期末テスト週になるとため息の数が増えるのは、きっと僕だけじゃないはず。休みが間近に迫っているにもかかわらず、とても鬱々とした気分になります。そして、「一週間前から勉強しておけばよかったな」とか「学期始めから毎日コツコツと勉強しておけば…」なんてことを思います。
そんな中、やはり多くのものは日々の積み重ねによるものだと気づかされました。勉強、スポーツ、音楽、仕事、聖書通読、人間関係など、どれもいきなり上手いことやるなんて中々できません。例えゲームにしたって、突然レベル100に上げることなど普通はできません。
では、あなたと神様との関係はどうでしょうか?急に親密な関係になれると思いますか?例えば、あなたに新しく恋人ができたとします。初めは相手にぞっこん惚れていて、全てが良く見えます。でも時間が経つにつれて、少しずつ相手の嫌なところが見えてきたりします。それでも本当の愛と忍耐のあるカップルはそれを乗り越えて、さらに深い関係を築いていくことができるでしょう。
僕の場合、神様と時間を過ごすほど、神様の嫌なところではなく自分の嫌なところが見えてきました。偉大なる神様の前に立つと、自らの弱い部分が浮き彫りにされるのです。それは痛く辛いものです。しかしそんな自分のために命を捨て、この不完全な僕を完全にしてくれる神様を再認識するとき、もっと神様と仲良くなりたいと思います。
「もう少しの間自分の好きなことをやって、再臨が近くなったら神様のもとに戻ってくればいいや」と思う人がいるかもしれません。でも、いざという時に神様との関係を築ける保証はあるのでしょうか?2000年前から世の終わりは近いと言われています(*マタイ3:2)。今日は、その頃よりどれだけ近いでしょう。しかしいつ世の終わりが来るか僕たちにはわかりません(*マタイ24:36)。それは抜き打ちテストのようなものです。「神様は意地悪だ」と思いますか?そんなことはありません。もしもテストの日時を知っていたら、ギリギリまで何もせず、最後の短時間で苦しみながら何とかしようとするかもしれません。しかし、正確な日時を知らず、でも近いうちに来ると知っていれば、いつ来ても良いように今から準備を始めないでしょうか?
神様はあなたと今、関係を築きたいと思っています(*黙示録3:20)。あなたのために命を捨てたほど、愛しておられるからです(*ヨハネ3:16)。今日から毎日、少しずつでも神様と過ごす時間をとってみてはいかがでしょうか。
「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」
ペトロの手紙 一 1:13
*マタイによる福音書3:2「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
*マタイによる福音書24:36「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。」
*ヨハネの黙示録3:20「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をするであろう。」
*マタイによる福音書3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
著者:品末 拓真
編集者:森 春香
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