2014年3月10日月曜日

この道であってる?3



さて、わたしたちは
Devil’s Backboneを通り、さらに頂上をめざして登って行きました。周りの木々や植物にはたくさんの雪が吹き付けて凍っていて、なんとも不思議な光景が広がっていました。Lisaが「うわぁー!カリフラワーの木だ!」と言うので見てみると、雪でデコレーションされたこんな木がありました。
想像を超えた雪の量とアドベンチャーに、わたしの中ではわくわくした気分と、果たして自分の体力はもつのだろうか、という不安な気持ちが混ざっていました。

 Lisa Camrieは、頻繁にハイキングや登山にいく人たちだったので、とても速いペースでぐんぐんと雪山を登って行きました。わたしはもう、一歩一歩自分で足をひきずっていかないと進めないほどでしたので、一番後ろで短い休憩をちょこちょことりながら歩いていました。するとCamrieが「春香どうしてるー?大丈夫―??」と、たまに振り向いて声をかけてくれました。わたしは「もうあきらめたいー!」と言いたいところでしたが、そういう選択肢はないと分かっていたので、「今そこにいくよ~」と自分に言い聞かせるかのように返事をしました。

 だんだん霧も濃くなって、積もった雪が風で巻き上げられていました。わたしは、「そういえば、雪山で登山するのは危ないって聞いたことあったな。なのになんで今自分は雪山を登っているんだろう」などと考え始めました。ですが、今そういうことを考えても意味がないと分かったので、「登りはじめたんだからもう後戻りはできない、最後まで頑張ろう!」と決心しました。そんな決心も数秒の効果しかなく、すぐに、あきらめたい別の自分がでてきました。まさに心のなかにいる二人の自分の戦いでした。一人は「ここで立ち止まって、あきらめて好きなだけ休憩してしまえ」、もう一人は「ここで長く立ち止まると疲れで動けなくなってしまうかもしれないから、一歩ずつでも進んでいこう」と言っていました。わたしは「神様、力を与えてください」と何度もお祈りしました。それと同時に「もうだめだ」とか「ここでもしわたしたち3人のうちの誰かが倒れたら、どうやって山を下りるんだろう」という考えも頭の中を飛び交っていました。そんななかでLisaは、「一歩ずつでも進んでいけばいつかはたどり着くよ」と言ってくれました。その言葉を励みに登っていき、わたしたちはついに頂上にたどり着きました


