2014年6月6日金曜日

刑務所でのわたしの証 4

わたしの話に戻りますと、数日後ある変化がありました。クリスチャンに対して苦い思いを抱き、わたしに辛く当たってきた人たちが次第に1人ずつ質問してくるようになったのです。「君の神様について教えてくれ。」「君の聖書について教えてくれないか。」すべての牢屋にはボスがいるのですが、ある日わたしの部屋のボスが、「君の好きな聖書の章を読んでくれないか?」と言ってきました。わたしはこれはいい機会だと思い、祈ってから、詩編91編を開いて読み始めました。読み終わると、そのボスは「気に入らない」と言い、もう一つ違う章を読んでくれないかと頼んできました。わたしがもう一章読むと「少しましだ」と言い、もう一章読んでくれと言いました。そして読むと彼はそれがとても気に入ったようでした。ボスは、「毎朝1章、わたしたちに読んでくれないか?」と言いました。わたしは「はい、喜んで読みたいと思います。」と応えました。
囚人たちは様々な質問をしてきました。ある囚人はわたしに、「もし神様が本当に存在するなら、どうして自分がこんな人生のどん底までくることを許したのか?俺は友達を殺して、殺人犯としてこの刑務所に来た。もし神様が本当にいるなら、どうしてわたしがここまでくることを許したのか?」と質問をしてきました。またある日は、ボスがきて私に聞きました。「お前はクリスチャンだけどどの宗派か?」と言うので、「私はセブンスデー・アドベンチストです」と応えました。セブンスデー・アドベンチストと言った途端、彼の中で何かが変わったようでした。彼は何も言わず彼がいつもいる牢屋の隅へ行き、何かを書きはじめました。1時間後、彼は戻ってきて何も言わずに手紙を投げつけてきました。「読んでくれ」と言いました。わたしは手紙を開いて読み始めると、目から涙がでてきました。その手紙は「ずっと昔、25年前、自分は軍にいてトレーニングを受けていた。」と書き始められていました。当時、ボスは20代の青年でした。手紙の続きにはこう書かれていました。
「トレーニングの軍の中にはもう一人の若者がいて、彼は土曜日に働きたくなかったために、死にそうになるまで暴力を振われていた。彼はセブンスデー・アドベンチストだった。その青年はわたしのところにきて証をした。しかしわたしは彼が言うことに耳も傾けず拒絶した。それから、25年間わたしは自分の満足のためだけに生きてきて、ついにこの刑務所にまでたどり着いてしまった。ある日鉄格子が開いて、ある青年が同じ牢屋にやってきた。それはお前だった。お前がこの牢屋に入ってきた途端、わたしは心の中で『この青年はクリスチャンに違いない。』と思った。そして『セブンスデー・アドベンチストであってもおかしくないだろう』と思った。」
ボスは、実際にわたしがセブンスデー・アドベンチストだと分かった時、物が言えないほど驚いたと言っていました。そしてさらに手紙の中で「もしかすると、神様は2度目のチャンスを与えてくださったのかもしれない。この牢屋でもう一度チャンスを与えてくださったのだ。」と書かれていました。
数週間後、わたしは刑務所で労働ステーションに配置されました。それぞれ違うステーションに配置され、毎日12時間働かなければなりませんでした。そしてとても安い賃金をもらいました。わたしは月に約10ドル稼いでいました。ほぼ無報酬で働いているようなものです。わたしは管理人として雇われました。わたしはすぐに安息日の問題にぶつかると分かっていました。管理人として配置されたその日に、わたしはそのステーションの責任者である囚人のところに行って、「わたしはセブンスデー・アドベンチストです。管理人としてわたしは建物の掃除などをしないといけないということは分かっています。しかしセブンスデー・アドベンチストとしてわたしは安息日に働くことはできません。」この責任者である囚人はわたしの顔を見て「お前の名前は何だ?」と言いました。「Sung Hoonです。」と答えると、彼は「Sung Hoon、君は大きな勘違いをしている。」と言いました。「どういう意味ですか?」と聞くと、こう言われました。「お前は自分がどこにいるのか分かっていないのか?ここは刑務所だ。お前は旅行にきているんじゃないし、家にいるわけでもない。お前は刑務所にいるんだ。何をするとか何をしないとかをお前が選択することはできない。囚人であるということは奴隷であるということだ。ただ言われたことをするのがお前の役目だ。安息日だの何だの意味の分からないことを言ってくるのはやめて、仕事に戻れ。」しかし私は彼に、「わたしは自分が囚人であることを知っています。そして刑務所にいることも分かっています。確かにここはとても特別な環境です。しかし、だからと行って急に神様の掟を破っていいことにはなりません。クリスチャンとしてわたしは土曜日に働くことはできません。」と言い返しました。わたしは、そのとき彼が怒り狂ったのを覚えています。彼は「お前に選択肢はない。土曜日にお前は働かなければならない」と言いました。
