2012年12月24日月曜日

あらののはてに

https://soundcloud.com/mko-6/e1ub9iyunviv

http://www.youtube.com/watch?v=hh_ZGFgX3pg


1. あらのの果てに 夕日は落ちて
    たえなる調べ あめより響く
※  グロリア イン エクセルシス デオ
  グロリア イン エクセルシス デオ(いと高きところ、神に栄光あれ)
2. 羊を守る 野辺の牧人
  あめなる歌を 喜び聞きぬ
3. みうたを聞きて 羊飼いらは
    まぶねに伏せる 御子を拝みぬ
4. 今日しも御子は 生まれ給いぬ
     よろずの民よ 勇みて歌え

もろびとこぞりて

https://soundcloud.com/mko-6/t6lbo5zebrhw

1. もろびとこぞりて 迎えまつれ   久しく待ちにし 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

2. この世の闇路を 照らし給う   たえなる光の 主は来ませり   主は来ませり 主は、主は来ませり

3. 平和の君なる 御子を迎え   救いの主とぞ ほめたたえよ   ほめたたえよ ほめ、ほめたたえよ



みくにをもみくらをも

https://soundcloud.com/mko-6/alhnqhmg93mq


1. みくにをもみくらをも あとにすてまして、
   くだりにしイエス君を うくる家あらず。

   (くりかえし)
   住みたまえ、きみよ、 ここに、この胸に。
  
2. みつかいは声たかく み名をほむれども、
   かみの子はまぶねに うまれたまいけり。

3. きつねにも穴はあり、 鳥に巣はあれど、
   ひとの子は地のうえに ねむりたまいけり。

4. つながれしつみびとを はなちます君を、
  カルバリにくるしめし 人のつれなさよ。



In the Bleak Midwinter/凍えそうな寒い夜

https://soundcloud.com/mko-6/in-the-bleak-midwinter

http://www.youtube.com/watch?v=PeMbB50aDRE




1. In the bleak midwinter, frosty wind made moan, 
    earth stood hard as iron, water like a stone; 
    snow had fallen, snow on snow, snow on snow, 
    in the bleak midwinter, long ago.

凍えそうな寒い冬
土は凍り霜はたち
キラキラ雪が舞い降りる
遠い昔冬の夜

2. Angels and archangels may have gathered there,
    Cherubim and seraphim thronged the air;
    But His mother only, in her maiden bliss,
    Worshipped the beloved with a kiss.

天使たちが空に舞い
喜びの歌地に響く
母マリヤは幼子に頬を寄せて愛おしむ

3.  What can I give him, poor as I am? 
      If I were a shepherd, I would bring a lamb; 
      if I were a Wise Man, I would do my part; 
      yet what I can I give him:  give my heart.

僕は何をささげよう
貧しい僕には何もなく宝物も何もない
僕の心を主にあげよう
この心主よ 受けたまえ 主よ



2012年12月21日金曜日

ドウェイン・レモンの証 17 ~結び~


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。   

 今からひざまずいてお祈りします。もし心から罪の赦しを求めるならば、イエス様はわたしたちのどの様な罪でも赦してくださいます。罪人としてひざまずいてお祈りしても、お祈りの後には聖なる者として立ち上がることができるのです。皆さんにそのことを体験して頂きたいです。サタンは、「お前の罪は許されない。神様の律法をすべて守って、聖なる者と認められ、天国に行くことなんてお前にはできない。」とささやき、人々を惑わします。しかしマルチン・ルターが言ったように、「その通り、わたしは罪深いです。弱さもあります。しかしわたしのために死んでくださった方がいて、今では天を治められているのです。そして彼はわたしの仲介者です。彼によって、わたしは神様の愛する者とされているのです」とわたしたちも言いたいです。

 みなさんはこのメッセージを信じますか?もし信じるなら、その場で立ってください。ダニエル書12章に、イエス様はわたしたちのために立ち上がられると書いてあります。もし今あなたがイエス様のために立ち上がったのなら、イエス様も皆様のために立ち上がられました。そして、今みなさんのすぐそばにおられるのです。辛いことがたくさんあるかもしれません。試練が襲ってくるかもしれません。しかしイエス様は、「どうやって自分の試練に立ち向かうか、そして十字架を負うかをわたしは知っている。教えてあげよう。わたしと一緒に歩みなさい。」と招いておられます。みなさんがイエス様と歩むことを願っています。わたしもイエス様と歩みたいです。今こそ心からクリスチャンとなるべき時です。心からです。今、神様の御前にひざまずき、神様に心を尽くしてお祈りしましょう。