 頂上にはわたしたち3人のほかに、7人ほどのグループが休憩をとっていました。頂上から景色を見渡すと、わたしたちは雲の上にいました。とても寒かったので、写真を撮ってすぐに下山することにしました。手は寒さで感覚を失い、わたしたちもかなり疲れてきていたので、できるだけ早く下りようということになりました。来た道とは違う道を通れば、ループのようになっていてもとの駐車場に戻れるはずだと知っていたわたしたちは、念のため、この道であっているかどうか頂上にいた人たちに確かめました。ぱっと振り向くと、すでにCamrieLisaは走って山を下り始めていたので、わたしも慌てて走って彼女たちについていきました。どこからそんな体力が出てくるのだろうと思いながらついて行くと、突然彼女たちが止まったので「どうしたの?」と聞きました。すると彼女たちは、「道が消えた!」と言いました。「また迷ってしまったー!今日何回目だろう」と、わたしたちはもう一回頂上に戻って、この道で本当にあっているのか確かめることにしました。再び頂上へ戻り、そこにいた人たちに「この道であっているんですよね?」と聞くと「そうだよ」と言われたので、この道でいいのだという確信を得てまた走って下って行きました。
 道はすっかり雪で覆われていました。本当にここは道なのだろうかというところを何箇所か通り、しばらく下っていったのですが、やはりわたしたちは何かおかしいことに気がつきました。もとに来た道とは違うと言っても、今進んでいる道がまったく反対方向に突き進んでいて、ループになっているとはとても思えなかったのです。わたしたちは立ち止まり、どうしようかと相談しました。わたしたちには3つの選択肢がありました。まず一つ目は、このままこの道をどこに行くか分からないけれど下り続ける。二つ目は、来た道を戻って再び頂上へ行き、そこから来た道を引き返す。三つ目は、山を横切って道なき道を行き、ショートカットして元の道へ戻れることを願う。どれもあまり望ましい選択肢ではなかったので、わたしたち3人はしばらく黙っていました。Camrieが「みんなお祈りしようよ」と言ったので、わたしたちは神様にこうお祈りしました。「神様、わたしたちは今どうやってこの山から下りたらいいか分かりません。わたしたちを導いて、暖かい所へたどりつけるようにしてください。」
 お祈りしたあと、わたしたちはまた相談しました。Lisaは「頂上は寒すぎたからもう戻りたくない。」と言い、また山の間を横切るのは迷ったら危ないからやめておこう、ということになりました。もしこのままこの道を下って山を下りさえすれば、確実にもとの駐車場には戻らないだろうけど、とりあえず助けは求められるだろう、ということで、わたしたちは今進んでいた道を続けて進むことにしました。わたしたちはそれぞれしばらく黙って山を下りていました。どこへ行っているのかもわからずに歩いていたからです。しばらく下っていくとだんだん雪の量が減っていき、暖かくなってきました。途中でLisaのお母さんに電話がつながったので状況を説明すると、Lisaのお母さんはインターネットでMt.Baldyの地図を見て、どの道をわたしたちが歩いているのか調べてくれました。しかし、Devil’s Backboneとわたしたちが本来くだるべきだった道以外に道はないと言われました。「山のレンジャーに助けを求めたほうがいいんじゃないの?」と言われましたが、わたしたちは3人ともまだ歩けていたし、日が暮れるまで最低4時間はあり、どこに行くかはわからないけれども一応道を歩いていたので「大丈夫だよ」と言いました。
 Lisaのお母さんにわたしたちの状況を伝えられて、すこし緊張がほぐれたわたしたちは、またしゃべりはじめました。「まったく変な日だ!こんなアドベンチャーは予定外だったね。」Lisaが「今日の経験にタイトルをつけるとしたら何?」と聞いてきたので考えていると、Camrieが「今日一日中わたしたちが自分たちに聞き返した質問は『この道であってる?』」だったと思う」と言いました。それを聞いたわたしたちは笑い始めました。なぜなら、その質問の答えはいつも「No!」で、わたしたちが選んだ道はとことん間違っていたからです。「この経験を振り返った時には、なにかよい思い出が出来上がってるはずだよ」と言って、わたしたちは歩き続けました。

 この経験の最中、わたしに個人的に問いかけてきた質問は「今遭難して死ぬことになったらなにか後悔するだろうか」ということでした。そこで浮かび上がったのは、「自分と神様の関係はどうだろう?」「もうちょっと家族と話をしておけばよかった」「家にもう一度帰りたい」というようなことで、「あの宿題を終わらせておけばよかった」とか「勉強会に行けなかった」などという後悔は全く頭に浮かんできませんでした。そんななかで、いかにわたしの日常生活が、わたしにとって本当に大切なものよりも、やらなければいけない課題やテスト勉強などに時間を奪われていたかということに気が付きました。もしかして死ぬかもしれないと思ったときに、もっと勉強しておけばよかったとは思わないのです。むしろ、今死んだら天国にいけないかもしれない、なにか告白していない罪があったかな、などそういうことを心配しました。なぜわたしたちはそのように日々考えないのでしょうか?生きられるのが当たり前のように感じ、明日も必ずくるとどこかでわたしは思ってしまいます。しかし本当はそうではないのです。わたしたちは限られた時間を生きているのです。イエス様の再臨は近いのです。毎日わたしたちは、神様を選ぶか悪魔を選ぶか、どちらかの選択をとっているのです。そしてその選択がわたしたちの習慣となり、人格を決めていくのです。

 今日、神様は「わたしにつながっていなさい。」とわたしたちに呼びかけておられます。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」ヨハネによる福音書15:4 神様にお祈りして聖霊を受け入れましょう。そして、神様がわたしたちの人生に関わってくださり、わたしたちが聖霊の実を結ぶことができるようにお願いしましょう。


続く




著者:森春香
編集者:山地悟

2014年3月9日日曜日

この道であってる?2

   さて、わたしたちは車に乗って、標高6000ft地点にあるMt.Baldyの登山口へと向かって行きました。Camrieは「まったく変な日だね。Kalebは時間通り起きられなくて、ジェネッサにあって、岩が道路に落ちていて。。ここで引き戻したほうがいいかもね」と冗談で言っていました。しかし、わたしたちはそのまま山を登ることにしました。

