2013年1月6日日曜日

ひと言おっしゃってください

わたしたちは聖書を通して、インターネットを通して、教会を通して、また様々な方法で神様のことを知ることができます。それは祝福であり特権です。しかし、それらの特権をどれだけわたしたちは活用して神様を知ろうとしているでしょうか?

ルカによる福音書7章1節ー10節には百人隊長の僕をいやす話が記録されています。百人隊長とその僕はローマ兵であり、神様から御言葉を伝えるために選ばれ、祝福されたユダヤ人ではありませんでした。
この百人隊長は彼の僕が病気で死にそうになっているのを見て、イエス様に助けを求めます。そして

「主よ、御苦労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えばそのとおりにします。」 
ルカによる福音書7:6-8

と言いました。
この百人隊長である彼は僕、つまり奴隷である一人をいたわり助けを求めたのです。ローマ人であるにも関わらず、イエス様は病気を治すことがおできになると信じました。しかし、自分は大した人でもないし、イエス様を家にお迎えする、もしくは自ら出向く価値もないものだから、とユダヤ人の長老や友人を通してイエス様にお願いします。興味深いことに、百人隊長が使わしたユダヤ人の長老たちはイエスにこう言います。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」と。実際にこの百人隊長はユダヤ人の会堂を建てた、誇る要素、また自分を正当化させる理由があり行動してきた人でした。しかし百人隊長である彼は自分自身のことを「ふさわしくない」ものと考えました。

彼は自分の力のなさを認め、しかしイエスにお願いすることを恐れませんでした。彼は奇跡をおこなうことをイエスに求めたのではありません。ただ「ひと言おっしゃってください。」と言いました。

この出来事が起こったカファルナウムという地はイエス様がよく訪れ住まわれた場所でした(マタイによる福音書4:13、ヨハネによる福音書2:12)。また神殿税を払うためにペトロに釣りをさせてその魚の口に銀貨一枚が入っているだろうと言われたのもカファルナウムです(マタイによる福音書17:24)。汚れた霊にとりつかれた男をいやした場所であり(マルコによる福音書1:21、ルカによる福音書4:31)役人の息子をいやした場所でありました(ヨハネの福音書4:46)

このカファルナウムではイエス様のことは知れ渡っていたでしょう。しかしこの百人隊長の信仰を見られたときイエス様は「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(ルカによる福音書7:9)と言われました。

わたしたちはこのカファルナウムに住むような人になっていないでしょうか?イエス様の存在を知っていながらただの良いお話で終わっていないでしょうか?聖書を手にしていながら神様を知らないままでいないでしょうか?神様との個人的な交わりをもちましょう。

この一つのことをすれば、もしくはしなければイエス様ともっと交わることができると心にあたる事がありますか?神様と交わることができるように、そのために日常生活でしていることを変えられるようにお祈りしましょう。神様に心を打ち砕かれた状態でくるとき、神様の必要を感じてみもとへ祈りを通して行くとき、神様はわたしたちをつくりかえてくださいます。


(これは1/5にEast Ridge教会で聞いたお説教をまとめたものです。)

執筆者:森春香
1/6/2013


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