 「天の父なる神様、あなたのために立ち上がった人たちをあなたは見られました。神様、わたしたちはまだ想像することしかできませんが、天国に感謝します。天の御使いたちは「ハレルヤ!」と叫んでいます。なぜなら、この中にいる人たちが今日、あなたに従う決心をしたからです。あなたのために生きたいです。神様、毎日わたしを暗闇から引きだし、あなたの偉大なる光のなかに導いてくださっていることを感謝します。そして、わたしたちの友人、兄弟姉妹一人ひとりのためにお祈りします。あなたは、彼らを暗闇から引き出すこともおできになるからです。わたしたちの決意を固めさせてください。聖霊で満たしてください。あなたの御心が行われますように。また、わたしたちの罪を赦してくださり、ぬぐいとってくださったことを感謝します。わたしたちが死ぬ時まであなたに忠実でいられますように。そして義と認められますように。イエス様の非の打ち所のない人生に感謝します。イエス様のようにわたしたちも生きられますように。この感謝と祈りをイエス様の御名を通してお祈りします。アーメン。」

おわり

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年12月20日木曜日

ドウェイン・レモンの証 16


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。  

 「イエス様がいつ来られても大丈夫。わたしたちが罪の中にいても、全員救ってくださるのだから。」聖書はそう言っているでしょうか?イエス様は、罪の中にとどまると決めた人たちを救うことができますか?マタイによる福音書1章21節にこう書いてあります。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」「罪から救う」と書いてあります。罪から救ってくださるということは、人間に与えられている最高の祝福であり福音です。みなさんは、今どれだけ多くの人が罪に縛られて生きているかご存知でしょうか?わたしはいま長老として働いていますが、その前にも様々な役目を教会で担ってきました。しかし、実際にわたしも罪深く、罪の中に生きていました。たとえ朝に登壇してお説教をしたとしても、夜には罪の暗い洞窟へと入ってしまっていたのです。セブンスデー・アドベンチスト教会員でありながらです。わたしはいつも青年たちに伝えます。「君たちがどんな状況に対面しているかよく分かるよ。」そして大人には、「皆さんが、いつもこうあるべきだ、という理想像を掲げて、それに少しでも近づけるようにクリスチャンをただ演じているだけの人もいます。」と言います。イエス様は今日わたしたちを救いたいと思っておられるのです。愛する兄弟姉妹であるみなさん、もしかしたらみなさんは偶然このお話を聞いていると思うかもしれません。しかしわたしは、神様が皆さんの手をとってここに導いてきて、必要なメッセージを聞かせようとこの場に集わせてくださったと信じています。

 今日はわたしの証でしたが、みなさん一人ひとりにも自身の証があるはずです。そして、みなさんがもっているその証を必要としている人がどこかにいるはずなのです。なぜなら、人々は困難の中にあるからです。私自身、このように神様のメッセージを伝える人になるとは想像もしていませんでした。わたしがここまで神様に委ねるようになるとは思っていませんでした。しかし、これが神様はよい方であることを証し、わたしたちを悔い改めへと導いてくれます。

 みなさん、わたしは自分が罪びとではないと言っているのではありません。わたしは自分の弱さを知っています。わたしは今まで以上にイエス様が必要だと実感しています。毎日が上り坂のようです。しかし上り坂も毎日上り続ければ、いつかは頂上にたどり着きます。イエス様は、わたしたちに上り続けるようにと励ましておられます。神に従う人は七度倒れても起き上がります(箴言23章16節)。どんな罪が皆さんを縛り付けているかは関係がありません。イエス様は、みなさんにその罪に対する勝利を与えることができます。ただわたしたちがそれを受け入れる必要があるのです。よく聞いてください。みなさんのお父さんやお母さんは、いつも完璧な模範ではないということを理解しています。そしてお父さんやお母さんである皆さん、皆さんはたまに困難の中にあって、自分とイエス様との関係を修復しようとしておられる時があるということを知っています。そして青年たち、この世の中には魅力的でわたしたちの気を引くものがたくさんあります。しかしイエス様は、もうすぐ再び来られるので、真実を手放さないようにしっかりと握っておくようにとわたしたちに命じられました。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年12月19日水曜日

