまくいったこと、助けられたこと、嬉しかったことなどを考えてみてください。たとえば、朝寝坊してしまったけど出勤の電車に間に合った、たまたま行ったスーパーが安売りしていた、などどんなささいなことでも神様にそのことを感謝してみてください。神様に感謝できることなんて何もないよ!と思うかたはこんな風に考えてみてはどうでしょうか 今何も考えずにも心臓が動いていて、呼吸をしていられること、今日目覚めたこと、食べるものがあること、家族がいること、どれも本当はあたりまえではないのです。聖書の第一テサロニケの信徒への手紙5章の17~18節に「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」と書いてあります。神様はわたしたちが感謝の祈りをささげることを望んでおられるのです。
次に、最近困ったこと、どうしてもうまくいかないことを考えてみてください。期末試験が近づいている、職場の人間関係で困っている、経済困難、など色々とおありだと思います。 また、具体的な原因はわからないけれども憂鬱だという日もあるのではないでしょうか? 聖書の詩編142編2~3節にはこう書いてあります「声をあげ、主に向かって叫び 声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。御前にわたしの悩みを注ぎ出し 御前に苦しみを訴えよう。」 これはダビデという詩人、有能な戦士、そして後にイスラエルの王となった人が書いた詩です。ダビデはこの詩を書いたとき、敵から逃れるために洞窟に身を隠していました。そのときに捧げられた祈りが詩編142編2節~3節です。ここにある「主」や「御前」というのは神様のことです。ダビデはたくさんの詩を書きましたが、神様へ自分の正直な気持ちを打ち明けている詩が多くあります。このダビデが書いているように、そのどうすればいいのかわからない気持ち、悩みをそのまま神様にお祈りしてみてください。
最後に、みなさんの周りにいる人を思い浮かべてください。その人はもしかしてお祈りすることを知らないかもしれません。だれかのお祈りを必要としているかもしれません。そんな人たちのためにわたしたちはかわりにお祈りすることができます。これを執り成しのお祈りといいます。たとえば、今日は家族のだれかが出張の日だから安全な旅ができるようにお祈りしよう、友達が病気になってしまったからその子のためにお祈りしよう、など、またあの人はいつも怒りっぽいけど今日はなんだか嬉しそうだからその人が嬉しいと思えていることを感謝しようなどです。
こうして考えてみると神様にお祈りすることってたくさんあると思いませんか?次回はわたしたちがお祈りしたときの神様の答えについてお話したいと思います。
02-18-2012
森春香
森春香
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