2012年12月24日月曜日

あらののはてに

https://soundcloud.com/mko-6/e1ub9iyunviv

http://www.youtube.com/watch?v=hh_ZGFgX3pg


1. あらのの果てに 夕日は落ちて
    たえなる調べ あめより響く
※  グロリア イン エクセルシス デオ
  グロリア イン エクセルシス デオ(いと高きところ、神に栄光あれ)
2. 羊を守る 野辺の牧人
  あめなる歌を 喜び聞きぬ
3. みうたを聞きて 羊飼いらは
    まぶねに伏せる 御子を拝みぬ
4. 今日しも御子は 生まれ給いぬ
     よろずの民よ 勇みて歌え

もろびとこぞりて

https://soundcloud.com/mko-6/t6lbo5zebrhw

1. もろびとこぞりて 迎えまつれ   久しく待ちにし 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

2. この世の闇路を 照らし給う   たえなる光の 主は来ませり   主は来ませり 主は、主は来ませり

3. 平和の君なる 御子を迎え   救いの主とぞ ほめたたえよ   ほめたたえよ ほめ、ほめたたえよ



みくにをもみくらをも

https://soundcloud.com/mko-6/alhnqhmg93mq


1. みくにをもみくらをも あとにすてまして、
   くだりにしイエス君を うくる家あらず。

   (くりかえし)
   住みたまえ、きみよ、 ここに、この胸に。
  
2. みつかいは声たかく み名をほむれども、
   かみの子はまぶねに うまれたまいけり。

3. きつねにも穴はあり、 鳥に巣はあれど、
   ひとの子は地のうえに ねむりたまいけり。

4. つながれしつみびとを はなちます君を、
  カルバリにくるしめし 人のつれなさよ。



In the Bleak Midwinter/凍えそうな寒い夜

https://soundcloud.com/mko-6/in-the-bleak-midwinter

http://www.youtube.com/watch?v=PeMbB50aDRE




1. In the bleak midwinter, frosty wind made moan, 
    earth stood hard as iron, water like a stone; 
    snow had fallen, snow on snow, snow on snow, 
    in the bleak midwinter, long ago.

凍えそうな寒い冬
土は凍り霜はたち
キラキラ雪が舞い降りる
遠い昔冬の夜

2. Angels and archangels may have gathered there,
    Cherubim and seraphim thronged the air;
    But His mother only, in her maiden bliss,
    Worshipped the beloved with a kiss.

天使たちが空に舞い
喜びの歌地に響く
母マリヤは幼子に頬を寄せて愛おしむ

3.  What can I give him, poor as I am? 
      If I were a shepherd, I would bring a lamb; 
      if I were a Wise Man, I would do my part; 
      yet what I can I give him:  give my heart.

僕は何をささげよう
貧しい僕には何もなく宝物も何もない
僕の心を主にあげよう
この心主よ 受けたまえ 主よ



2012年12月21日金曜日

ドウェイン・レモンの証 17 ~結び~


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。   

 今からひざまずいてお祈りします。もし心から罪の赦しを求めるならば、イエス様はわたしたちのどの様な罪でも赦してくださいます。罪人としてひざまずいてお祈りしても、お祈りの後には聖なる者として立ち上がることができるのです。皆さんにそのことを体験して頂きたいです。サタンは、「お前の罪は許されない。神様の律法をすべて守って、聖なる者と認められ、天国に行くことなんてお前にはできない。」とささやき、人々を惑わします。しかしマルチン・ルターが言ったように、「その通り、わたしは罪深いです。弱さもあります。しかしわたしのために死んでくださった方がいて、今では天を治められているのです。そして彼はわたしの仲介者です。彼によって、わたしは神様の愛する者とされているのです」とわたしたちも言いたいです。

 みなさんはこのメッセージを信じますか?もし信じるなら、その場で立ってください。ダニエル書12章に、イエス様はわたしたちのために立ち上がられると書いてあります。もし今あなたがイエス様のために立ち上がったのなら、イエス様も皆様のために立ち上がられました。そして、今みなさんのすぐそばにおられるのです。辛いことがたくさんあるかもしれません。試練が襲ってくるかもしれません。しかしイエス様は、「どうやって自分の試練に立ち向かうか、そして十字架を負うかをわたしは知っている。教えてあげよう。わたしと一緒に歩みなさい。」と招いておられます。みなさんがイエス様と歩むことを願っています。わたしもイエス様と歩みたいです。今こそ心からクリスチャンとなるべき時です。心からです。今、神様の御前にひざまずき、神様に心を尽くしてお祈りしましょう。