ドウェイン・レモンの証 15


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。 

 わたしが今から話すことは、特に聖書を教える立場にある人によく聞いていただきたいです。わたしはある告白をします。わたしが教会へ通い始めて伝道に力を入れ始めた頃、わたしがお説教のために登壇すると、そこはわたしのためのステージになっていました。サタンは簡単には諦めません。何百年も前にコンスタンティンに使った手法を、サタンは今日も使っています。サタンは、迫害の効果が無いなら、異教徒の教えをクリスチャン風に仕立てて、人々を神様から引き離そうとしてきました。日曜礼拝もその一つです。愛する兄弟姉妹たち、サタンは今日、わたしたちにも罠を仕掛けてきているのです。

 わたしはお説教の時、会衆を感心させるためだけにたくさんの聖句を引用しました。会衆はそれを好んでいました。人々がわたしを誉めれば、わたしは、「神をたたえよ」と謙遜なふりをしました。わたしは人に見られることが、そして自分のお説教に様々なコメントを頂くことが大好きでした。わたしは福音を自分の栄誉のために伝えていたのでした。

 しかしある日、主はわたしに示されました。「息子よ、もし本当に救われたいのなら、あなたは、人々から承認を受けたいという願望を完全に手放しなさい。」

 わたしにとってイエス様は十分でなく、自分と同じような罪深い人間から「あなたのやっていることは神様の仕事だ。」と認めてもらいたかったのでした。わたしが説教をすることで天国にて喜びが起きているということも、わたしの心を満たしませんでした。「アーメン!」と自分の言っていることは正しいと確証してくれる人を欲していたからでした。
 
 神様はわたしの心に語りかけました。「今あなたがしていることは、ヒップホップゴスペルダンスで福音を伝えるふりをして名誉を求めていた時よりも忌まわしい。なぜなら今あなたは、わたしの言葉を用いて自分を高めようとしているからだ。」

 神様はわたしが謙遜になるためにあることをしました。どんな方法だったと思いますか?わたしはいつも「人から認められたい、受け止められたい。」と思っていました。神様は、「わたしの教会は危機の中にある。だから、わたしと人々を本当に愛しており、真実を語る人が必要である。そのメッセージは必ずしもみんなに受け入れられないかもしれないし、評判は良くないかもしれない。しかしイエスの愛が人々の心を動かす。真実を伝える事、それが天から定められた働きである。あなたはもう会衆を楽しませる人ではない。わたしの言葉を愛をもって率直に人々に伝えるのだ。もうすぐわたしは再び来るから、わたしの人々の準備ができていてほしい。」とわたしに語りかけたのでした。
 
 わたしはその言葉を受け入れて、聖書に書かれている真実を伝え始めました。すると、人々の注意を引くことに専念していたころとは違い、わたしが話していることを受け入れない人も出てきました。自分の生き方を妨害するようなメッセージを聞いたとき、人はそのメッセージを拒否するのです。そして神様は、わたしが人々から支持を得たいという欲望を手放すにはそれが一番いい方法だということを知っていました。神様のメッセージを伝え始めてから、わたしはイエスを信じるという事を学びました。そして真実を伝えるとはどういうことかを学びました。それはいつもうまくいくわけではないですし、否定されることもあります。しかし、イエス様はもうすぐ来られるのです。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年12月17日月曜日

