2012年3月26日月曜日

マズローの欲求

「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
            マタイによる福音書6:31-33

            みなさんは心理学者、アブラハム・マズローの欲求段階説というものを聞いたことがありますか? 欲求段階説ではわたしたち人間の動機となるものがあげられています。 マズローのピラミッドには「生理的欲求」つまり食欲、睡眠欲、性欲など原始的欲求を底辺とし、その上に順に「安全の欲求」、「所属と愛の欲求」、「尊重の欲求」、そして頂点に「自己実現の欲求」というものがあります。マズローによると、まず底辺の「生理的欲求」が満たされるとその上の「安全の欲求」が現れ、それを満たそうとする。それが満たされれば一つ上の層である「所属と愛の欲求」が現れ、それを満たそうとする。というものです。マズローによれば、人間は自分の生理的欲求がまず満たされなければ、ほかのことにも目が向けられないし、むしろ他の人を愛することなんてできないということです。みなさんはマズローの欲求段階説に賛成しますか?
          イエス様は聖書のマタイによる福音書6章31節で 「だから『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。」と言われます。マズローのピラミッドの一番下にある生理的欲求を心配する必要はないと言っています。なぜでしょうか? 神様はわたしたちに何が必要かご存知です。しかしまず神様の国と義を求めてほしいと言っておられます。そしてわたしたちがまず神様の国と神様の義を求めたとき、すべてわたしたちに必要なものは神様が与えてくださるという約束がされています。神様の国というのは私たちの地球上にあるどの国ともくらべものにならない素晴らしいところ、天国です。神様の義というのは、罪深いわたしたちを正しいものとする力があります。 つまり、この世の中の心配ではなく、神様を知ること、そして「神様の御心はなんですか?」と聞き求めて神様に従っていったとき、神様は必要なものを与えてくださるのでわたしたちは食べ物や着るものの心配はしなくていいということです。
            一日を始める前に「神様、今日あなたの御心のままにわたしをもちいてください。やるべきことを教えてください。そしてそれを行うだけの力を与えてください。」とお祈りしてみてください。神様の御心が行われるようにお祈りしたとき、神様は必要なものを必要なときに与えてくれます。
03-26-2012
森 春香

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