 駐車場に車を止めて、わたしたちは山道へ入って行きました。ハイキングの始まりです。わたしたちはその日、お昼の12時から午後2時まである勉強会に参加する予定でした。Lisaは「このBaldy Bowlという道が一番短い道のはずだから、この道を行って帰ってくれば、今はまだ朝の7時半だし、お昼までには問題なく学校に戻れるはずだからね」と言っていました。わたしたち3人は「思っていたより寒いね」といいながら歩き始めました。そのBaldy Bowlという道へ行くには、ある地点で左への分かれ道をとらなくてはいけませんでした。しばらくしてLisaが「みんな、どこか左に分かれる道見た?」と聞いたのですが、Camrieもわたしも「そんな道はなかったよ」と言ったので、そのまままっすぐ歩いていました。またしばらくすると、Lisaが「こんな道あったかなぁ??」と言い始めたので、今歩いている道はどうやらBaldy Bowlではなさそうだということが分かってきました。しかし、わたしたちは「まあ、この道も山の上のほうに続いているみたいだから大丈夫だよ」と言い、そのまま登り続けることにしました。
 しばらく歩いていると、岩の上に雪がついているのが見え始め、だんだん地面に積もっている雪の量も増えてきました―木の枝には雪が吹き付けて凍っていたりと、とても美しい情景が見られました。わたしたちは「南カリフォルニアで雪を見られるなんて思っていなかった!!」と、写真を撮って喜んでいました。わたしたちが登っていたMt.Baldyという山は、実はスキー場でもあり、スキーリフトやキャビンもありました。しかしこのシーズンは雪がたくさん積もらなかったようで、閉鎖していました。わたしたちはスキーリフトの上まで到達しました。そこには、一面雪で真っ白な広場が広がっていました。そこでわたしたちは、どこにたどり着いたのか確かめるために、広場をすこし探索しました。そこにこんな看板が立っていました。この山道には目印となるものや案内の看板がまったくなく、それはわたしたちがその日初めてみた看板でした。
この看板によれば、わたしたちは頂上から3.2マイル、またDevil’s Backboneという道まで1.2マイルの地点にいました。この場所には3つの道がありました。写真に写っている看板の矢印が指している右と左の道のほかに、写真には写っていないもうひとつの道がありました。しかし、この看板の矢印は明らかに左の道を指していたので、わたしたちは頂上を目指して左の道へ進んで行きました。
 しばらくすると、わたしたちは頂上に向かっているはずなのに、なぜかずっと下り道を歩いていることに気づきました。きっとまた登り道になるはずだと思っていたのですが、下りが続いてすでに1マイルは歩いていたので、Lisaが「ちょっと走って先のほう見てくるから、二人は歩いていて」と言いました。少しするとLisaが引き返してきて、「このままずっと下り道で、Devil’s Backboneっていう道もなかったよ」と言ったので、わたしたちはもう一度さっきの看板のところまで戻りました。そして、わたしたちは「この矢印はわたしたちがさっき行った道を完全に示していたよね!!でも違った」と言い、また「今日は予定と違ったことが起き続けているね」などと話しました。看板の前で、わたしたちは「もし12時の勉強会に本当に行きたいのなら今引き返すべきだけど、急いで頂上を目指して走って帰ってくれば、1時ごろには勉強会にたどり着けるかもしれない。でも、もしこれ以上登れないって思ったらいつでも言ってね」、と話しました。そこでCamrieがOK!じゃあ、せっかくここまで登ってきたし、頂上目指していけるところまで行こう!」と言ったので、わたしたちはきっと頂上に向かっていると思われる道を登りはじめました。
 しばらく登っていくとカーブがあり、そこをぐるっと曲がると、わたしたちの目の前にはとてつもなく急な坂が待っていました。
わたしはそれを見た途端「あぁ引き返したい。。。」と思いましたが、LisaCamrieはかなりの体力があって、「まあこれ登ってみよっかー!」などと明るく言っていました。彼女たちが登って行くので、わたしも登らなくてはおいていかれると思い、一緒に登っていきました。わたしたちは、「こんなに急な坂だからDevil’s Backbone(悪魔の背骨)っていう道なんだね」と話しました。ところが、やっとのことこの坂の一番上に到達するとそこには看板があり、どうやらわたしたちが登ってきたのはブラックダイヤモンドのスキースロープだったらしいということが分かりました。そして、わたしたちが今から登る道が本物のDevil’s Backboneだったのです。みると今登ってきた坂よりなだらかでした。Camrie は「これが悪魔の背骨なら、わたしたちがさっき登ってきたのは悪魔の火刑柱だね」と言って笑っていました。

