2012年5月7日月曜日

ダニエル書7章-後半-1

自分で、ダニエル書を読んで勉強してみたい時に、どうぞこの図表を使ってみてください。ダニエル書の予言のだいたいのつながりと流れをもっと理解する事が出来るはずです。

ダニエル書の予言
2章
7章
8章
11章
バビロン
-
-
メデアとペルシャ
ギリシャ
アレクサンダー
大王
四つに分けられたギリシャ
ローマの分断
法王権
キリストが天国を受け入れる


英語のオリジナル:http://www.patmospapers.com/
翻訳:福田ダニエル




さて、ダニエル書7章のほとんどは四つ目の王国の説明と神様の審判について書かれています。前回の記事で説明したように、四つ目の王国はローマです。

その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていたわたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。”
ダニエル書7章7,8節

前回の記事で「十の角」は西ヨーロッパ近辺にあった王国であると説明しました。そして、三つの角(三つの王国)を抜き取る「小さい角」が法王権であることも説明しました。上の聖句の最後の文を読んでみて下さい。「小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった」とあります。この「目」と言うのは知恵、賢さを意味します。西ヨーロッパ近辺にあった「十の角」(10の王国)はどれも野蛮な人々の集まりでした。ですからこの「小さい角」が他の10の国よりも賢い集団であると伝えるために、「目」のある角と書かれたのです。しかし、「大きな事を語る口があった」と言うのは決してほめ言葉ではありません。大きな口というのは大抵おしゃべりな人、自分の立場をわきまえない発言をする人、大げさな人、ありもしないことを語る人のことを言います。ですから、「小さい角」が「大きな事を語る口」を持っているとは大変な事です。「大きな事を語る口」については後で詳しく説明します。

“わたしが見ていると、もろもろのみ座が設けられて、日の老いたる者が座しておられた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりもののない羊の毛のようであった。そのみ座は火の炎であり、その車輪は燃える火であった。彼の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた。”
ダニエル書7章9,10節

7章9節からは審判についての説明です。簡単に言いますと、天国で神様が天使たちと共に審判を行っている様子がここに描かれているのです。この審判は今でも続いています。神様は全ての人間の人生を、一人一人、調査しているのです。そして天国で永遠に暮らす者たちの名前は「かずかずの書き物」の一つである「いのちの書」に書きこまれるのです。ヨハネの黙示録にて「いのちの書」について詳しく書かれています。

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。”
ヨハネの黙示録13章8節

また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。”
ヨハネの黙示録20章12節

 上の聖句に書かれている通り「いのちの書」は裁きのために使われます。神様が来られた時に「いのちの書」に名前がある者のみが救われるのです。ではどうすれば「いのちの書」に自分の名前を書き入れてもらえるのでしょうか?そのためには、イエスキリストを救い主として信じ受け入れる必要があります。そして最後まで神様の力によって真実のために生き続けるのであれば、「いのち書」からあなたの名前が消される事は無いのです。つまり、神様と天国で永遠に幸せに暮らす事ができるのです。

ヨハネの黙示録13章8節で、「いのちの書」に名前がしるされていない者は「獣」を拝むと書かれています。実はこの「獣」は、ダニエル書7章に出てくる第四の獣、すなわちローマと法王権の事を言っているのです。聖書によりますと、いずれ法王権は聖書に反する法律を世界中の人々に押し付け、権力を用いてそれに従わない者を迫害します。彼らはこの世の終わりの時に、かの暗黒時代を遥かに凌ぐ力で神様の民を神様から引き離そうとするのです。そしてその時は、正に我々のすぐ目の前まで来ているのです。

しかし、我々には希望があります。たとえ迫害されようが、仕事を無くそうが、世間から侮蔑されようが、命が危険に晒されようが我々は何も恐れる事など無いのです。今の地球での命はとても小さなものです。最後までイエスキリストを信じ続け、真実を握り続けるのならば、幸せと愛に満ちた天国での永遠の命があなたに与えられるからです。

