2014年3月31日月曜日

3.31 (月)なんで神様こんなこと


 「なんで神様はこんなことをされるんだろう。どうしてこんなこと言うんだろう。」

そんな疑問が湧き上がった心を、サタンは決して見逃しません。すかさずこんなことをささやいてくるのです。
「ほんとに神様は愛なのか?」「僕らより自分のことの方が大事なんじゃない?」「大体そんな神様の言うこと、信頼できるのか?」

エデンの園で最初にひびいた誘惑の声は、今も僕たちの心の中に聞こえてきます。
「なんでこんな変なことを神様は僕らに命令するんだ?守らなくたって大した問題じゃないよ。第一こっちの方が全然いいじゃない!」(創3:16
それは、唯一の愛の神様に対する僕らの信頼を失わせるためです(ルカ18:19; ヤコ1:17; 2コリ4:4)。唯一の救いの神様から僕らを引き離し、永久に滅びの中に閉じ込めておくためです(箴7:2127, 8:36)。

神様について疑問が起こることは罪ではありません(ハバクク1; マタ27:46)。神様は、僕らが盲目的に従っていくことを決して望んでいません。
ただ神様は、「一緒に論じ合おう。」と言われます(イザ1:18)。わたしの愛と知恵が見えなくなっても、わたしから離れるんじゃなくて、その疑問をもったままわたしのもとに来なさい。わたしはあなたに愛の確証を喜んで与えよう。わたしの知恵を喜んで教えよう(ヤコ1:5)。神様は、ご自分のことを僕たちに現したいと、心から望んでおられる神様です(申4:29; 8:17)。

しかし、神様のなさること、おっしゃることが、僕らに全て分かるわけではありません。それは神様が神様であることの大きな証拠です(イザ55:8,9)!
わたしのすることがたとえいまは分からなかったとしても、わたしが愛であることを疑ってはならない(1ペテ2:3,4; ヘブ11:6)。わたしの命じること、行うことは、すべてあなたの幸せのためであり、あなたの命のためであることを決して忘れてはならない(ヘブ5:6; 10:12, 32:46,47)。そう神様は言われます。

まもなく、神様と再び、顔と顔を合わせて出会う時。そのとき、僕たちは彼の栄光をはっきりと見、今まで不可解だったあらゆることに答えが与えられるのです(1コリ13:12)。
神様は、愛だったんだ!そうすべての人が理解する日がくるのです(イザ45:22-24)。

その日まで決して信仰を失うことなく、神様の言葉に従って歩んでいきましょう(ヘブ10:35-39)。

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