「ずっと祈っているのに聞かれない」と思う時、とても辛いですよね。
昨年僕は日本で車の教習所に通っていました。試験場受験だったため、1回で合格するのは難しいと言われました。僕は仮免許の試験に1回、2回…5回落ちました。教習を始めてから5回目までに3か月も経っており(合宿なら本免許を6回もらえている)、僕はそのとき神様にブチ切れました。
「合格させてください。」と毎晩祈ってきたのに、神様が仮免許一つくれなかったからです。僕はその頃学校に行っておらず、教習と試験が僕の生活の全部でした。全てを否定されたようで、文字通り泣くほど辛かったです。そして僕は神様にとことん文句をぶちまけました。
次の日、何ら特別な事は起きませんでしたが、聖霊の導きにより信仰の弱さを痛感し、僕は心から悔い改めました。しばらくして6回目の試験を受け、落ちました。悲しかったですが、以前ほど気になりませんでした。もし免許をもらえなかったとしても、それが神様の望みならいいやと思えたからです。
7回目の試験日の朝、何となく聖書を開くと「神に従う人は七度倒れても起き上がる」(箴言24:16)という聖句が目につきました。そして僕は見事にその日の試験(7回目)に落ち、8回目で合格したのでした。
僕は今でも、なぜ仮免許の試験に7回も落ちたのかわかりません。しかしこの経験を通して、神様に人生を委ねる、ということが少しわかりました。神様は祈りを聞かれるお方です(詩編65:3)が、それは僕たちの願いをそのまま叶えてくれるという事ではありません。神様は僕たちの祈りに必ず耳を傾け、そして最善の道を備えてくれます(詩編37:23)。
それは自分の思っていたものとは違うかもしれませんが、神様の計画よりも良いものを誰が思いつくでしょうか?自分の思う通り(それがどんなによく見えても)にならなくても、「神様と歩いているから大丈夫」と主に完全に信頼して生きたいです。
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
常に主を覚えてあなたの道を歩け。
そうすれば
主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
箴言3:5と6
写真:開始から約半年でゲット。心なしかやつれて見えるが、大変喜んでいる。
執筆者:品末拓真
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