2012年12月17日月曜日

コツコツと



 期末テスト週になるとため息の数が増えるのは、きっと僕だけじゃないはず。休みが間近に迫っているにもかかわらず、とても鬱々とした気分になります。そして、「一週間前から勉強しておけばよかったな」とか「学期始めから毎日コツコツと勉強しておけば…」なんてことを思います。
 そんな中、やはり多くのものは日々の積み重ねによるものだと気づかされました。勉強、スポーツ、音楽、仕事、聖書通読、人間関係など、どれもいきなり上手いことやるなんて中々できません。例えゲームにしたって、突然レベル100に上げることなど普通はできません。
 では、あなたと神様との関係はどうでしょうか?急に親密な関係になれると思いますか?例えば、あなたに新しく恋人ができたとします。初めは相手にぞっこん惚れていて、全てが良く見えます。でも時間が経つにつれて、少しずつ相手の嫌なところが見えてきたりします。それでも本当の愛と忍耐のあるカップルはそれを乗り越えて、さらに深い関係を築いていくことができるでしょう。
 僕の場合、神様と時間を過ごすほど、神様の嫌なところではなく自分の嫌なところが見えてきました。偉大なる神様の前に立つと、自らの弱い部分が浮き彫りにされるのです。それは痛く辛いものです。しかしそんな自分のために命を捨て、この不完全な僕を完全にしてくれる神様を再認識するとき、もっと神様と仲良くなりたいと思います。
 「もう少しの間自分の好きなことをやって、再臨が近くなったら神様のもとに戻ってくればいいや」と思う人がいるかもしれません。でも、いざという時に神様との関係を築ける保証はあるのでしょうか?2000年前から世の終わりは近いと言われています(*マタイ3:2)。今日は、その頃よりどれだけ近いでしょう。しかしいつ世の終わりが来るか僕たちにはわかりません(*マタイ24:36)。それは抜き打ちテストのようなものです。「神様は意地悪だ」と思いますか?そんなことはありません。もしもテストの日時を知っていたら、ギリギリまで何もせず、最後の短時間で苦しみながら何とかしようとするかもしれません。しかし、正確な日時を知らず、でも近いうちに来ると知っていれば、いつ来ても良いように今から準備を始めないでしょうか?
 神様はあなたと今、関係を築きたいと思っています(*黙示録3:20)。あなたのために命を捨てたほど、愛しておられるからです(*ヨハネ3:16)。今日から毎日、少しずつでも神様と過ごす時間をとってみてはいかがでしょうか。

「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」
ペトロの手紙 一 1:13

*マタイによる福音書3:2「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
*マタイによる福音書24:36「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。」
*ヨハネの黙示録3:20「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をするであろう。」
*マタイによる福音書3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

著者:品末 拓真
編集者:森 春香

2012年12月9日日曜日

何のために生きよう

皆さんは東北大震災を覚えていますか?僕はその時横浜の家にいたのですが、今までに感じたことのない大きな揺れにとても怖くなったのを覚えています。

この震災で多くの人が職を失い、家を失い、家族を失い、自らの命を失いました。僕は今でも心が痛みますが、それと同時に人間のもろさとこの世の空しさについて考えさせられます。

僕たちはいつ死ぬかもわからないのに、死などきっと遠い将来のことだと考えます。津波で簡単に取り去られるようなものを手に入れるために必死で努力します。そしてこのような出来事を体験した時、本当に大切なものはお金では買えないのだと気づかされます。

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
コリントの信徒への手紙 二 4:17,18

あなたは今、何のために生きていますか?何を一番にしていますか?それはあっけなく消え去るものでしょうか?それとも永遠に続くものでしょうか?

僕たちにはそれを選択する権利が与えられています。僕は見えないものを選びます。あなたはどちらを選びますか?


