2013年1月4日金曜日

ゴールのある人生


競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。
コリントの信徒への手紙1・9:25
 
最近全く運動をしていなかったので、先日久々に走ってみました。最初は気持ちよく走っていたのですが、途中から段々ときつくなり、「ここで止まって休もうか」と考え始めました。しかし、前に進まなければ絶対に寮に帰れないので、寮に着くことだけを考えながら前進し続けました。

やっと寮に着いた時、「はぁー」と最高に爽快なため息をつき、「この瞬間のために走ってきたんだ!」と思いました。

僕たちの人生と走ることにはたくさんの共通点があります。中でも大きいのは、ゴールではないでしょうか。ゴールがなく、それでも走り続けるのは何と辛いことでしょう。同様にゴールのない、目的のない人生はとても辛いです。ある人は、いい大学、就職、結婚、生活の安定等々、自分でゴールを定めます。


しかし、人にはいずれ死が訪れるのに、どんなにお金を稼ごうと、良い家に住んでいようと、最後の時にそれが何になるというのでしょう。朽ちる冠のために生きる人生は何と空しく、朽ちない冠のために生きる人生は何と報いが大きいでしょうか。

僕たちには明確なゴールが与えられており、それは何とも比べものにならないほど素晴らしいものです。僕たちはそれに向かってひたすら足を前に出し続けるのです。周りのものに目をとらわれそうになったり、先が見えなくて不安になったりする時もあります。それは、イエス・キリストから目を逸らす時です。

どんな時でもイエスを見つめ、ゴールに向かって前進するとき、僕たちは本当に意味のある人生を歩むことができるのです。

執筆者:品末拓真

(これは11/5にhttp://www.facebook.com/adventistyouthjpに掲載されたものです。)


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