2014年3月29日土曜日

3/29 (土)クリスチャン以外は救われない?

「たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。」ローマ2:14

イエス様のことも聖書のことも、人生で一度も聞くことなく死んでいった人を、神様は救ってくださらないのかな。

教会で育った子供なら一度は考える疑問だと思います。ぼくはよく考えました。

僕らはみんな、クリスチャンであろうがなかろうが、最終的に神様の律法に従ってるかどうかによって裁かれます(マタ25:31-46; コヘ12:13,14; ロマ2:12; ヤコ2:12)。
でも僕らは自分の力で正しく生きることができない以上、クリスチャンであろうがなかろうが、イエス様の恵みが必要なんです(ロマ3:23,24)。僕らの心を、神様の愛の律法に従う心につくりかえてくださるイエス・キリストの恵み。それは、求める人にはだれにでも与えられます(マタ7:7,8)。

神様は世界中の全ての人が、真理を知って救われてほしいと望んでいます(1テモ2:4)。だから神様はクリスチャンであろうがなかろうが、世界中全ての人の心に語りかけ続けてる(イザ30:21)。その声に心開いて、それに従うことを求めるなら、神様はクリスチャンに対するのと同じように、喜んでその人にキリストの恵みを与えてくださいます(歴下16:9上)。

だから、要は心の問題なんです。正しい良心を願い求め、語りかける神様の声に喜んで聞き従っていく心。それは、信じる心です(ヤコ1:27)。その心を持つ人を、神様は決して見捨てられません。

パウロは、終わりの日に、イエス様についても聖書についても何も知らなかったような人々が救われるのをみるだろう、と言っているのです(ロマ2:16)。それは、彼らが信じる心を持っていたからです(マタイ12:41,42)。神様について知っている人ではなく、神様に従っていく心を持つ人が救われるからです(ロマ1:16,17)。

僕たちは、信じる心をもっているだろうか。イエス様のことも、彼のみことばもよく知っている僕たちは、それに喜んで聞き従おうとする心を求めているだろうか。


今期の安息日学校教課は、イエス様と、彼の律法についてです。イエス様の福音と律法との関係をもっともっと深く理解し、何よりも僕たちが、聞くだけでなく実際に従っていく心を持つことができるよう、祈りつつ勉強していきましょう。

執筆: 山地悟

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