法王権と世の終わりについてはダニエル書11章とヨハネの黙示録に詳細に書かれています。ぜひ読んでみてください。ダニエル書の記事を書き終えた後はヨハネの黙示録についての記事を書き始める予定です。ダニエル書が聖書の予言の下級生クラスだとすると、ヨハネの黙示録は聖書の予言の上級生クラスです。ですからヨハネの黙示録を勉強する前に、まずはダニエル書をじっくり勉強して理解しましょう。

ダニエル書7章後半は長いので二つに分けました。
日々の祈りと聖書研究を欠かさず、イエス様と生きていきましょう。

作者:福田ダニエル

編集者:品末拓真

05/07/2012





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ダニエル書2300の予言図表

ダニエル書8章と9章の理解の助けになるはずです。この図表を使う時に知ってほしいのは、1BCと1ADの間に本来は0を入れるべきだったのですが、0がないので、BCからADに変わるときは、学者たちは「1」を足しています。たとえば、本来は490-457=33です。しかし、BCからADに変わるときは、33+1で34ADとなります。

作者:福田ダニエル

ダニエル書7章-前半

ダニエル書7章-前半

 これから7章前半を解説するのですが、まずはダニエル書2章を思いだしてください。7章では、2章と同じ事がもっと詳しく説明されているからです。また、ダニエル書の予言の全体の流れを知りたいのでしたら、「ダニエル書2300の予言図表」という記事が「ダニエル書」のラベルの下にあるので読んでみてください。7章から12章までは情報量がとても多いため、本来ならそれだけで本を何冊も書けてしまいます。しかし今回はそれを、手短に分かりやすく説明していきます。ですからこの記事を読んだ後にご自分で、ダニエル書の予言を友達、家族、牧師や先生たちと一緒にゆっくり勉強してください。

さて、ダニエル書2章と7章はどう違うのでしょうか?どちらも4つの王国について書かれています。2章では、大まかな歴史の流れと神様が地球で天国を設立する事に焦点が当てられていました。しかし7章では、4つ目の王国と神様が地球に来られる前に起こる裁判に焦点が当てられています。ですから、7章の主点は4つ目の王国と終わりの時の裁判です。2章と7章で書かれている事を比べ合わせる事で、バビロン王国から天国までの流れをもっとはっきりと理解する事ができます。それではまず、7章全体を簡単に説明したいと思います。

7章に出てくる四つの獣とは何でしょうか?聖書によりますと、獣は王様、あるいは王国を意味しています。

この四つの大きな獣は、地に起らんとする四人の王である』。
ダニエル書7章17節

彼はこう言った、『第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く』。
ダニエル書7章23節

それでは、一つ一つの獣がどの王国で何を意味するのか説明します。

第一の獣

“第一のものは、ししのようで、わしの翼をもっていたが、わたしが見ていると、その翼は抜きとられ、また地から起されて、人のように二本の足で立たせられ、かつ人の心が与えられた。”
ダニエル書7章4節

第一の獣はダニエル書2章で見た黄金の頭、つまりバビロンを指しています。面白い事にわしの翼やライオンというのは、ダニエル書以外でもバビロンを表すために使われています(エレミヤ書4章7節、エレミヤ書50章17,44節、エゼキエル書17章3,12節)。そして聖書の中だけではなく、発掘されたバビロンの壁の絵や芸術品を見てみると、翼を持ったライオンが描かれているのを見る事ができます。
 わしの翼が抜き取られるというのは、力と栄えが取り去られることを意味します。ネブカデネザル王の時代のバビロンは黄金時代と言われて栄えていましたが、ネブカデネザル王の後のバビロンは弱くなっていきました。そして、ライオンから人のようになるというのも、ライオンのように凄まじく強い王国から、人間のように弱い王国になることを表しています。