 「天の父なる神様、あなたのために立ち上がった人たちをあなたは見られました。神様、わたしたちはまだ想像することしかできませんが、天国に感謝します。天の御使いたちは「ハレルヤ!」と叫んでいます。なぜなら、この中にいる人たちが今日、あなたに従う決心をしたからです。あなたのために生きたいです。神様、毎日わたしを暗闇から引きだし、あなたの偉大なる光のなかに導いてくださっていることを感謝します。そして、わたしたちの友人、兄弟姉妹一人ひとりのためにお祈りします。あなたは、彼らを暗闇から引き出すこともおできになるからです。わたしたちの決意を固めさせてください。聖霊で満たしてください。あなたの御心が行われますように。また、わたしたちの罪を赦してくださり、ぬぐいとってくださったことを感謝します。わたしたちが死ぬ時まであなたに忠実でいられますように。そして義と認められますように。イエス様の非の打ち所のない人生に感謝します。イエス様のようにわたしたちも生きられますように。この感謝と祈りをイエス様の御名を通してお祈りします。アーメン。」

おわり

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年12月20日木曜日

ドウェイン・レモンの証 16


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。  

 「イエス様がいつ来られても大丈夫。わたしたちが罪の中にいても、全員救ってくださるのだから。」聖書はそう言っているでしょうか?イエス様は、罪の中にとどまると決めた人たちを救うことができますか?マタイによる福音書1章21節にこう書いてあります。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」「罪から救う」と書いてあります。罪から救ってくださるということは、人間に与えられている最高の祝福であり福音です。みなさんは、今どれだけ多くの人が罪に縛られて生きているかご存知でしょうか?わたしはいま長老として働いていますが、その前にも様々な役目を教会で担ってきました。しかし、実際にわたしも罪深く、罪の中に生きていました。たとえ朝に登壇してお説教をしたとしても、夜には罪の暗い洞窟へと入ってしまっていたのです。セブンスデー・アドベンチスト教会員でありながらです。わたしはいつも青年たちに伝えます。「君たちがどんな状況に対面しているかよく分かるよ。」そして大人には、「皆さんが、いつもこうあるべきだ、という理想像を掲げて、それに少しでも近づけるようにクリスチャンをただ演じているだけの人もいます。」と言います。イエス様は今日わたしたちを救いたいと思っておられるのです。愛する兄弟姉妹であるみなさん、もしかしたらみなさんは偶然このお話を聞いていると思うかもしれません。しかしわたしは、神様が皆さんの手をとってここに導いてきて、必要なメッセージを聞かせようとこの場に集わせてくださったと信じています。

 今日はわたしの証でしたが、みなさん一人ひとりにも自身の証があるはずです。そして、みなさんがもっているその証を必要としている人がどこかにいるはずなのです。なぜなら、人々は困難の中にあるからです。私自身、このように神様のメッセージを伝える人になるとは想像もしていませんでした。わたしがここまで神様に委ねるようになるとは思っていませんでした。しかし、これが神様はよい方であることを証し、わたしたちを悔い改めへと導いてくれます。

 みなさん、わたしは自分が罪びとではないと言っているのではありません。わたしは自分の弱さを知っています。わたしは今まで以上にイエス様が必要だと実感しています。毎日が上り坂のようです。しかし上り坂も毎日上り続ければ、いつかは頂上にたどり着きます。イエス様は、わたしたちに上り続けるようにと励ましておられます。神に従う人は七度倒れても起き上がります(箴言23章16節)。どんな罪が皆さんを縛り付けているかは関係がありません。イエス様は、みなさんにその罪に対する勝利を与えることができます。ただわたしたちがそれを受け入れる必要があるのです。よく聞いてください。みなさんのお父さんやお母さんは、いつも完璧な模範ではないということを理解しています。そしてお父さんやお母さんである皆さん、皆さんはたまに困難の中にあって、自分とイエス様との関係を修復しようとしておられる時があるということを知っています。そして青年たち、この世の中には魅力的でわたしたちの気を引くものがたくさんあります。しかしイエス様は、もうすぐ再び来られるので、真実を手放さないようにしっかりと握っておくようにとわたしたちに命じられました。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年12月19日水曜日