ここでわたしはもう一つの法則をお伝えします。ヨシュア記24:15です。みなさん暗唱しておられると思いますが読みます。「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」次の法則は、どんな状況にあってもわたしたちには必ず選択肢があるということです。あなたは自由の選択をもって善悪を判断するキリストの証人なのです。たとえだれと一緒にいても、どこにいても、わたしたちには選択肢があるのです。よく「わたしにはこれ以外選択肢がなかった。」とか「悪魔がわたしをこうするように仕向けた。」などということを聞きますが、多くの場合、人々がこういう発言をする理由は彼らが代価を払いたくないからです。それで「こうするしかなかった」というのです。「彼氏がもし一緒に寝なければ別れるって言われた。こうするしかなかった。」こうするしかかなったのではありません。選択したことにはその代価がついてきます。彼氏と別れることかもしれません。ある人は「もし安息日に働かなければだれがわたしの家族を養うのか?」この厳しい経済状況で現実的な話ですね。「もし安息日のために仕事を辞めたらだれがわたしの家族と子供の世話をするのか?だから安息日に働くしかなかった」しかし、選択肢はあったのです。選択したことにはその代価がついてきます。
話に戻りますと、「お前には選択肢はない」と言われたわたしは、管理人の責任者に敬意をもって、しかし断固としてこう伝えなければなりませんでした。「たとえわたしが奴隷であり、刑務所でこのような特別な状況の中にあったとしても、わたしには選択肢があることをあなたに知っていただきたいです。たとえどんなことがわたしに起きるとしても、わたしは土曜日に働いて神様の掟を破ることはしません。」と。想像できますか?責任者はひどく立腹していました。「今すぐ武官に連絡してお前を通報するぞ。もしわたしが武官に通報すれば、お前は個別の牢屋に閉じ込められ、すべての特権を失う。」と彼は言いました。それを聞いた時わたしは、「自分が今どんな特権をもっているというのだろう?何を言っているんだこの人は。」と思いました。彼が言う特権とは、友達に手紙を書いたり、両親が訪問してきてきたり、また刑務所の売店で買い物をしたりするのが許されていることでした。さらに彼は「お前はこの刑務所から3か月早く解放される特権を失う。」と言いました。それを聞いたとき、わたしは思わず聞き返さずにいられませんでした。「今、3か月早くこの刑務所から出られると言いましたか?」彼は「もちろん、もしこの刑務所で良い態度で過ごしているなら、3か月早く出所できる。」と言いました。
わたしはそれを聞いた途端、今まで自分が経験しなければならなかったすべての事を思い出しました。囚人たちとの辛い時間、そして牢屋のトイレです。そこはトイレと呼べるほどでもないのですが、ドアを開け中に入って閉めると、しゃがむこともできないほど狭く、そこに穴が空いていてトイレをします。さらにそこには蛇口もあって、そこでシャワーをします。ひどく臭うなか、蛇口からの水を浴びます。もちろん暖かいお湯などでませんので、冬にはほとんどの囚人はお風呂に入りません。しかしわたしはシャワーを浴びてからでないと眠れない人なので、蛇口の前に行って5分ほど「Sung Hoon、君ならできる。」と何度も自分に言い聞かせてから、氷のように冷たい水をバケツに汲み、頭からかけます。するとあまりの冷たさに全身が震えはじめるので、すぐに体をさすらなければなりません。あまりに冷たくて痛いほどです。そして食べ物。わたしはビーガンなので、ご飯とのり以外にほとんど食べるものがありませんでした。キムチでさえも海鮮物が入っているので食べることができませんでした。

これらのことを思い出しながら、3か月どころか、もし1日でも早く出られるならどんなことでもしたいと思いました。3か月というとほぼ100日です。「自分はもう充分やってきた。ここにはほかにだれもアドベンチストはいないし、だれにも知られることはない。ここは特殊な場所なんだ。それに、もし自分が土曜日に働かなければだれが働くんだ?」そんな思いがこみ上げてきました。もう一つ大きなことは、わたしはその時ある女性と付き合っていて、彼女に毎週手紙を書いていました。「もしわたしが今罰せられて手紙を書けなくなったら、彼女はどう思うだろう?彼女はどうなってしまうだろう?」様々な疑問が浮かんできました。そしてわたしの両親。「ひと月にたった4回しか訪問できないこの状況はすでに彼らにとってとても辛いのに、もしもう訪問することができないと言われたらどうなってしまうのだろう?」わたしは混乱していました。どうすればいいかわかりませんでした。わたしは神様に祈りました。

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