コツコツと



 期末テスト週になるとため息の数が増えるのは、きっと僕だけじゃないはず。休みが間近に迫っているにもかかわらず、とても鬱々とした気分になります。そして、「一週間前から勉強しておけばよかったな」とか「学期始めから毎日コツコツと勉強しておけば…」なんてことを思います。
 そんな中、やはり多くのものは日々の積み重ねによるものだと気づかされました。勉強、スポーツ、音楽、仕事、聖書通読、人間関係など、どれもいきなり上手いことやるなんて中々できません。例えゲームにしたって、突然レベル100に上げることなど普通はできません。
 では、あなたと神様との関係はどうでしょうか?急に親密な関係になれると思いますか?例えば、あなたに新しく恋人ができたとします。初めは相手にぞっこん惚れていて、全てが良く見えます。でも時間が経つにつれて、少しずつ相手の嫌なところが見えてきたりします。それでも本当の愛と忍耐のあるカップルはそれを乗り越えて、さらに深い関係を築いていくことができるでしょう。
 僕の場合、神様と時間を過ごすほど、神様の嫌なところではなく自分の嫌なところが見えてきました。偉大なる神様の前に立つと、自らの弱い部分が浮き彫りにされるのです。それは痛く辛いものです。しかしそんな自分のために命を捨て、この不完全な僕を完全にしてくれる神様を再認識するとき、もっと神様と仲良くなりたいと思います。
 「もう少しの間自分の好きなことをやって、再臨が近くなったら神様のもとに戻ってくればいいや」と思う人がいるかもしれません。でも、いざという時に神様との関係を築ける保証はあるのでしょうか?2000年前から世の終わりは近いと言われています(*マタイ3:2)。今日は、その頃よりどれだけ近いでしょう。しかしいつ世の終わりが来るか僕たちにはわかりません(*マタイ24:36)。それは抜き打ちテストのようなものです。「神様は意地悪だ」と思いますか?そんなことはありません。もしもテストの日時を知っていたら、ギリギリまで何もせず、最後の短時間で苦しみながら何とかしようとするかもしれません。しかし、正確な日時を知らず、でも近いうちに来ると知っていれば、いつ来ても良いように今から準備を始めないでしょうか?
 神様はあなたと今、関係を築きたいと思っています(*黙示録3:20)。あなたのために命を捨てたほど、愛しておられるからです(*ヨハネ3:16)。今日から毎日、少しずつでも神様と過ごす時間をとってみてはいかがでしょうか。

「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」
ペトロの手紙 一 1:13

*マタイによる福音書3:2「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
*マタイによる福音書24:36「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。」
*ヨハネの黙示録3:20「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をするであろう。」
*マタイによる福音書3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

著者:品末 拓真
編集者:森 春香

2012年12月9日日曜日

何のために生きよう

皆さんは東北大震災を覚えていますか?僕はその時横浜の家にいたのですが、今までに感じたことのない大きな揺れにとても怖くなったのを覚えています。

この震災で多くの人が職を失い、家を失い、家族を失い、自らの命を失いました。僕は今でも心が痛みますが、それと同時に人間のもろさとこの世の空しさについて考えさせられます。

僕たちはいつ死ぬかもわからないのに、死などきっと遠い将来のことだと考えます。津波で簡単に取り去られるようなものを手に入れるために必死で努力します。そしてこのような出来事を体験した時、本当に大切なものはお金では買えないのだと気づかされます。

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
コリントの信徒への手紙 二 4:17,18

あなたは今、何のために生きていますか?何を一番にしていますか?それはあっけなく消え去るものでしょうか?それとも永遠に続くものでしょうか?

僕たちにはそれを選択する権利が与えられています。僕は見えないものを選びます。あなたはどちらを選びますか?


執筆者:品末拓真


(これは10/8にhttp://www.facebook.com/adventistyouthjp掲載されたものです。)

2012年12月2日日曜日

怒りの対処法


 みなさんはどうしようもないほど怒ってしまったとき、その煮えたぎるような感情をどう対処していますか?聖書の詩編59編には、ダビデがサウルから逃れようとしているときにダビデが書いた詩が記録されています。正しいことをしようとしているダビデを殺そうと追ってくるサウルに対して、怒りを覚えるダビデの感情が書き表されています。この詩から学べる怒りの対処法には5つのステップがあります。

1. 神様に助けを求める。
2. 神様に状況を説明する。
3. 怒りの感情を正直に神様に打ち明け、手放す。 
4. 賛美する。
5. その経験から何を学んだか考え、成長する。


1. 神様に助けを求める
 「わたしの神よ、わたしを敵から助け出し 立ち向かう者からはるかに高く置いてください。悪を行う者から助け出し 流血の罪を犯すの者から救ってください。」(詩編59:2-3)。ダビデは敵、又は悪を行う者から助け出されることをまず神様に求めています。