第二の獣

“見よ、第二の獣は熊のようであった。これはそのからだの一方をあげ、その口の歯の間に、三本の肋骨をくわえていたが、これに向かって『起きあがって、多くの肉を食らえ』と言う声があった。”
ダニエル書7章5節

ダニエル書5章に書かれているように、バビロンの次はメデアとペルシャ王国だと分かります。ですから、ライオン(バビロン)の次に来る熊はメデアとペルシャを意味します。熊の口の歯の間にある三本の肋骨は、メデアとペルシャが倒した三つの王国をのことを言っています。その三つの王国はバビロン、エジプト、リディアです。そして体の一方が上がっているのは、メデアとペルシャの中でもペルシャの方が力を持っていた事を表しています。

第三の獣

“その後わたしが見たのは、ひょうのような獣で、その背には鳥の翼が四つあった。またこの獣には四つの頭があり、主権が与えられた。”
ダニエル書7章6節

ダニエル書二章で説明したように、メデアとペルシャの次はギリシャです。そしてダニエル書8章21節にはっきりと、メデアとペルシャの次はギリシャと書いてあります。ですから、熊(メデアとペルシャ)の次に来るひょうはギリシャです。
 ギリシャの王、アレキサンダー大王は凄まじい速さで他の国々を征服していきました。大王は25歳(331B.C.)という若さでメデアとペルシャを征服しました。しかしそのような活躍をしていながらも、彼はかなり呆気ない死に方をしました。アレキサンダー大王は33歳(323B.C.)のときに酒の飲みすぎでひどい熱をだし、病気で死んでしまったのです。大王が死んだ後の王国は、四人の大将たち(セレウコス、プトレマイオス、カッサンダー、リサメイカス)に引き継がれました。
 ギリシャについては、ダニエル書8章の記事でもっと詳しく解説します。

第四の獣

その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。”
ダニエル書7章7,8節

 この四つ目の獣はローマを示しています。ダニエル書二章でローマは「鉄の足」、ここでは「大きな鉄の歯」とありますね。実際にローマは鉄のように強い国として知られていました。それでは、「十の角」は何を表しているのでしょうか?

“十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。”
ダニエル書7章24節

「十の角」は24節に書かれている通り、「十人の王」、あるいは王国を意味しています。

1.Visigoths ビシゴス(スペイン)
2.Anglo-Saxons -アングロサクソンス(イングランド)
3.Franks -フランクス(フランス)
4.Alemani -アレマニ(ドイツ)
5.Burgundians -ブルガンデアンス(スイス)
6.Lombards -ラムバドス(イタリア)
7.Suevi -スエビ(ポルトガル)
8.Heruli -ヘルリー
9.Ostrogoths -東ゴート
10. Vandals -バンダル

小さい角」は「十の角」の中から三つの角を根から抜き取りました。「小さい角」は法王権(ローマ・カトリックのシステム)を表しています。小さい角、つまり法王権が現れたときに、十の国の内の三つが倒されたという事です。現に、ヘルリー、東ゴート、バンダルの三つは法王権によって潰されました。他の7つの国はおとなしく法王権に従ったので名前は変わったものの、今でも国として生き残っています。

1.わしの翼を持ったしし-バビロン (605-539BC
2.熊-メデアとペルシャ (539-331BC
3.ひょうのような獣-ギリシャ (331-168BC
4.第四の獣-ローマ (168BC -476AD
-法王権 (476AD- 神の王国が来るまで)

はじめの三つの獣たちは割りと大雑把に、一節ずつのみで説明されているのに、四つ目の獣はかなり詳しく説明されていることにあなたは気づきましたか?7章のはじめの6節は三つの獣についてですが、7章7節から7章28節までは四つ目の獣の事が書かれています。要するに、神様はそれほど私たちに四つ目の獣について知ってほしいのです。2章でも分かったように、ギリシャの次に来る王国はローマです。なぜ四つ目の獣がローマなのか、そして四つ目の獣が私たちにどのような関係があるのかを次回説明したいと思います。
それまで共に、元気に、キリストを見つめながら人生がんばりましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012

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ダニエル書6章-後半


30日のあいだ王様以外の人や神に対してお祈り、又は礼拝してはいけないという法律が発布された後、ダニエルはどうしたのでしょうか?

“ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。”
ダニエル書6章10節(新共同訳 6章11節)

「以前からおこなっていたように」と書いてありますね。要するに、ダニエルは今まで通り祈り続けたのです。試練や災難、問題が訪れたら何かしよう、では遅いのです。困難に直面してからもっとお祈りをして神様を真面目に受け入れればいい、と言う人がいます。しかし、そういった考え方は間違っています。なぜなら、試練、災難、又は問題が訪れても、あなたの行いや考え方が突然に変わることはないからです。いざといった時には、あなたの日々の習慣があらわれるのです。ダニエルは禁令が出されてから、「よし、明日から一日に三度お祈りするぞ」と決めたのではありません。ダニエルは日課をただ続けました。ですから我々も、大変な時期が訪れるのを待たないで、今から毎日お祈りして、神様との時間をもっと過ごしましょう。

そして当然のようですが、お祈りを続けた結果ダニエルはししの穴へと投げ込まれました。

“そこでその人々は集まってきて、ダニエルがその神の前に祈り、かつ求めていることを見たので、彼らは王の前にきて、王の禁令について奏上して言った、「王よ、あなたは禁令に署名して、今から三十日の間は、ただあなたにのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人に、これをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れると、定められたではありませんか」。王は答えて言った、「その事は確かであって、メデアとペルシャの法律のごとく、変えることのできないものだ」。彼らは王の前に答えて言った、「王よ、ユダから引いてきた捕囚のひとりである、かのダニエルは、あなたをも、あなたの署名された禁令をも顧みず、一日に三度ずつ、祈をささげています」。王はこの言葉を聞いて大いに憂え、ダニエルを救おうと心を用い、日の入るまで、彼を救い出すことに努めた。時にその人々は、また王のもとに集まってきて、王に言った、「王よ、メデアとペルシャの法律によれば、王の立てた禁令、または、おきては変えることのできないものであることを、ご承知ください」。 そこで王は命令を下したので、ダニエルは引き出されて、ししの穴に投げ入れられた。王はダニエルに言った、「どうか、あなたの常に仕える神が、あなたを救われるように」。そして一つの石を持ってきて、穴の口をふさいだので、王は自分の印と、大臣らの印をもって、これに封印した。これはダニエルの処置を変えることのないようにするためであった。こうして王はその宮殿に帰ったが、その夜は食をとらず、また、そばめたちを召し寄せず、全く眠ることもしなかった。”
ダニエル書6章11-18節(新共同訳 6章12-19節)

ダリヨス王はダニエルのことを非常に信頼し、また尊敬していました。ですから、禁令に署名した結果、ダニエルがししの穴に投げ込まれてしまった事を大変後悔していました。夜も眠れないほどでした。しかし、偉大なる神様は奇跡を行いました。腹ペコで野蛮なライオンたちの口を閉ざし、ダニエルを守ったのです。

“こうして王は朝まだき起きて、ししの穴へ急いで行ったが、ダニエルのいる穴に近づいたとき、悲しげな声をあげて呼ばわり、ダニエルに言った、「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか」。ダニエルは王に言った、「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです。王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」。そこで王は大いに喜び、ダニエルを穴の中から出せと命じたので、ダニエルは穴の中から出されたが、その身になんの害をも受けていなかった。これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。”
ダニエル書6章19-23節(新共同訳 6章20-24節)

ダリヨス王はダニエルの事を『生ける神のしもべ』と呼んでいます。おそらく王様は、ダニエルの日々の生活での行いと態度を通して、ダニエルが真剣に信じている神様に対して興味を持っていたのでしょう。ダニエルは、自身が救われたのはすべて神様のおかげだと王に答えました。6章でも再び、神様の栄光が現されたのです。

