2012年4月19日木曜日

“死”とは何?

多くの人は死というのを人生の終わりかのように見ています。死というのは不思議な理解できないものかの用に扱ってしまっています。しかしですね、死を理解しないまま人生を生きて行くのは不安で大変です。なぜなら、人間で居る限り、この世界に居る限り、死というものに必ず友達、家族、あるいは自分自身が影響されます。いったい死とは何?聖書には死についてどう書いてありますか?
実は、二つの死が在ります。
1.ほぼみんなが経験する第一の死は眠りの用なものです。でも、第一の死の後はまだ希望があります。
2.永遠の死は神様から離れ、命の手綱を永久になくす事です。この第二の死からは起きる事はできません。第二の死の後は希望は一切ありません。
イエス様は第二の死のために十字架にかかって死んでくださったのです。本来なら、罪の罰は第二の死です。しかし、イエス様は、我々人間のために第二の死を経験し、そして3日後によみがえったのです。あなたも、イエス様を救い主として受け入れれば、第二の死さけて、永遠の命を得る事ができます。ヨハネ3章16節では、キリストを信じれば、滅びない、すなわち第二の死を経験しないと言う意味です。

“神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。”ヨハネによる福音書3章16節

第一の死についての聖書からの文章
ヨハネによる福音書11章をぜひ全部読んでみてください。5分か10分ぐらいでヨハネによる福音書11章を読めるはずです。11章では、ラザロと言う人が病気で死んで4日後にイエス様は命へよみがえらしたのです。そこで、イエス様が死について言った事が記録されています。
“そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。”
ヨハネによる福音書11章11-14節

イエス様はここで、ラザロの死を眠りといっています。しかし、弟子たちが理解しなかったので、ラザロは死んだのだとはっきり最後に言いました。ですから、第一の死は眠りのようなのです。他にも聖書を探っていけば、いろいろと死について書いてありますから、ぜひ自分の時間で勉強してみてください。

第二の死についての聖書からの文章
“耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』”ヨハネの黙示録2章11節

“この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。”ヨハネの黙示録20章6節

“それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。”
ヨハネの黙示録20章14節

今は、聖書に天国に居るとはっきり示されている人たち以外は、人間みんな地球のどこかで眠っていると考えていいのです。(モーセ、エノク、とエリヤは特別に天国にもういると聖書に示されています。)
しかし、残りの人たちはイエスキリストがまた再び雲に乗って、大勢の天使たちと地球へ来る時に、地球上すべての人間がよみがえり、永遠の命か第二の死、どちらかの運命へといきます。キリストを救い主として受け入れれば、永遠の命はあなたのものです。
でも、イエスキリストの事を知る機会がないまま、死んでしまった人たちはどうなるの?もちろん直接イエスキリストの事を知るチャンスがなかった人も天国に行けます。自分に与えられた真実通り生きた人たちならば、神様と一緒の永遠の命, 天国へと歓迎されます。ですから、与えられた真実通り生きていきましょう。そして、あなたはこうしてこの記事をよんだからには、キリストを救い主として受け入れて生きていきましょう。
要するにですよ、死というのはただの眠りのような物です。キリストを救い主として受け入れれば、永遠の命へと目覚める希望を手にする事ができます。あなたは真実を貫きたい人間ですか?真実を貫きたい人間ですなら、イエスキリストと言う希望を伝えましょう。文化、人種、年齢、性別、学歴関係なく、共に真実を貫く者として、イエスキリストを人に伝えていきましょう。死と言うものは非常に悲しいものですが、キリストを信じている限り再び愛するものと再開する希望があります。ですから、今まだチャンスがある時にキリストを受け入れ、そして、周りの人たちに第二の永久の死から助けてくださったイエスキリストと言う希望を伝えていきましょう。
真実を貫く自身がありませんか?心配無用。イエスキリストから真実を貫く自身を求めましょう。常にイエスキリストと言う希望を心に持って真実を貫いて、人生がんばりましょう。
作者:福田ダニエル

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