2013年1月4日金曜日

未来が見えず、辛くても


2012年を振り返ってみると、将来についてたくさん考えさせられたなと思います。多くの人に、「大学を卒業してどうするの?」と聞かれ、年を重ねるたびに自分の未来について悩む機会が増えたように感じます。

現在ぼくは大学で神学を勉強しており、上手くいけば2015年に卒業できます。しかし、明日何が起こるかもわからないのに、そんな遠い未来のことなんて全く想像できません。「牧師になるんだよね?」とよく言われますが、今の自分では「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」としか言いようがありません。

将来について考えるとき、僕の中で不安が大きく膨らみます。何も見えないからです。僕がいくら悩んだところで、未来は見えません。箴言20:22に「人の一歩一歩を定めるのは主である。 人は自らの道について何を理解していようか。」とあるとおりです。結局僕には将来何が起こるかわからないのです。

しかし、そのような僕に希望を与えてくれる言葉があります。イエス様は言われました。「然り、わたしはすぐに来る。」(黙示録22:20)

僕が将来について一つだけ確信を持って言えることは、イエス様が来られるという事です。しかも「すぐに」です。そしてその後、イエス様と歩み続けてきた人は「目の涙をことごとくぬぐい取って」もらい、死も悲しみも嘆きも労苦もなくなるのです(黙示録21:4)。なんと希望に満ちた約束でしょう。僕の目指す将来はそこにあります。だから、それまでの将来は見えなくても、もう大丈夫です。

この世には苦しいことがあります(ヨハネ16:33)。将来が分からなくて本当に辛いときもあります。しかし、自分に頼らずイエス様に頼り、常にイエス様を覚えて人生を歩むとき、イエス様は僕たちの人生の道筋をまっすぐにしてくださいます(箴言3:5と6)。「主よ、あなたの道をわたしに示し あなたに従う道を教えてください。」(詩編25:4)と日々祈りながら、イエス様の来られる日を待ち望み続けたいです。

「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。 
ヨハネの黙示録22:20と21

写真:僕のかけがえのない友達。祈っています。絶対に天国で会おう。


執筆者:品末拓真

(これは12/31にhttp://www.facebook.com/adventistyouthjpに掲載されたものです。)

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