“王はまた命令を下して、ダニエルをあしざまに訴えた人々を引いてこさせ、彼らをその妻子と共に、ししの穴に投げ入れさせた。彼らが穴の底に達しないうちに、ししは彼らにとびかかって、その骨までもかみ砕いた。”
ダニエル書6章24節(新共同訳 6章25節)

凄まじいですね。やはり、しし(ライオン)たちは相当お腹を空かして居たのでしょう。現に、投げ込まれた人々はあっという間に「骨までも噛み砕」かれてしまいました。ですから、ダニエルはたまたま優しい、お腹いっぱいのライオンたちの中へ投げ込まれたのだ、という解釈はできません。神様は凶暴で腹ペコなライオンたちの中からダニエルを救ったのです。

“そこでダリヨス王は全世界に住む諸民、諸族、諸国語の者に詔を書きおくって言った、「どうか、あなたがたに平安が増すように。わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅びず、その主権は終りまで続く。彼は救を施し、助けをなし、天においても、地においても、しるしと奇跡とをおこない、ダニエルを救って、ししの力をのがれさせたかたである」。こうして、このダニエルはダリヨスの世と、ペルシャ人クロスの世において栄えた。”
ダニエル書6章25-28節(新共同訳 6章26-29節)

そして6章は、ダリヨス王が真の神様を認め、その素晴らしさを全国に宣言して終っています。神様はネブカデネザル王にそうされたように、ダリヨス王にもダニエルを用いて真実を伝えられたのでした。

実は、1章から6章に書かれているダニエルと三人の友人の人生経験は我々が知っておくべき、とても大切なことです。我々クリスチャンは、イエスキリストがもうすぐ地球に帰って来られると信じています。そして、イエス様が帰ってこられる前には色々な出来事が起きます。ダニエル書の後半とヨハネの黙示録には、世の終わりの出来事について詳しく予言されています。ヨハネの黙示録の14章に描かれている最後まで生き残る人たちは、ダニエルたちのような人々なのです。ダニエルたちのように真実のために立ち上がり、どのような試練に直面しても、それを貫き通す人たちを神様は今でも求めておられるのです。世の終わりのときには、一つの教会がまるごと、ダニエルたちのように真実のために立ち続けると予言されているのです。終わりは近いです。あなたは、ダニエルたちのように神様の栄光のために生きてみたいですか?あなたもダニエルたちのように生きるチャンスがあります。キリストを心から受け入れ、日々、神様のお力とお知恵に頼っていくことで、あなたもダニエルたちのように真実を固く持って生きることができるのです。

次回からは、予言について詳しく説明を始めます。それまで日々お祈りし、聖書を勉強してがんばりましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/07/2012

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2012年5月5日土曜日

ダニエル書6章-前半


今回は、ダニエル書の12章ある内の6章目です。1章から6章までは物語が描かれていますが、7章から12章は予言について深く書かれています。ですから、6章が最後の物語の記事になります。7章からは予言について解説していきます。


ダリヨスは全国を治めるために、その国に百二十人の総督を立てることをよしとし、また彼らの上に三人の総監を立てた。ダニエルはそのひとりであった。これは総督たちをして、この三人の前に、その職務に関する報告をさせて、王に損失の及ぶことのないようにするためであった。ダニエルは彼のうちにあるすぐれた霊のゆえに、他のすべての総監および総督たちにまさっていたので、王は彼を立てて全国を治めさせようとした。”
ダニエル書6章1-3節(新共同訳 6章2-4節)

さて、5章の終わりでバビロンがメデアとペルシャ王国に滅ぼされた後の事です。ダニエルは敗北した国の大臣であったにもかかわらず、なんと新しい政府の総督に任命されたのです。普通だったら、負けた国の大臣は殺されてしまいます。しかし、ダニエルは殺されるどころか、敵であったダリヨス王の下で総督となったのです。ダニエルにはそれほどの実力と信頼があったということです。しかし、ダニエルが総督になったことを不満に思った大臣たちが居ました。その大臣たちは何とかしてダニエルを総督の座から引きずり下ろそうと、口実を探しました。しかし、いくら探してもダニエルには何の欠点もありませんでした。