2.神様に状況を説明する。
 「御覧ください、主よ 力ある者がわたしの命をねらって待ち伏せし 争いを仕掛けて来ます。罪もなく過ちもなく 悪事をはたらいたこともないわたしを 打ち破ろうとして身構えています。」(詩編59:4-5)。ここでダビデは、自分の善い行いにもかかわらずサウルが襲ってくるという状況を神様に話しています。神様は全知全能なので、ダビデが状況を説明する前からすべてのことをご存知でした。ではなぜ彼は祈ったのでしょうか?お祈りは、神様とのコミュニケーションのためにあります。コミュニケーション無しで誰かと関係を築く事はできません。人間が神様との関係を築くために、祈りは必須なのです。それと同時に、祈ることによってむしろわたしたち自身が状況を明確に把握することができます。

3. 怒りの感情を正直に神様に打ち明け、手放す。
 「(6)あなたは主、万軍の神、イスラエルの神。目を覚まし、国々を罰してください。悪を行う者、欺く者を容赦しないでください。(14)御怒りによって彼らを絶やし 絶やして、ひとりも残さないでください。」(詩編59:6,14)ダビデはこのように怒りの感情を神様にぶちまけました。怒りを抑えつけるのは体にもよくありません。しかし、何にでもあたりかまわず怒りをぶつけていると、周りの人や物を傷つけてしまいます。また、自分の怒りを受け止めきれない人に矛先を向けてしまうと、今度はその人が耐えられないでしょう。ではどの様にして怒りを発散するべきなのでしょうか?わたしたちの怒りを受け止めきれるお方に打ち明けねばなりません。神様は人間のどの様な怒りをも受け止めることができます。ダビデがお祈りでしたように、自分の怒りを正直に御前に差し出しましょう。わたしたちがどういう気持ちなのか打ち明けてほしいと神様は思っておられます。それは、神様がわたしたちと個人的な関係を築きたいと望んでおられるからです。そして神様に怒りを打ち明けたあとは、その怒りにしがみつき続けるのではなく、手放しましょう。神様はわたしたちの怒りを取り除き、心に平和を与えてくださいます。

4. 賛美
 「わたしは御力をたたえて歌をささげ 朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場。わたしの力と頼む神よ あなたにほめ歌をうたいます。神はわたしの砦の塔。慈しみ深いわたしの神よ。」(詩編59:17,18)あれほど怒っていたダビデですが、怒りを神様に打ち明け、手放したあとは神様を賛美しています。彼の心に平和がおとずれたのです。

5. その経験を通して何を学んだか考え、成長する。
 神様はわたしたちに常に成長してほしいと望んでおられます。自分の人生を神様に捧げると決心した後は、成長し続けるべきなのです。ダビデは自分を殺そうと追ってくるサウルに対する怒りを、神様に打ち明けて手放すことができました。洞窟にてダビデはサウルを殺すこともできましたが、サウルが主が油を注がれた方であるからと言って、手をかけませんでした。そしてサウルの上着の端を切り取りました。「しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し」(サムエル記上24:6)ます。なぜなら、それは主が油を注がれた人の上着だったからです。ここにダビデの成長が見られます。あれほどサウルに対して怒っていたダビデですが、サウルを殺そうと思えば殺せたのにそうせず、上着を切り取ったことすら後に後悔しました。

 この詩編59編からわたしたちが学べることは、神様がわたしたちの怒りを受け止めることのできる大きなお方であり、祈りを通して怒りを御前にそのまま持っていく大切さ、怒りのような醜い感情であっても、神様はわたしたちから伝えてほしいと思っておられること、そして神様には私たちの醜い感情を取り除き、平安を与える力があるということです。神様に全てを委ね、成長していきましょう。