執筆者:品末拓真


(これは10/8にhttp://www.facebook.com/adventistyouthjp掲載されたものです。)

2012年12月2日日曜日

怒りの対処法


 みなさんはどうしようもないほど怒ってしまったとき、その煮えたぎるような感情をどう対処していますか?聖書の詩編59編には、ダビデがサウルから逃れようとしているときにダビデが書いた詩が記録されています。正しいことをしようとしているダビデを殺そうと追ってくるサウルに対して、怒りを覚えるダビデの感情が書き表されています。この詩から学べる怒りの対処法には5つのステップがあります。

1. 神様に助けを求める。
2. 神様に状況を説明する。
3. 怒りの感情を正直に神様に打ち明け、手放す。 
4. 賛美する。
5. その経験から何を学んだか考え、成長する。


1. 神様に助けを求める
 「わたしの神よ、わたしを敵から助け出し 立ち向かう者からはるかに高く置いてください。悪を行う者から助け出し 流血の罪を犯すの者から救ってください。」(詩編59:2-3)。ダビデは敵、又は悪を行う者から助け出されることをまず神様に求めています。

2.神様に状況を説明する。
 「御覧ください、主よ 力ある者がわたしの命をねらって待ち伏せし 争いを仕掛けて来ます。罪もなく過ちもなく 悪事をはたらいたこともないわたしを 打ち破ろうとして身構えています。」(詩編59:4-5)。ここでダビデは、自分の善い行いにもかかわらずサウルが襲ってくるという状況を神様に話しています。神様は全知全能なので、ダビデが状況を説明する前からすべてのことをご存知でした。ではなぜ彼は祈ったのでしょうか?お祈りは、神様とのコミュニケーションのためにあります。コミュニケーション無しで誰かと関係を築く事はできません。人間が神様との関係を築くために、祈りは必須なのです。それと同時に、祈ることによってむしろわたしたち自身が状況を明確に把握することができます。

3. 怒りの感情を正直に神様に打ち明け、手放す。
 「(6)あなたは主、万軍の神、イスラエルの神。目を覚まし、国々を罰してください。悪を行う者、欺く者を容赦しないでください。(14)御怒りによって彼らを絶やし 絶やして、ひとりも残さないでください。」(詩編59:6,14)ダビデはこのように怒りの感情を神様にぶちまけました。怒りを抑えつけるのは体にもよくありません。しかし、何にでもあたりかまわず怒りをぶつけていると、周りの人や物を傷つけてしまいます。また、自分の怒りを受け止めきれない人に矛先を向けてしまうと、今度はその人が耐えられないでしょう。ではどの様にして怒りを発散するべきなのでしょうか?わたしたちの怒りを受け止めきれるお方に打ち明けねばなりません。神様は人間のどの様な怒りをも受け止めることができます。ダビデがお祈りでしたように、自分の怒りを正直に御前に差し出しましょう。わたしたちがどういう気持ちなのか打ち明けてほしいと神様は思っておられます。それは、神様がわたしたちと個人的な関係を築きたいと望んでおられるからです。そして神様に怒りを打ち明けたあとは、その怒りにしがみつき続けるのではなく、手放しましょう。神様はわたしたちの怒りを取り除き、心に平和を与えてくださいます。

4. 賛美
 「わたしは御力をたたえて歌をささげ 朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場。わたしの力と頼む神よ あなたにほめ歌をうたいます。神はわたしの砦の塔。慈しみ深いわたしの神よ。」(詩編59:17,18)あれほど怒っていたダビデですが、怒りを神様に打ち明け、手放したあとは神様を賛美しています。彼の心に平和がおとずれたのです。

5. その経験を通して何を学んだか考え、成長する。
 神様はわたしたちに常に成長してほしいと望んでおられます。自分の人生を神様に捧げると決心した後は、成長し続けるべきなのです。ダビデは自分を殺そうと追ってくるサウルに対する怒りを、神様に打ち明けて手放すことができました。洞窟にてダビデはサウルを殺すこともできましたが、サウルが主が油を注がれた方であるからと言って、手をかけませんでした。そしてサウルの上着の端を切り取りました。「しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し」(サムエル記上24:6)ます。なぜなら、それは主が油を注がれた人の上着だったからです。ここにダビデの成長が見られます。あれほどサウルに対して怒っていたダビデですが、サウルを殺そうと思えば殺せたのにそうせず、上着を切り取ったことすら後に後悔しました。