ドウェイン・レモンの証 15


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。 

 わたしが今から話すことは、特に聖書を教える立場にある人によく聞いていただきたいです。わたしはある告白をします。わたしが教会へ通い始めて伝道に力を入れ始めた頃、わたしがお説教のために登壇すると、そこはわたしのためのステージになっていました。サタンは簡単には諦めません。何百年も前にコンスタンティンに使った手法を、サタンは今日も使っています。サタンは、迫害の効果が無いなら、異教徒の教えをクリスチャン風に仕立てて、人々を神様から引き離そうとしてきました。日曜礼拝もその一つです。愛する兄弟姉妹たち、サタンは今日、わたしたちにも罠を仕掛けてきているのです。

 わたしはお説教の時、会衆を感心させるためだけにたくさんの聖句を引用しました。会衆はそれを好んでいました。人々がわたしを誉めれば、わたしは、「神をたたえよ」と謙遜なふりをしました。わたしは人に見られることが、そして自分のお説教に様々なコメントを頂くことが大好きでした。わたしは福音を自分の栄誉のために伝えていたのでした。

 しかしある日、主はわたしに示されました。「息子よ、もし本当に救われたいのなら、あなたは、人々から承認を受けたいという願望を完全に手放しなさい。」

 わたしにとってイエス様は十分でなく、自分と同じような罪深い人間から「あなたのやっていることは神様の仕事だ。」と認めてもらいたかったのでした。わたしが説教をすることで天国にて喜びが起きているということも、わたしの心を満たしませんでした。「アーメン!」と自分の言っていることは正しいと確証してくれる人を欲していたからでした。
 
 神様はわたしの心に語りかけました。「今あなたがしていることは、ヒップホップゴスペルダンスで福音を伝えるふりをして名誉を求めていた時よりも忌まわしい。なぜなら今あなたは、わたしの言葉を用いて自分を高めようとしているからだ。」

 神様はわたしが謙遜になるためにあることをしました。どんな方法だったと思いますか?わたしはいつも「人から認められたい、受け止められたい。」と思っていました。神様は、「わたしの教会は危機の中にある。だから、わたしと人々を本当に愛しており、真実を語る人が必要である。そのメッセージは必ずしもみんなに受け入れられないかもしれないし、評判は良くないかもしれない。しかしイエスの愛が人々の心を動かす。真実を伝える事、それが天から定められた働きである。あなたはもう会衆を楽しませる人ではない。わたしの言葉を愛をもって率直に人々に伝えるのだ。もうすぐわたしは再び来るから、わたしの人々の準備ができていてほしい。」とわたしに語りかけたのでした。
 
 わたしはその言葉を受け入れて、聖書に書かれている真実を伝え始めました。すると、人々の注意を引くことに専念していたころとは違い、わたしが話していることを受け入れない人も出てきました。自分の生き方を妨害するようなメッセージを聞いたとき、人はそのメッセージを拒否するのです。そして神様は、わたしが人々から支持を得たいという欲望を手放すにはそれが一番いい方法だということを知っていました。神様のメッセージを伝え始めてから、わたしはイエスを信じるという事を学びました。そして真実を伝えるとはどういうことかを学びました。それはいつもうまくいくわけではないですし、否定されることもあります。しかし、イエス様はもうすぐ来られるのです。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年12月17日月曜日

