2013年5月25日土曜日

世の光


近頃、高校時代の友達に会う機会が何度かありました。彼らから見ると、僕=神学科生=真面目なクリスチャンです。そこで僕は自分の行いの影響力について考えさせられました。

僕たちは毎日、人々に囲まれて生きています。そして、僕たち(クリスチャン一人ひとり)の言動一つ一つが、人々の持つ「クリスチャン」というイメージを形成していくのです。

イエス様はこう呼びかけておられます。

「…あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書5:16

罪深く、弱い僕たちですけれども、世の光であられるイエス様(ヨハネ8:12)が僕たちの内から滲み出て、僕たちを世の光としてくださいますよう祈り求めます。

写真:彼らは相も変わらず男前です。


2013年5月24日金曜日

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。

エフェソの信徒への手紙1:17,18



2013年5月12日日曜日

卒業


先週の日曜日、サザンアドベンチスト大学の卒業式に出席しました。たくさんの仲のいい友達の晴れ姿を見ていたら、嬉しさと寂さが混ざってとても不思議な気分になりました。そして、もう二度と会えない友達もいるのかと思うと正直悲しくなりました。そんな事を考えながらなんとなく聖書を開いてみたら、この聖句に目がとまったので皆さんに紹介したいと思います。

「『主の名を呼び求める者はだれでも救われる』のです。」ローマの信徒への手紙10:13

私たちは人生のどこかで必ず仲間との別れを経験します。明日再会できるかもしれないし、もしかしたら一生会えないかもしれません。でもひとつだけ、私たちが知っている事があります。それは、イエス様がわたしたちの救い主であると信じ、イエス様を唯一の希望として呼びもとめるならば、天国で仲間とも必ず再会できるということです。まだ卒業式での別れの寂しさは少し残っていますが、仲間と共にイエス様を呼び求め続けたいです。そしていつの日かこの地球での人生を卒業して、誰とも別れることのない天国へ行くのを楽しみにしています。


                      (左から2番目と3番目の友達が卒業しました。また近いうち、もしくは天国で会えるのを楽しみにしています。)


西野貴基




2013年4月29日月曜日

箴言14:22

「罪を耕す者は必ず迷う。善を耕す人は慈しみとまことを得る。」

2013年4月23日火曜日

結婚

結婚…いつの日かしたいものです。
あなたは相手のことをよく知らないのに結婚できますか?僕には無理です。やはり相手のことをよく知ってから結婚したいです。結婚しなければ見えない部分もたくさんあるのでしょうが、だからと言って知らない人と生活を共にしたいとは思いません。ちゃんと時間を共有して、お互いの素を分かり合っていなければ、結婚などそうそう上手くいかないのではないでしょうか。
聖書ではイエス様を夫、教会を妻に例えることがあります(エフェソ5:23)。わたしたちは、夫であるイエス様をどれほど知っていますか?それ以前に、イエス様に興味を持っていますか?自分の夫を知ろうと時間をとっていますか?よく考えてみてください。知らない方と永遠を共に過ごしたいなんてどうして言えましょう。僕たちは何よりもまず、イエス様がどういう方なのか知り、関係を深めるべきではないでしょうか。
イエス様はもうすぐわたしたち花嫁を迎えに来ます。永遠に共に暮らすためです。あなたは本当にその準備ができていますか?
「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」マタイによる福音書25:13

写真:見てください。この幸せな顔を。二人が結婚しなければ僕も妹もこの世にはいません。


(4/22にhttps://www.facebook.com/adventistyouthjpに投稿されたものです。)

2013年4月17日水曜日

りんご


友達に紹介されたお話です。みなさんにも読んでもらいたいと思い、英語から翻訳しました。

数年前、あるセールスマンのグループが地方販売会議のためにシカゴへ行きました。彼らは金曜日の晩ご飯までには帰ると、それぞれの妻に伝えていました。チケットやかばんを抱え、帰りの飛行機に乗り遅れないようにと急いでいた時、一人のセールスマンがりんごを売っているテーブルをうっかり蹴ってしまいました。りんごはそこら中に散らばりましたが、どのセールスマンも見向きもせず、飛行機に何とか間に合いました。

しかし一人だけ、立ち止まり、深呼吸をし、りんごをひっくり返された女の子をかわいそうに思ったセールスマンがいました。彼は同僚に、自分をおいて発って、妻に遅くなると伝言してくれと伝えました。そして、たくさんのりんごが転がっているターミナルへと戻っていきました。

彼はターミナルに戻ってよかったと思いました。りんごを売っていた16歳の女の子は盲目だったからです。彼女は失望して泣きながら、手探りでりんごを探していました。でも、誰も彼女のために足を止めませんでした。彼は膝をついてりんごを拾い集め、テーブルの上に戻してあげました。

多くのりんごがつぶれたり傷ついたりしていたので、彼はそれらを違うバスケットに分けました。片づけ終わった時、彼はポケットから財布を取り出して彼女に言いました。「私達が傷つけてしまったりんごの分、この40ドルを受け取ってください。よろしいですか?」彼女は泣きながら首を縦に振りました。彼は更に、「私達が全てを台無しにしてしまわなかったことを願うよ。」と付け加えました。

彼がその場を去ろうとした時、困惑した盲目の女の子は彼のことを呼び止めました。「す、すみません…。」彼は振り返り、彼女の盲目の目を見つめました。すると彼女は、こう言いました。「あなたはイエス様ですか?」

彼は言葉の意味が理解できませんでした。そして彼女に、「私はイエス様ではないよ。イェス様は親切でやさしいし、思いやりがあって愛がある。第一に、君の売り場にぶつかるような事はしないよ」と返しました。

盲目の女の子は静かにうなずき、彼にこう言いました。「私がそう聞いたのは、イェス様にりんごを拾うのを助けてくれるよう、お祈りしていたからです。イエス様があなたを私のもとに送ってくれました。だから、あなたはイェス様のような人です。イエス様だけが彼の御心を行う者を知っています。イエス様の呼びかけに応えてくれてありがとう。」

次のフライトへと向かう中、彼の心の中ではあの質問が何度も繰り返されていました。「あなたはイエス様ですか?」


あなたは人々にイエス様と見違えられることはありますか?

それが私達クリスチャンの運命ではないでしょうか。イエス様の愛、命、恵みに対して盲目である世界に生きるわたしたちは、イエス様との違いも分からなくなるくらいに、イエス様のようになるべきではないでしょうか。

わたしたちがイエス様を知っていると主張するのならば、私たちはイエス様のように生き、歩き、行動するべきなのです。イエス様を知るという事は、ただ単に聖句を引用することや、毎週教会に行くことではありません。それは、与えられる人生の中で聖書の言葉を、イエス様を生きるという事なのです。

あなたは神様の目のりんご(ひとみ)なのです(英語でとても大切な存在という意味)。あなたが罪に堕落して、傷ついたにもかかわらずです。神様は立ち止まって、カルバリーという名の丘であなたと私を拾い上げ、私たちの傷の代価として、御自身を捧げられました。

「幸せになるという事は、全てが完璧という事ではない。それは、あなたが不完全さの向こうを見ようと決心したということである。」

翻訳:西野貴基
編集:品末拓真


2013年4月14日日曜日

「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。」
詩編139:23,24