2013年12月30日月曜日

福音への免疫10

さて、イエス様の時代はどうだったのでしょうか?エゼキエル書からマタイによる福音書11章へ移りましょう。無関心とその危険性を皆さんに知っていただきたいです。皆さんの多くは既に無関心を経験しているかもしれません。ですからここに書かれているのは、わたしたちに対するメッセージなのです。イエス様が公共の場で伝道し始める前に伝道していた人の話です。それは偉大な預言者、真実を語ったバプテスマのヨハネです。エルサレム中の人々が彼の言葉を聴きに来ました。想像できますか?マタイ11章13,14節にてイエス様はバプテスマのヨハネのことをこのように言いました。「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。」興味深いことに、イエス様が生まれる400年ほど前に預言者マラキは、「預言者エリヤをあなたたちに遣わす」と神様が言われたと預言しました。つまりイエス様は、「あなたがたが探している預言者エリヤとは、バプテスマのヨハネのことである」と言ったのです。バプテスマのヨハネはそれほど力をもって福音を宣べ伝えたのです。

しかしエリヤの時代にあった無関心さは、バプテスマのヨハネの時代にもみられる傾向でした。「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった』」(同16,17節)。どういう意味でしょうか?彼らは正しい反応をしなかったのです。ただ無関心さが読み取れます。誰もバプテスマのヨハネのメッセージに反応しなかったのです。

今のわたしたちの時代にも、こういった態度がみられますか?わたしたちにもこの状況に陥る危険性があります。「自分たちはあのころの人々とは違って、福音が語られるたびに心が動かされて変えられている」という人は残念ながら珍しく、右耳から左耳へとメッセージが流れていくという人が多いのではないのでしょうか?わたしたちはよく、イエス様がわたしたちにしてくださったことをお説教で聞きます。数百ものイエス様のお話を聞きながらも、この簡単な質問―わたしはイエス様のためになにができるだろうか?―をせずに日常生活に戻ることだって可能です。その結果、わたしたちは福音に対して無関心になってしまうのです。


わたしはこのお説教を「福音への免疫」と題しました。それはインフルエンザの予防注射のようなものです。注射でウイルスを少し体のなかに入れて抗体をつくらせて、インフルエンザを予防するのです。それと似たように、わたしたちは福音を予防注射のように扱っているのです。わたしたちはちょうどいい量の福音に身をさらして、もう福音から影響を与えられないようにしているのです。自分にとってちょうどいいだけ、イエス様が自分のために死なれたという話を聞くのです。わたしたちはそんなことを何回もそれを繰り返しているうちに、福音に対して免疫力をつけてしまったのです。何回も同じことを聞いてきたので、今さらイエス様がしてくださったことを聞いても、それはわたしたちに何ら影響しなくなってしまったのです。

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