コツコツと



 期末テスト週になるとため息の数が増えるのは、きっと僕だけじゃないはず。休みが間近に迫っているにもかかわらず、とても鬱々とした気分になります。そして、「一週間前から勉強しておけばよかったな」とか「学期始めから毎日コツコツと勉強しておけば…」なんてことを思います。
 そんな中、やはり多くのものは日々の積み重ねによるものだと気づかされました。勉強、スポーツ、音楽、仕事、聖書通読、人間関係など、どれもいきなり上手いことやるなんて中々できません。例えゲームにしたって、突然レベル100に上げることなど普通はできません。
 では、あなたと神様との関係はどうでしょうか?急に親密な関係になれると思いますか?例えば、あなたに新しく恋人ができたとします。初めは相手にぞっこん惚れていて、全てが良く見えます。でも時間が経つにつれて、少しずつ相手の嫌なところが見えてきたりします。それでも本当の愛と忍耐のあるカップルはそれを乗り越えて、さらに深い関係を築いていくことができるでしょう。
 僕の場合、神様と時間を過ごすほど、神様の嫌なところではなく自分の嫌なところが見えてきました。偉大なる神様の前に立つと、自らの弱い部分が浮き彫りにされるのです。それは痛く辛いものです。しかしそんな自分のために命を捨て、この不完全な僕を完全にしてくれる神様を再認識するとき、もっと神様と仲良くなりたいと思います。
 「もう少しの間自分の好きなことをやって、再臨が近くなったら神様のもとに戻ってくればいいや」と思う人がいるかもしれません。でも、いざという時に神様との関係を築ける保証はあるのでしょうか?2000年前から世の終わりは近いと言われています(*マタイ3:2)。今日は、その頃よりどれだけ近いでしょう。しかしいつ世の終わりが来るか僕たちにはわかりません(*マタイ24:36)。それは抜き打ちテストのようなものです。「神様は意地悪だ」と思いますか?そんなことはありません。もしもテストの日時を知っていたら、ギリギリまで何もせず、最後の短時間で苦しみながら何とかしようとするかもしれません。しかし、正確な日時を知らず、でも近いうちに来ると知っていれば、いつ来ても良いように今から準備を始めないでしょうか?
 神様はあなたと今、関係を築きたいと思っています(*黙示録3:20)。あなたのために命を捨てたほど、愛しておられるからです(*ヨハネ3:16)。今日から毎日、少しずつでも神様と過ごす時間をとってみてはいかがでしょうか。

「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」
ペトロの手紙 一 1:13

*マタイによる福音書3:2「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
*マタイによる福音書24:36「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。」
*ヨハネの黙示録3:20「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をするであろう。」
*マタイによる福音書3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

著者:品末 拓真
編集者:森 春香

2012年12月9日日曜日

何のために生きよう

皆さんは東北大震災を覚えていますか?僕はその時横浜の家にいたのですが、今までに感じたことのない大きな揺れにとても怖くなったのを覚えています。

この震災で多くの人が職を失い、家を失い、家族を失い、自らの命を失いました。僕は今でも心が痛みますが、それと同時に人間のもろさとこの世の空しさについて考えさせられます。

僕たちはいつ死ぬかもわからないのに、死などきっと遠い将来のことだと考えます。津波で簡単に取り去られるようなものを手に入れるために必死で努力します。そしてこのような出来事を体験した時、本当に大切なものはお金では買えないのだと気づかされます。

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
コリントの信徒への手紙 二 4:17,18

あなたは今、何のために生きていますか?何を一番にしていますか?それはあっけなく消え去るものでしょうか?それとも永遠に続くものでしょうか?

僕たちにはそれを選択する権利が与えられています。僕は見えないものを選びます。あなたはどちらを選びますか?


執筆者:品末拓真


(これは10/8にhttp://www.facebook.com/adventistyouthjp掲載されたものです。)

2012年12月2日日曜日

怒りの対処法


 みなさんはどうしようもないほど怒ってしまったとき、その煮えたぎるような感情をどう対処していますか?聖書の詩編59編には、ダビデがサウルから逃れようとしているときにダビデが書いた詩が記録されています。正しいことをしようとしているダビデを殺そうと追ってくるサウルに対して、怒りを覚えるダビデの感情が書き表されています。この詩から学べる怒りの対処法には5つのステップがあります。

1. 神様に助けを求める。
2. 神様に状況を説明する。
3. 怒りの感情を正直に神様に打ち明け、手放す。 
4. 賛美する。
5. その経験から何を学んだか考え、成長する。


1. 神様に助けを求める
 「わたしの神よ、わたしを敵から助け出し 立ち向かう者からはるかに高く置いてください。悪を行う者から助け出し 流血の罪を犯すの者から救ってください。」(詩編59:2-3)。ダビデは敵、又は悪を行う者から助け出されることをまず神様に求めています。

