2012年3月5日月曜日

塩人間

塩人間 
マタイ5章13節
あなた方は、地の塩である。もし塩の効き目がなくなったら,何によってその味が取り戻されようか。もはや、何の役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけである。
INTRO
私たちクリスチャンは、塩人間です。本来のクリスチャンはみんな塩人間として生活するべきなのです。さて、塩人間とは何でしょうか?最近の研究によりますと、塩はなんと14,400以上の使い道があるらしいです。今日は、そのうちの五つの使い道を私たちクリスチャンの生き方と比べてみたいと思います。
BODY
1.塩は、塩っ辛い。(ヨハネ4の14)私たちは、塩っ辛い人生を生きる使命があるのです。それは、私たちの塩っ辛さのあまりに私たちの周りの人たちが皆、私たちの日々の生活を見るだけでのどがからからになることです。しかし、わたしたちは、水ではありません。私たちの主イエスキリストこそが命の水です。塩っ辛い人生を生きてこの世界を命の水、イエスキリストに導きましょう。
2.塩は味がある。この悲しくてむなしい世界に希望、愛、優しさと楽しさで味つけしましょう。本当のクリスチャンは世界一、愛と希望と楽しさであふれる心を持っているはずなのです。あの独特のすばらしいイエスキリストの味でこの世界に愛と希望を伝えましょう。
3.塩は、氷を溶かす。この冷たい世界をキリストの愛と真実で溶かしましょう。人の心の周りに固まっている氷をキリストの愛と真実で優しく溶かしましょう。悲しい現実ですが、私たちの教会の中にも冷たくて、氷のような人がたくさんいます。私たち塩人間としてキリストの力によってお互いの氷のような心を溶かしあいましょう。そうすることで、神の聖霊が居心地よく私たちの心に住めます。
4.塩は、清めのシンボル。日本の伝統ではよくお葬式や誰かが亡くなられた時、家に入る前に塩を頭や肩にまきますよね。実は、ユダヤの習慣でも塩は清めのシンボルとして昔から使われていました。神様は我々クリスチャンを清めの塩としてこの世界へまいているのです。ですから、私たち塩人間として、死から解放されるという希望を伝えていきましょう。世の中の清めの塩になるために、神様は私たちを古い人生から清められました。
5.塩は、一粒一粒、固まりなし。塩同士固まってもあまり効果的じゃありません。逆に塩っ辛すぎて味はまずいし、健康にも悪いです。塩は、広がって味のないところで味付けし、氷のあるところを溶かし、清めの希望をもって前へ突き進むべきなのです。(マタイ24の14)全世界にキリストのみ国の福音を伝えましょう。(マタイ28の18-20)行け!!全世界の人間を命の水の元に連れてゆこう。塩人間として全世界の人ののどをからからにして、命の水、イエスキリストのもとにつれてゆこう。
CONCLUSION
·             私たち、クリスチャンとして、辛くて、味があって、氷を溶かして、清めの希望を持って、広がった塩人間になるのが使命だというのがわかりましたか?
·             この悲しくて、希望のない世界、友達,家族にキリストの力によって喜びと希望を与えたいと思いませんか?
·             あるところに、二つの町がありました。ひとつの町は、塩がたくさんあり、わりと裕福な暮らしをしていました。もうひとつの町も、わりと裕福な暮らしをしていました。しかし、この町は、ひとつ重要なものが足りませんでした、それは、塩です。塩がないために、その町は、時間がたつと同時に、病気が増えていきました。しかし、もうひとつの塩が豊富な町は何もしませんでした。また時間がたつと、塩のない町は、塩のほしさのあまり頭がおかしくなり、ノイローゼになり始めました。しかし、またも、塩が豊富な町は、何もしませんでした。更に時間がたつと、今度は、塩が摂取できないために塩のない町の人々はばたばたと死んでいきました。しかし、それでも、塩が豊富な町は何もしませんでした。そのうち、塩の豊富な町は、塩の使いすぎと食べ過ぎによる病気で、どんどんと死んでいきました。結果的に、塩が広がってないために、二つの町は、どちらも滅んでしてしまいました。
·             あなたはどうですか?この味のない、氷のように固まった世界を溶かして聖霊の力によって味付けしませんか?今こそ塩人間として、クリスチャンとして、人を命の水、イエスキリストのもとに連れていくべきではないでしょうか?
·       もっと効果的な塩人間として用いられるように神様にお祈りしましょう。
アーメン
福田ダニエル
03・04・2012

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