2013年1月8日火曜日

天での戦い


一番初めに戦争の起きた場所は、争いが一番起こりえなさそうな場所であったと記録されていることをあなたはご存知でしたか?聖書はわたしたちにこう言います。「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった」(ヨハネの黙示録12:7-8)。一体何故この戦争は起き、何を巡って戦ったのでしょう?これらの問いに対する答えは、この地球とわたしたちの心に不安が満ちている理由を明らかにします。

この最初の戦争とサタンによる神様への反逆について、預言者エゼキエルはわたしたちにこんな情報を与えています。「翼を広げて覆うケルブ」と描写されているルシファーは、彼が創造されてから、「不正がお前(ルシファー)の中に見出されるように」なるまでは「無垢」でした(エゼキエル書28:14-15)。この「翼を広げて覆うケルブ(または天使)」という位が、ルシファーの反逆の重要なポイントになります。旧約聖書で、神様は聖所(御自身の王座の部屋)の縮小版をイスラエルの民に与えます(出エジプト記25:8)。パウロはこの聖所を「天にあるものの写しであり影である」と書いています(ヘブライ人への手紙8:5)。聖所の中には至聖所と呼ばれる特別な部屋があり、そこには十戒を納めた掟の箱がありました。箱の上は「贖いの座」で、その両端から「ケルビム」(またはケルブ)が「贖いの座」と箱を覆っていました(出エジプト記25:16-22;列王記上8:7参照)。

これによって、神様の王座は「贖いの座」であり、神様の律法こそが神様の王国であり土台となっていることが分かります。一度は「翼を広げて覆うケルブ」であったルシファーは、神様の律法を支持し、擁護する、すなわち「覆う」責任がありました。しかし、ルシファーの中に不正、あるいは罪が見出されたことによって彼の反逆が始まりました。では、罪とは何でしょう?「罪とは、法に背くことです」(ヨハネの手紙 一 3:4)。ルシファーは神様の律法、言うなれば天の統治の基盤を守るべきでありましたが、それに逆らいました。結果、天では戦いが起こったのです。

ところで、ルシファーの律法に対する主張は何だったのでしょう?預言者イザヤが与えてくれた、この大争闘に対するもう一つの大切なポイントを見てみましょう。「ああ、お前は天から落ちた 明けの明星(ルシファーの意)、曙の子よ…かつて、お前は心に思った。『わたしは天に上り王座を神の星よりも高く据え…いと高き者(神様)のようになろう』と」(イザヤ書14:12-14)。ルシファーの主張は、彼が神様のようになれるということでした。それは、神様の律法に従わないことは正しいということでした。彼は、彼自身が善と悪の区別をつけられると思いました。言い換えれば、ルシファーの反逆は独善(自分を自分で正しいとすること)に基づいていました。律法は制限的で、自由で知的な天使たちにそのようなルールは無用であると彼は言いました。この言葉は多くの天使を騙しました。そして、ルシファーに賛同した天使たちとルシファーは、彼らの反律法主義の主張と共に天から追放されました。

これらのことを踏まえると、地上で人の心がしょっちゅう不安を抱く理由をよりよく理解することができます。今日サタンは、神様の律法、つまり神様の政治の基盤を憎んでいます。神様は御自身の王国に住まう人々を捜していますが、そのために人々は天の律法を受け入れて生きることを望んでいなければなりません。これは、どの政府にも同じことが言えるでしょう。

サタンがエデンの園にいるアダムとエバに近づいたとき、彼は同じ手を使って二人を誘惑しました。お前たちは神様に従わないで、神様のようになれる(創世記3:1-4)。天にいた天使たちを堕落へと導いた同様の嘘で、エデンの園にいたアダムとエバも堕落したのでした。そして天使たちが天から追放されたように、アダムとエバもエデンの園から追放されました。「こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた」(創世記3:24)。アダムとエバの思いは、サタンによってゆがめられてしまいました。彼らの持った「肉の思い」について、パウロはこう書いています。「肉の思いは死であり…ます。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです」(ローマの信徒への手紙8:6-7)。

しかし神様は、人が死ぬのを放っておかれませんでした。神様はその独り子をこの世に送り、人に二度目のチャンスを与えられました。天の御国に入るためには、人は再び律法に従う必要があります。よってパウロはこう書きました。

聖霊もまた、わたしたちに次のように証ししておられます。「『それらの日の後、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」(ヘブライ人への手紙10:15-17)

この地上と人の心にあるすべての不安は、人は神様の律法に従う必要がなく、また神様なしで正しい者となることができる、というサタンの嘘を受け入れた結果でした。サタンはこの嘘を正義に見せかけようとしています。それはクリスチャンと自称する人々が、神様の律法は既に廃止されており、どういうわけか恵みによって神様の掟を守る必要がなくなった、と言っていることからわかります。ヨハネはこの独善という偽りに対して警告を発しています。「わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。『神を知っている』と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません」(ヨハネの手紙一2:3-4)。

この嘘に騙されない人々に対して、サタンは怒っています。「竜(サタン)は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証を守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った」(ヨハネの黙示録12:17)。

サタンが神様の律法を守る人々をどのように欺こうとするかを実際に聖書は明らかにしています。預言者ダニエルは、サタンが「法を変えようとたくらむ」と記録しています(ダニエル書7:25)。何故でしょう?それは、一つの掟を無視することは、すべての掟を破ったのと同様に有罪であること(ヤコブの手紙2:10-12)をサタンが知っているからです。

サタンは実に悪賢く十戒の内の一つの掟を変えてしまい、それに気づいている人は少ししかいません。彼はそれを教会の中で成し遂げました。わたしたちは、あなたが良く祈りつつ出エジプト記20章にある十戒を読み、どの掟が人の伝統と取り替えられてしまったかを見いだすことを勧めます。もしサタンがクリスチャンを神様の掟のどれかを無視するよう仕向けることができるのなら、サタンは彼らに反律法主義を支持させることもできます。

終わりの時、悪魔の欺きに抵抗し、自らが天の御国に忠実であることを証明する人々がいます。彼らは神様の律法からそれません。最初に起きた戦いは、神様の律法に関して起きたのでした。この地上での最後の戦いも、同じことを巡って起きます。ヨハネはその戦いで勝利を得た人々についてこう書きました。「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者(『彼(神様)の律法を行う人々』とも訳される)は幸いである」(ヨハネの黙示録22:14)。あなたがその勝利を得た人々の一人となられますように。

(これはGLOWウェブサイト http://glowonline.org/literature-2/war-in-heaven-2/ を訳したものです。)

翻訳者:品末 拓真
編集者:森 春香

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