2.神様に状況を説明する。
 「御覧ください、主よ 力ある者がわたしの命をねらって待ち伏せし 争いを仕掛けて来ます。罪もなく過ちもなく 悪事をはたらいたこともないわたしを 打ち破ろうとして身構えています。」(詩編59:4-5)。ここでダビデは、自分の善い行いにもかかわらずサウルが襲ってくるという状況を神様に話しています。神様は全知全能なので、ダビデが状況を説明する前からすべてのことをご存知でした。ではなぜ彼は祈ったのでしょうか?お祈りは、神様とのコミュニケーションのためにあります。コミュニケーション無しで誰かと関係を築く事はできません。人間が神様との関係を築くために、祈りは必須なのです。それと同時に、祈ることによってむしろわたしたち自身が状況を明確に把握することができます。

3. 怒りの感情を正直に神様に打ち明け、手放す。
 「(6)あなたは主、万軍の神、イスラエルの神。目を覚まし、国々を罰してください。悪を行う者、欺く者を容赦しないでください。(14)御怒りによって彼らを絶やし 絶やして、ひとりも残さないでください。」(詩編59:6,14)ダビデはこのように怒りの感情を神様にぶちまけました。怒りを抑えつけるのは体にもよくありません。しかし、何にでもあたりかまわず怒りをぶつけていると、周りの人や物を傷つけてしまいます。また、自分の怒りを受け止めきれない人に矛先を向けてしまうと、今度はその人が耐えられないでしょう。ではどの様にして怒りを発散するべきなのでしょうか?わたしたちの怒りを受け止めきれるお方に打ち明けねばなりません。神様は人間のどの様な怒りをも受け止めることができます。ダビデがお祈りでしたように、自分の怒りを正直に御前に差し出しましょう。わたしたちがどういう気持ちなのか打ち明けてほしいと神様は思っておられます。それは、神様がわたしたちと個人的な関係を築きたいと望んでおられるからです。そして神様に怒りを打ち明けたあとは、その怒りにしがみつき続けるのではなく、手放しましょう。神様はわたしたちの怒りを取り除き、心に平和を与えてくださいます。

4. 賛美
 「わたしは御力をたたえて歌をささげ 朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場。わたしの力と頼む神よ あなたにほめ歌をうたいます。神はわたしの砦の塔。慈しみ深いわたしの神よ。」(詩編59:17,18)あれほど怒っていたダビデですが、怒りを神様に打ち明け、手放したあとは神様を賛美しています。彼の心に平和がおとずれたのです。

5. その経験を通して何を学んだか考え、成長する。
 神様はわたしたちに常に成長してほしいと望んでおられます。自分の人生を神様に捧げると決心した後は、成長し続けるべきなのです。ダビデは自分を殺そうと追ってくるサウルに対する怒りを、神様に打ち明けて手放すことができました。洞窟にてダビデはサウルを殺すこともできましたが、サウルが主が油を注がれた方であるからと言って、手をかけませんでした。そしてサウルの上着の端を切り取りました。「しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し」(サムエル記上24:6)ます。なぜなら、それは主が油を注がれた人の上着だったからです。ここにダビデの成長が見られます。あれほどサウルに対して怒っていたダビデですが、サウルを殺そうと思えば殺せたのにそうせず、上着を切り取ったことすら後に後悔しました。

 この詩編59編からわたしたちが学べることは、神様がわたしたちの怒りを受け止めることのできる大きなお方であり、祈りを通して怒りを御前にそのまま持っていく大切さ、怒りのような醜い感情であっても、神様はわたしたちから伝えてほしいと思っておられること、そして神様には私たちの醜い感情を取り除き、平安を与える力があるということです。神様に全てを委ね、成長していきましょう。

著者:森 春香
編集者:品末拓真


2012年12月1日土曜日

きよしこの夜

もうすぐクリスマスですね!
クリスマスといえばこの曲。何人かのメンバーで演奏し、録音したのでぜひ聞いてみてください。

http://soundcloud.com/mko-6/wroksrtszgim

http://www.youtube.com/watch?v=rLqTfXLJWMQ