2013年12月18日水曜日

福音への免疫 2

それでは、ヨハネによる福音書1章を開きましょう。今からナタナエルを見ていきます。私はこのお話が大好きです。今日はこのお話を深く掘り下げて読みたいと思います。きっと多くの方が、ナタナエルの経験に共感できると思います。

ではヨハネによる福音書1:43を読みましょう。聖書にはこう書いてあります。「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、『わたしに従いなさい』と言われた。」これは、イエス様の弟子にならないかという招きでした。「フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった」(44節)。そして45節で、フィリポはイエス様に従う決心をします。しかしフィリポは、ただ自分だけが招きに応じるのではなく、他の人も招いたのです。その招かれた人がナタナエルです。ここからがお話の本題です。「フィリポはナタナエルに出会って言った」(45節)。少しお話の先を読むと、ナタナエルがいちじくの木の下に座っていたことがわかります。いちじくの木の下に座っているナタナエルを想像してください。フィリポはナタナエルを探しています。そしてついに親友のナタナエルを見つけ、彼のもとにやっていきます。そこでフィリポは何と言ったでしょうか?「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(45節)。


わたしたちはこの言葉の衝撃を理解しなくてはなりません。いったいフィリポは何を言っているのでしょうか?いちじくの木の下に座っているナタナエルに、何と言っているのでしょうか?彼は、「わたしたちは神の子を見つけた!」と言っているのです。約束されていたメシア、この世の救い主を見つけたと言っているのです。ユダヤ人たちは、このメシアを数百年も待っていました。数々の預言が成就し、メシアが来るという希望が高まっていたころでした。そこでフィリポは、ナタナエルにこう言ったのでした。「わたしたちはメシアを見つけた!」と。「メシアを見つけた!」これは、小っぽけな言葉なんかではありませんでした。革命的な宣言だったのです。

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