2012年4月8日日曜日

ダニエル書3章後半

是非ダニエル書三章前半の記事をお読みになってからこの記事をお読みください。
さて、ネブカデネザル王は三人のユダヤ人が像に拝まないと聞いて怒りました。

“そこでネブカデネザルは怒りかつ憤って、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを連れてこいと命じたので、この人々を王の前に連れてきた。ネブカデネザルは彼らに言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。あなたがたがもし、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して、わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。”
ダニエル書3章13-15節

ネブカデネザル王は、この三人にもう一度チャンスを与えました。本来ならばすぐに火の燃える炉に投げ込まれてもおかしくないのですが、王はチャンスを与えたのです。しかし、それでも三人は心を変えずに神様のために立ち続けました。

“シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。”
ダニエル書3章16-18節

素晴らしく賢い答えですね。彼らはこう言ったのです。燃える炉は怖くありません。我々の神様は我々をその中から簡単に助ける事ができます。しかし、もし助けてくれなかったとしても我々は金の像を拝みません。なぜならば、我々は絶対に最後まで神様に従うと心に決めているからです。

すごいことだと思いませんか?ネブカデネザル王は世界一大きく、強い国の王様でした。そんな王様の命令を拒否したのです。三人は、周りの全ての人が金の像にひれ伏しているのに、自信をもって、真実のために王様に従わなかったのです。日本人は「だめ」とか「できない」とか断るのが苦手な人が多いです。しかし、この話を読んだ後はもう言い訳なんてできませんよね。家族や友達、近所の人がやっているから自分もそれをしている、なんて言い訳にはなりません。たとえ学校が、町が、国全体がしているからといって、もしそれが真実を曲げているのであれば、あなたはそれに従う必要はありません。

では、この三人の立ち上がるための勇気はどこから来たのでしょうか。ダニエル書一章を思い出してください。一章でダニエルと三人は神様の望まれる健康的な食事のために立ち上がり、神様の祝福を経験しました。つまり三人は一章での神様の御業を信じ、三章でも立ち上がる事ができたのです。この三人の他にもユダヤ人はいたはずです。しかし一章でダニエルと三人の友人以外のユダヤ人は、食事という一見些細な事ではありますが、神様のために立ち上がることをしなかったのです。そのような人々が、三章でいきなり命を懸けてまで神様のために立ち上がることができるはずもありません。ですから、私たちも何か大きなことに対して真実を貫きたいのなら、日々、どんなに小さな事に対しても真実を貫き通すべきなのです。将来必ず来る大きな危機、問題、災難を乗り越えるため、今日から、小さかろうが大きかろうが真実のために立ち上がりましょう。

そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。そこでこの人々は、 外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。
ダニエル書3章19-23節

あの三人よりも遥かに強いはずの軍人が、あまりの火の熱さに、三人を投げ入れるために炉に近づいただけで焼け死にました。しかし、ここで奇跡が起きたのです。

その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、「われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか」。彼らは王に答えて言った、「王よ、そのとおりです」。王は答えて言った、「しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ」。
ダニエル書3章24,25節

三人はあの凄まじく燃え盛る炎の中に投げ込まれたにも変わらず、その中を歩き回っていました。それだけでも驚きなのに、四人目の者が火の中にいたのです。四人目の、”神の子”の様な者というのはイエス様のことです。ではなぜネブカデネザル王は、四人目が神の子のようだといったのでしょうか?それはおそらくダニエルと三人の友の日々の生活から、神様の愛と真実があふれ出るのを見ていたからなのでしょう。王様は彼らを通して神の子を目の当たりにされていたのです。同じように、私たちも普段の生活を通して周りの人たちにイエス様の事を伝えることができるのです。

そこでネブカデネザルは、その火の燃える炉の入口に近寄って、「いと高き神のしもべシャデラク、メシャク、アベデネゴよ、出てきなさい」と言ったので、シャデラク、メシャク、アベデネゴはその火の中から出てきた。 総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、その外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった。ネブカデネザルは言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴの神はほむべきかな。神はその使者をつかわして、自分に寄り頼むしもべらを救った。また彼らは自分の神以外の神に仕え、拝むよりも、むしろ王の命令を無視し、自分の身をも捨てようとしたのだ。それでわたしはいま命令を下す。諸民、諸族、諸国語の者のうちだれでも、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしる者があるならば、その身は切り裂かれ、その家は滅ぼされなければならない。このように救を施すことのできる神は、ほかにないからだ」。こうして、王はシャデラク、メシャクおよびアベデネゴの位を進めて、バビロン州におらせた。
ダニエル書3章26-30節

そして三人は燃える炉の中から一切の火の形跡やにおいもなく無事に出てきたのです。この三人が命を張って真実のために立ち上がった結果、神様は栄光とお力をお示しになりました。

今日からあなたも日々、どんなに些細なことに対しても真実を曲げず、神様のために立ち上がりましょう。

次回は、ダニエル書4章について書きます。それまで共にお祈りと聖書勉強に励みましょう。

04/06/2012
作者:福田ダニエル
編集者:品末拓真


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