 ここまでのことを振り返ってみてまず思ったことは、看板というものは信頼できると思っていたけれど、間違っていることもあるのだなということでした。しかし、わたしたちはどこにいるのか長い間分からず、何か方向を示してくれるものを探していたために、看板を見たときそれが正しいと信じ込み、見事に間違った道へ進んでいったのでした。こういうことは人生にもあります。到着地点が見られない、自分がどこを歩んでいるか分からないと不安になったとき、都合よくふと現れた看板を信じてだまされてしまうのです。サタンだって嘘の看板を立てることができます。サタンはとても賢いですから、神様のような業をもって人をだますでしょう。サタンの狙いは、わたしたちが神様以外のものや人に向かって行くことです。神様以外ならなんでもいいのです。それはたとえ自分の思い描いた理想の生活をすることでもいいのです。必ずしも悪く見えなくてもいいのです。だからわたしたちは単に結果を見て、それが良い決断だったかどうか判断することはできないでしょう。それよりも神様に向かって成長しているかどうかを考えなくてはなりません。

「そこで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳なものたちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」ペトロの手紙第二 3:17

またテサロニケ信徒への手紙第一5:19-22には
「“霊”の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」と書かれています。

わたしたちには聖霊が約束されています。毎日「聖霊をわたしの心に送ってください」と神様にお祈りしましょう。イエス様は聖霊についてこういっておられます。
「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」ヨハネによる福音書16:13

聖霊を心のなかに受け入れて、神様が本当はわたしたちにどういうことを望んでおられるのか、またサタンがどうやってそれを邪魔しようとしているのかという真理を知り、あらゆる悪いものから遠ざかり、イエス様の恵みと知識において成長していきましょう。

(続く)




著者:森春香
編集者:山地悟

2014年3月1日土曜日

呼吸

呼吸、していますか?僕たちの周りには空気があって、それを吸って吐くことによって僕たちは生きています。

ところである人が、「空気はあると信じているよ」と言ったとしましょう。ところが呼吸をしなかったならば、その人はどうなってしまうでしょうか?お亡くなりになりますよね。

あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。 ヤコブの手紙2:19

「神様はいると信じているよ」と言って何もしないのは、「空気はあると信じているよ」と言って呼吸をしないのも同然です。どちらも辿り着くところは死です。ではどうすればいいのでしょうか?

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」  マタイによる福音書22:37-40

神様と隣人を全力で愛する。それが僕たちの呼吸なのです。呼吸、していますか?


2014年2月21日金曜日

苦しみ

「わたしはもし十字架のためでなければ決して神を信じることはできない。この世の現実にある苦しみのなかでどうして痛みに抗体を持っていて何も感じない神を礼拝できるだろうか。わたしは数々のアジアの国で仏教のお寺の中に入り、大仏の前に礼儀をもって立った。大仏はあぐらをかき、目を閉じて、口元にはかすかな笑み、そして顔にはこの世の酷さから遠く離れた表情が見られた。わたしはしばらくした後、その大仏から目をそらさなければならなかった。そして代わりにわたしは頭の中で孤独に十字架の上で苦しめられている姿に目を向けた。彼の手と足には釘が打たれ、背中を鞭で打たれ、腕や足は痛めつけられ、頭からは茨の冠のとげによって血が流れ、口は渇き、暗闇のなかに投げ込まれている。この方こそわたしの神だ!彼は痛みに対する抗体を捨て、わたしたちの肉と血と涙と死の世界へ入った。彼はわたしたちのために苦しまれた。わたしたちの苦しみは彼の光の中で耐えられるものとなった。まだクエスチョンマークが人類の苦しみに対して掲げられているが、わたしたちは神が苦しまれたことを表わす十字架というマークをクエスチョンマークの上に堂々と掲げる。イエス・キリストの十字架は神が御自身の正しさをわたしたちの世界に証明するために使ったただひとつの方法だった。」Case for Faith pg.74-75

