2013年12月25日水曜日

福音への免疫6

どうやってわたしたちは福音に無関心になるのでしょうか?ヨシュア記24章を開いてください。旧約聖書のヨシュア記最後の章です。ヨシュアはイスラエルの民を約束の地へ導いた偉大なリーダーです。モーセはイスラエルの民をエジプトから導き出しましたが、約束の地へ行くことは許されませんでした。約束の地に民を導き入れるのはヨシュアの役目でした。ヨシュア24章は、ヨシュアがイスラエルの民を約束の地へと導いた後、年老いてもうすぐ死ぬという場面です。死に際のヨシュアはイスラエルの民が真実に専心していること、神様に専心していること、そして神様のしてくださったことを覚えていることを確認しようと思いました。これはヨシュアの最後の言葉です。ヨシュアがイスラエルの民になんと言ったのか、読んでみましょう。

「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」 ヨシュア記24章14-15節

ここでヨシュアは人々に選択を迫ります。ヨシュアはその日まで導いてくださった主に仕えるよう勧めます。

では人々がどう答えたか読んでみましょう。「民は答えた。『主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」 ヨシュア記24章16-18節

人々は主に専心していました。彼らは誰に仕えたいかよく知っていました。彼らはエジプトから導きだされ、立て続けに勝利を得、ヨシュアが彼らを約束の地へと導き入れたことを鮮明に覚えていました。そのヨシュアが今眠りにつこうとしており、彼らに二つの選択肢を与えました。主に仕えるか、ほかの神々に仕えるか。人々は、「わたしたちは誰に仕えたいかを知っています。わたしたちは主に仕えます。主はわたしたちを導いてくださいました。わたしたちはその奇跡を見ました。わたしたちは主に従います。」と宣言しました。


しかしイスラエルの民の後の歴史をたどると、彼らは神様に近づいたり離れたり、輝かしいときもあれば暗いときも多々あり、神様の御心から離れていきました。

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