そこで総監および総督らは、国事についてダニエルを訴えるべき口実を得ようとしたが、訴えるべきなんの口実も、なんのとがをも見いだすことができなかった。それは彼が忠信な人であって、その身になんのあやまちも、とがも見いだされなかったからである。”
ダニエル書6章4節(新共同訳 6章5節)

陥れるための口実が一つも見つからないなんて、すごいとは思いませんか?普通なら誰にだって恥ずかしい秘密や、汚点はあるものです。ある人は、毎日密かにインターネットでとあるサイトにいっていたり、影で人の悪口を言っていたり、あるいは会社のお金を自分のために使っているかもしれません。多くの人は何らかの恥ずべき秘密を持っています。しかし、ダニエルはそのような恥ずべき、不正の秘密など持っていませんでした。あなたがダニエルの立場にいる事を想像してみてください。あなたにやきもちを焼いている大臣たちが、あなたを陥れるための口実を必死で探し回っています。さて、あなたはその時どう思いますか?何の心配もありませんか?それとも、不安になりますか?真実のために生きるのなら、とことん真実のために生きるべきなのです。人前だけではなく、誰にも見られていない所でも真実を貫くと決心しましょう。

“そこでその人々は言った、「われわれはダニエルの神の律法に関して、彼を訴える口実を得るのでなければ、ついに彼を訴えることはできまい」と。”
ダニエル書6章5節(新共同訳 6章6節)

そこで、大臣たちはあることに思い至りました。ダニエルの真っ直ぐで正直な生き方から不正など見つける事はできない。それならば、ダニエルの神様への強い忠誠を逆手にとるしかない。神様の法律に反する法律を国が持てば、必ずダニエルを不法者にできる、と考えたのです。

“こうして総監と総督らは、王のもとに集まってきて、王に言った、「ダリヨス王よ、どうかとこしえに生きながらえられますように。国の総監、長官および総督、参議および知事らは、相はかって、王が一つのおきてを立て、一つの禁令を定められるよう求めることになりました。王よ、それはこうです。すなわち今から三十日の間は、ただあなたにのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人にこれをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れるというのです。それで王よ、その禁令を定め、その文書に署名して、メデアとペルシャの変ることのない法律のごとく、これを変えることのできないようにしてください」。そこでダリヨス王は、その禁令の文書に署名した。”
ダニエル書6章6-9節(新共同訳 6章7-10節)

さて、30日の間、王様以外に対してお祈りや礼拝をしたら、ししの穴、つまりライオンの穴に投げ込まれると言う法律をダリヨス王は発令したのです。一体ダニエルはどうするのでしょうか?人の法律に背き、神様の法律を守りきるのでしょうか?

続きは次回のお楽しみです。お祈りと聖書研究を共に、楽しみながらがんばりましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真

05/05/2012

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ダニエル書5章-後半

 5章前半では、突然人の手が現れて壁に文字を書きました。その文字が何を意味するのか、この記事で解説していきます。

「それゆえ、彼の前からこの手が出てきて、この文字が書きしるされたのです。そのしるされた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、ウパルシン。その事の解き明かしはこうです、メネは神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせたことをいうのです。テケルは、あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです。ペレスは、あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」。
ダニエル書5章24-28節

メネ-数えられた
テケル-バランスをとる、重さを量る
ペレス(=ウパルシン)-分ける

 ペレスとウパルシンは同じ意味を持ちます。では何故、違う言葉が使われているのでしょうか。これは元の言語を見れば簡単に理解できます。ウパルシンの「ウ」は日本語の「と」と同じ用法で使われています。“メネ、メネ、テケル、ウパルシン”を言いかえると、“メネ、メネ、テケル、とペレス”となるのです。そして単語によっては、「ウ」をその単語の前につける事により、元の単語より発音と書き方が少し変わることがあるのです。つまり、「ウ」+「ペレス」の場合「ウパルシン」となるのです。ですから、ペレスとウパルシンはどちらも同じ“分ける”という意味なのです。
 