とジョン・R・W・スコットというイギリスの牧師さんはこのように言いました。

皆さんは神であるイエス様自身がこの世界に人間として来られ、十字架にかかって苦しみ死なれたということを考えるときどう思いますか?なんと神様に言いたいですか?どうやって今日生きていきたいですか

2014年2月16日日曜日

この道であってる? 1



今年の1月31日に起きた出来事を、何回かに分けてお話したいと思います。

その前日の30日のことです。わたしの友達でありクラスメートであるCamrieが「春香、明日Lisaとハイキングに行くけど、行きたい?」と誘ってくれたので、わたしは軽い気持ちで「行きたい!」と答えました。わたしたちは3人とも理学療法士になるための勉強をしており、その金曜日(31日)は学校がお休みでした。Lisaの友達のKalebがちょうど軍隊からお休みで帰ってきていて、「Kalebはこのハイキングを始めから終わりまで走りとおしたいって言っているから、かなりきついハイキングになることを覚悟しておいてね。それでも本当に来たかったら来てね」と言われました。わたしは何を考えていたのか「まあ大丈夫だろう」という変な自信を持っており、どこに行くのかも知らずにハイキングに行くことにしました。

その日は朝5時出発でした。わたしはCamrieのアパートに行き、LisaKalebを待っていました。Lisaが携帯で「Kalebがうちに来るはずなんだけど、連絡がつかないから5時半まで待ってみよう」とメールしてきました。電話をかけても、そのままボイスメールになってしまうようでした。「寝過ごしたのかな」とか「携帯の充電が夜中に切れちゃって、目覚ましが鳴らなかったのかな」とか色々考えていたのですが、結局つながらず、3人でハイキングに行くことにしました。CamrieとわたしはLisaを待っている間、これからハイキングに行くところの写真をパソコンで見てみることにしました。するとその山の頂上付近には雪が積もっており、「え~?そんなに寒いところなの?」などと話していました。後になって振り返ってみると、彼女たちが言っていた「ハイキング」はわたしにとっての「本格的な登山」でした。これから登る山はMt. BaldyもしくはSan Antonioという名前で、標高は1,0064 ft、約3067 mということが分かりました。それから、頂上に行く手前にはDevil’s Backbone(直訳すると「悪魔の背骨」)という道があるということも分かりました。しかしわたしたちは、Lisaが前にもこの山を登ったことがあって、道をよく知っているから大丈夫だろうと思っていました。

さてわたしたちはLisaの運転する車に乗ってMt.Baldyに向かいました。途中で携帯の電波が悪くなったりしたのですが、Kalebと電話がつながり「今起きたけどすぐ行くから先に登ってて」と言われました。彼は山を駆け上り下りしたいと言っていた張本人だったので、わたしたち3人が先に歩き始めてもきっと追いつけるだろうと想定していました。曲がりくねった山道をドライブしてしばらくすると、まだ夜明け前で暗かったのですが、一台の車がライトをつけて反対向きに止まっているのが見えました。「あれ?何かおかしいな」と思い、Lisaが速度を落としました。すると女の人が手を大きく振りながらわたしたちに向かって走ってきました!どうしたのかと聞いてみると、「山の上の方から下って来たんだけど、道路に落ちていた大きな岩が見えなくてぶつかってしまった。車からオイルが漏れていたので、このまま運転し続けるのは危ないと思い、消防署の前に止まったけど誰もいなくて、携帯も電池切れで困っていた。」と説明してくれました。彼女の車を見てみると、前のパーツがはがれて確かにオイルも漏れていました。まず、彼女の携帯をLisaの車につなげて充電することにしました。その間お話をしていると、その女の人はジェネッサと言い、彼女は友達の家から職場に行く途中だったということが分かりました。彼女が岩にぶつかったのは15分ほど前の話でした。ジェネッサが「頭のおかしい女の人がいるって思った?」と聞いてきました。暗い所に一人でいて、携帯もつながらなかったので、怖くて気が動転していたのだと言いました。もしわたしが同じ状況に遭ったら、それはもちろんパニック状態になっていただろうと思います。彼女の電話がすこし充電できたところで電話をかけてみたのですが、電波が悪くてつながりません。そこでジェネッサは「もう仕事に行かないといけないし、車もまだ一応走れるからこのまま山を下っていこうと思う」と言ったのですが、車のダメージがあまりにもひどく見えたので、「あなたを電波の届くところまで連れて行くので、そこでトリプルエー(ロードサービスの会社)に電話してみたらどうですか?」とわたしたちは言いました。ジェネッサが「じゃあ、そうしてみるわ」と言ったので、わたしたちはジェネッサを乗せて山を少し下り、トリプルエーに電話しました。牽引してくれるよう頼んで、30分ぐらいでトリプルエーの人たちが来てくれることになりました。ジェネッサが「あなたたちのハイキングを台無しにしたくないわ。わたしはもう大丈夫だから行って。」と言ったので、わたしたちも「それではお気をつけて」と彼女を車のもとで降ろし、また目的地へ向かいました。「ジェネッサはどういう岩にぶつかったんだろうね」と話していると、大きな岩がごろごろと路上に落ちているところに来ました。もうそのころには明るくなってきていたので、わたしたちは徐行しながらその岩を避けて進むことができました。「まったく、今日は朝から変なことが立て続けに起こるね!でもKalebが起きなくて30分アパートで待っていたから、こうやってジェネッサに会えたんだね。きっと神様がジェネッサに会わせるためにこうなさったんだね。」とCamrieは言いました。しかし、わたしたちの冒険はまだ始まったばかりでした。