 この詩編59編からわたしたちが学べることは、神様がわたしたちの怒りを受け止めることのできる大きなお方であり、祈りを通して怒りを御前にそのまま持っていく大切さ、怒りのような醜い感情であっても、神様はわたしたちから伝えてほしいと思っておられること、そして神様には私たちの醜い感情を取り除き、平安を与える力があるということです。神様に全てを委ね、成長していきましょう。

著者:森 春香
編集者:品末拓真


2012年12月1日土曜日

きよしこの夜

もうすぐクリスマスですね!
クリスマスといえばこの曲。何人かのメンバーで演奏し、録音したのでぜひ聞いてみてください。

http://soundcloud.com/mko-6/wroksrtszgim

http://www.youtube.com/watch?v=rLqTfXLJWMQ

2012年11月18日日曜日

ドウェイン・レモンの証 14

audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

 わたしは聖書を勉強するのが好きでしたし、お説教をするのも好きになりました。そんなある時、ブルックリンのとある教会でお説教をするようにと頼まれました。そこで神様はわたしを用いてくださいました。ほかの人を神様に導くためというよりも、わたし自身を神様へと導くためでした。神様がわたしを通して会衆に語ってくださったため、その安息日にわたしのお説教を聞いた人々はとても祝福されました。お説教のあとわたしが出口に立って、「神様の祝福がありますように。」と一人ひとりと握手をしながら人々を見送っていると、50代ぐらいの男性が来ました。わたしが彼の手を握り、「神様の祝福がありますように。」と言うと、彼はわたしの手を離そうとせず、涙を流しました。彼は、「あなたが今晩話したメッセージは、わたしの人生を永遠に変えました。」と言いました。そしてわたしにハグをして「ありがとう。」と言い、帰っていきました。その直後、聖霊が「ヒップホップゴスペルダンスをしたあとで、この50代の男性のようにあなたに話しかけてきた人がいただろうか?」とわたしに訊ねてきました。その時、わたしは決心がつきました。わたしはその日、ヒップホップゴスペルダンスをやめ、伝道の道を前へと進みました。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年11月11日日曜日

ドウェイン・レモンの証 13


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

 わたしは教会へ行き始めてからも、しばらくダンスを続けていました。ある時、ラッパーのヘヴィーDから電話がきて、「カリフォルニアへツアーに行くからお前にも来てほしい。」と頼まれました。わたしはまだイエス様に完全に人生を捧げていませんでしたが、「金曜日の夜、お休みをくださるのなら行きます。」と答えました。しかし彼は、「それはできない。金曜日の夜は踊って、それから部屋へ帰って土曜日は安息日として休んでいい」と言いました。わたしは金曜日の夜にダンスをするという条件をのみました。イエス様に背を向けたのです。わたしはツアーへ行き、安息日も踊っていたのですが、その中でイエス様が恋しいという思いを経験しました。イエス様と本当の関係を築きたいと思っていたからです。
 ペンテコステ教会に通っていた時に習慣づいたことのなかで、聖書を適当にパッと開いて、そのページ上を指で適当に指し、その指した聖句を勉強するというものがありました。ある金曜日の夜、わたしはこれからダンスをしないといけないと分かっていました。だから安息日は守れないけれど、今は神様との時間を持とうと思い、聖書を開いて適当に指を指してみると、箴言28章9節にあたりました。そこには「教えに耳をそむけて聞こうとしない者は その祈りも忌むべきものと見なされる。」とありました。それが、わたしの指した聖句でした。わたしは聖書を閉じ、「今は礼拝すらできない…。」と思いました。「忌むべきものと見なされてしまう」と思ったからです。わたしはこれから罪を犯すと分かっていました。いわゆる不正です。不正行為は知らずに犯してしまった罪ではなく、前もって計画された罪です。不正を行う人は、罪を犯す前にそれが罪だと知っています。ヘブライ人への手紙6:5-6には「神のすばらしい言葉と来たるべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱するものだからです」とあります。わたしは結局その晩、礼拝すらできませんでした。
 ツアーが終わり、次のツアーが始まる前にわたしは教会へ行きました。そこで、神様に忠実であるということをテーマにしたとても力強いお説教を聞いたわたしは、ヘヴィーDに電話をかけ、「よく聞いてください。わたしはこのツアーには行けません。」と伝えました。彼は「お前は頭がおかしくなったのか?!このツアーでお前は有名になれるんだぞ」と言いましたが、わたしは「わかっていますが、いけません。」と答えました。彼は更に「仕事がなくなってもいいのか?」等々言ってきましたが、わたしはそのまま電話を切りました。
 それからわたしはヒップホップゴスペルダンスをはじめました。様々な場所でヒップホップゴスペルダンスをして歓声を浴びましたが、ステージから降りた後にはいつも変な気分になりました。なにか間違っているような気がしたのです。見に来た人たちはわたしに電話番号を渡してきましたが、聖書には興味がありませんでした。彼らはイエス様については話してこず、「あのスピンどうやってやるんですか?」と聞いてきました。そこでわたしは、神様にあるべき栄光と誉れがわたしに向けられてしまっていることに気付いたのでした。


つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年11月4日日曜日

ドウェイン・レモンの証 12

audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。


 ある男の人が私の家に来て聖書を一緒に勉強してくれることになったので、わたしは「神様、このかわいそうな男を助けてください。わたしは彼を質問攻めします」と祈りました。神様はとても素晴らしいお方です。わたしたちがどんな状況にあっても、その場所でわたしたちに会ってくれます。その男は、ジャマイカ出身のムーゲン・モーガンという小柄な男でした。わたしが質問をする度、彼は興味深い答え方をしました。例えばわたしが、「イエス様はなぜ人の子であると同時に神の子であるのですか?矛盾しているでしょう!」と言うと、彼は「とてもいい質問だね。君は深く物事を考える」と言いました。ムーゲン・モーガンはとても賢い人でした。彼が「とてもいい質問だね。」というので、わたしは「そうだろう!」と思いました。すると彼は、「聖書のこの箇所を読んでみて」と言ったので、そこを開いてみると、わたしの質問に対する答えが書かれていました。わたしは「すごい…」と思いました。彼はいつも聖書から答えをくれました。「それならこれはどうですか?」と次々に彼に質問を投げかけると、彼は毎回、「とてもいい質問だね。君は本当に真実が知りたいんだね。それじゃあ聖書のこの箇所を読んでみて」と言いました。どれだけ質問しても聖書から答えを引用できるので、彼は手品をしているのではないかと思うほどでした。わたしは、聖書のどの本の何章何節に何々があると正確に記憶している人に出会ったことがありませんでした。原稿やメモに聖句の箇所を書いている人はいましたが、ムーゲン・モーガンはそれらをすべて記憶していたので、ぱっと答えがでてきました。わたしは、「どうしたらそういうことができるのですか?」と聞くと、彼は、「神様を愛している人は、神様と過ごす時間と神様の言葉を学ぶ時間をもつんだよ」と答えました。
 1か月ほど後にわたしはバプテスマを受け、セブンスデー・アドベンチスト教会に加わりました。わたしはすぐに、昔ダンスを一緒にしていた友達のデミエンの所へ行き聖書を一緒に勉強し、彼もバプテスマを受けました。そして彼と一緒に近所を一軒ずつまわり、他の友達たちとも聖書を勉強し始めました。わたしたちはお互いに電話を掛け合い、わたしが友達に、「イエス様は神様じゃないとわかった。聖書に、イエス様が『わたしの父なる神はわたしより優れている』と言ったと書いてあるよ。イエス様が神様ほど優れていないなら、どうしてイエス様が神様になれるのか。どうやって証明する?」と聞けば、友達は、「それじゃあ聖書のここを見てごらん。イエス様は父なる神様と等しかったと書かれているよ。そこから更に読むと、イエス様はへりくだり自分を低くした、とある。すべての主人は僕にまさると書いてあるように、イエス様はこの地上で人間であったとき、自分のやりたいことではなく神様の御心を行うためにきたので、『父なる神様はわたしより優れている』と言ったんだよ」と答え、お互いをテストしあっていました。何度も電話をかけあい、互いに質問しあいながら御言葉を学びました。わたしたちはとても興奮していました。聖書はわたしに命を与え、それを読むことに興味をくれました。高校中退であったわたしは高等学校卒業程度認定試験を受け、後に短期大学士をもらうに至りました。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真