 さて、ダニエルは預言者として、神様の助けにより一つ一つの単語に予言の意味を与え、解説していきました。

メネ-「神があなたの治世を数えて、これをその終わりに至らせたことをいうのです」。
テケル-「あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです」。
ペレス-「あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」。

“そこでベルシャザルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖をその首にかけさせ、彼について布告を発して、彼は国の第三のつかさであると言わせた。カルデヤびとの王ベルシャザルは、その夜のうちに殺され、メデアびとダリヨスが、その国を受けた。この時ダリヨスは、おおよそ六十二歳であった。”
ダニエル書5章29-31節 (新共同訳 ダニエル書5章29節-6章1節)

 宴会の時に壁に書かれた予言は、その夜に実現されました。その晩、ベルシャザル王は殺され、バビロン王国は、メデア王国のダリヨス王とペルシャ王国のクロス王によって制圧されたのです。(この時、メデアとペルシャは一つの政府として動いていました)。何故、あれだけ強大なバビロンが一夜にして征服されたのかと疑問に思われるかもしれません。しかし、バビロンはこうなる以前からしばらく敵に囲まれていたのです。また、ベルシャザル王も、バビロンが敵に包囲されていることを知っていました。しかし王は、バビロンがものすごく頑丈な壁と深い川に囲まれており、食料の蓄えも十分にあることから安心していたのでしょう。バビロンの王は敵に囲まれている最中で、大臣たちと酒を酌み交わしていたのです。そして、王が宴会でへらへらしている隙に、メデアとペルシャのクロス王(ダニエル書1章21節)は川を乾かし、いとも簡単にバビロンを制圧したのです。

面白いポイント

700BCから800BCに書かれた聖書の「イザヤ書」に、クロス王の出現と川が乾く事が予言されています。バビロンが制圧されたのは、大体500BCから600BCです。つまり、クロス王が生まれる100年以上も前に、川が乾くこと、そしてクロス王が活躍する事が予言されていたのです。

“また淵については、『かわけ、わたしはあなたのもろもろの川を干す』と言い、またクロスについては、『彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、エルサレムについては、『ふたたび建てられる』と言い、神殿については、『あなたの基がすえられる』と言う」。”
イザヤ44章27-28節

 未来を予告するなんて、人間にはできません。ましてや、100年後に生まれ、活躍する人の名前を誰が言い当てられましょうか。聖書には沢山の予言が書かれています。ですから、私は聖書が神様のみ言葉であると固く信じています。イザヤ書44章と45章前半に更に驚くようなことが書かれているので、ぜひ自分で読んでみて下さい。

最後に一つ、5章から私たちが覚えるべき重要なポイントを挙げて終わります。

調査審判

メネ-取調べ
テケル-量る
ペレス-判決

バビロンとベルシャザル王が取り調べられ、量られ、そして判決を受けたように、私たちにもいずれ審判が下るのです。
   

「だから、目をさましていなさい。……あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかもしれない」(マルコ13の35、36)。目をさまして待つことにうみ疲れ、世俗の魅力に心を向ける人々の状態は、実に危険である。実業家が利益の追求に心を奪われ、快楽の愛好家が楽しみにふけり、流行を追う女性が身を飾っているそのときに、全地の審判者が、「あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれた」という宣言をなさるかもしれないのである(ダニエル5の27)。
各時代の大争闘(新書判) 第28章 p.563

何かわからない事や、質問、コメント等がありましたら、mkoministry@gmail.comまで連絡をください。これからも、お祈りと聖書研究を楽しくがんばりましょう。

作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真
05/05/2012

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