この一日を振り返ってみると、まだお話していないことも含めて、わたしたちの計画どおりにいったことは何一つありませんでした。そこでこの聖句が思い浮かびました。

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
天が地を高く越えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いはあなたたちの思いを、高く越えている。」イザヤ書55:8-9


まずわたしたちは4人で山を登るはずでしたが、Kalebが寝過ごしたために30分出発を遅らせました。そして途中でジェネッサに出会いました。もし彼女に会わなかったら、岩が落ちていたことも知らずに普通のスピードで走り、きっとわたしたちも岩にぶつかっていたことでしょう。しかしジェネッサに会って、岩が落ちていたことを知り、また日が昇ってきたことで、わたしたちは岩をはっきり見分けて無事に通過することができました。また、この暗闇に注目してみると、おもしろい教訓が得られます。わたしたちの人生が道路だとします。そこにごろごろと落ちていた岩は、サタンがわたしたちに仕掛けた罠です。もしライトをつけずに走っていたら、岩が見えずにぶつかってしまいます。それはサタンの罠にひっかかってしまうということです。サタンの罠をさけるためにはライト、光が必要です。その光とは何でしょう?「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」と詩篇119編105節には書いてあります。神様の御言葉がわたしたちの道を照らす光なのです。ところが、もし光をつけていたとしても、スピードを出しすぎたらすぐにハンドルをきれないかもしれません。わたしたちの人生はとても忙しいです。学校、試験、行事、仕事、家族、子育て、看病、さまざまなものがわたしたちの人生を加速させています。サタンの罠にかからないためにも、光である神様の御言葉を学び、人生の速度を落として神様との時間をつくっていきましょう。(続く)






著者:森春香
編集:品末拓真

2014年2月7日金曜日

主の御名は力の塔。
神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる。

箴言18:10


2014年1月26日日曜日

見いだしうるときに、近くにいますうちに

「神様か…。いつかはちゃんと向き合いたい。今はできないけれど、きっとまたお祈りして、聖書を読んで、教会に行けたらいいな。」そう思うことはないでしょか?

僕は中学校の時に聞いたこのお話が、いまだに忘れられません。

青年の父はお酒好きでした。青年はアドベンチストになった後、父と聖書研究を始めました。その中で、お酒は断つべきであるということを父は学びました。そこで父は、「今晩でお酒は最後にする」と言い、外に飲みに行きました。父は帰ってきませんでした。酔っぱらって歩いているところを車にはねられて、亡くなられたのでした。

主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。
呼び求めよ、近くにいますうちに。
イザヤ書55:6

僕たちは一秒先の未来すら知りません。それなのに、どうして「いつかは…」と言えるでしょう。いま僕があなたに言えることは、いまがその時だということです。

神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち返るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち返るならば
豊かに赦してくださる。
イザヤ書55:7

結局僕たちは、主を尋ね求め、呼び求め、立ち返ることしかできないのです。その時に、主は「豊かに赦してくださ」います。いつか僕たちがましな人間になったからではなく、主が「憐れんでくださ」るからです。さぁ、主に立ち返りましょう。