著者:森 春香
編集者:品末拓真


2012年12月1日土曜日

きよしこの夜

もうすぐクリスマスですね!
クリスマスといえばこの曲。何人かのメンバーで演奏し、録音したのでぜひ聞いてみてください。

http://soundcloud.com/mko-6/wroksrtszgim

http://www.youtube.com/watch?v=rLqTfXLJWMQ

2012年11月18日日曜日

ドウェイン・レモンの証 14

audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

 わたしは聖書を勉強するのが好きでしたし、お説教をするのも好きになりました。そんなある時、ブルックリンのとある教会でお説教をするようにと頼まれました。そこで神様はわたしを用いてくださいました。ほかの人を神様に導くためというよりも、わたし自身を神様へと導くためでした。神様がわたしを通して会衆に語ってくださったため、その安息日にわたしのお説教を聞いた人々はとても祝福されました。お説教のあとわたしが出口に立って、「神様の祝福がありますように。」と一人ひとりと握手をしながら人々を見送っていると、50代ぐらいの男性が来ました。わたしが彼の手を握り、「神様の祝福がありますように。」と言うと、彼はわたしの手を離そうとせず、涙を流しました。彼は、「あなたが今晩話したメッセージは、わたしの人生を永遠に変えました。」と言いました。そしてわたしにハグをして「ありがとう。」と言い、帰っていきました。その直後、聖霊が「ヒップホップゴスペルダンスをしたあとで、この50代の男性のようにあなたに話しかけてきた人がいただろうか?」とわたしに訊ねてきました。その時、わたしは決心がつきました。わたしはその日、ヒップホップゴスペルダンスをやめ、伝道の道を前へと進みました。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年11月11日日曜日

ドウェイン・レモンの証 13


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

 わたしは教会へ行き始めてからも、しばらくダンスを続けていました。ある時、ラッパーのヘヴィーDから電話がきて、「カリフォルニアへツアーに行くからお前にも来てほしい。」と頼まれました。わたしはまだイエス様に完全に人生を捧げていませんでしたが、「金曜日の夜、お休みをくださるのなら行きます。」と答えました。しかし彼は、「それはできない。金曜日の夜は踊って、それから部屋へ帰って土曜日は安息日として休んでいい」と言いました。わたしは金曜日の夜にダンスをするという条件をのみました。イエス様に背を向けたのです。わたしはツアーへ行き、安息日も踊っていたのですが、その中でイエス様が恋しいという思いを経験しました。イエス様と本当の関係を築きたいと思っていたからです。
 ペンテコステ教会に通っていた時に習慣づいたことのなかで、聖書を適当にパッと開いて、そのページ上を指で適当に指し、その指した聖句を勉強するというものがありました。ある金曜日の夜、わたしはこれからダンスをしないといけないと分かっていました。だから安息日は守れないけれど、今は神様との時間を持とうと思い、聖書を開いて適当に指を指してみると、箴言28章9節にあたりました。そこには「教えに耳をそむけて聞こうとしない者は その祈りも忌むべきものと見なされる。」とありました。それが、わたしの指した聖句でした。わたしは聖書を閉じ、「今は礼拝すらできない…。」と思いました。「忌むべきものと見なされてしまう」と思ったからです。わたしはこれから罪を犯すと分かっていました。いわゆる不正です。不正行為は知らずに犯してしまった罪ではなく、前もって計画された罪です。不正を行う人は、罪を犯す前にそれが罪だと知っています。ヘブライ人への手紙6:5-6には「神のすばらしい言葉と来たるべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱するものだからです」とあります。わたしは結局その晩、礼拝すらできませんでした。
 ツアーが終わり、次のツアーが始まる前にわたしは教会へ行きました。そこで、神様に忠実であるということをテーマにしたとても力強いお説教を聞いたわたしは、ヘヴィーDに電話をかけ、「よく聞いてください。わたしはこのツアーには行けません。」と伝えました。彼は「お前は頭がおかしくなったのか?!このツアーでお前は有名になれるんだぞ」と言いましたが、わたしは「わかっていますが、いけません。」と答えました。彼は更に「仕事がなくなってもいいのか?」等々言ってきましたが、わたしはそのまま電話を切りました。
 それからわたしはヒップホップゴスペルダンスをはじめました。様々な場所でヒップホップゴスペルダンスをして歓声を浴びましたが、ステージから降りた後にはいつも変な気分になりました。なにか間違っているような気がしたのです。見に来た人たちはわたしに電話番号を渡してきましたが、聖書には興味がありませんでした。彼らはイエス様については話してこず、「あのスピンどうやってやるんですか?」と聞いてきました。そこでわたしは、神様にあるべき栄光と誉れがわたしに向けられてしまっていることに気付いたのでした。


つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年11月4日日曜日

ドウェイン・レモンの証 12

audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。


 ある男の人が私の家に来て聖書を一緒に勉強してくれることになったので、わたしは「神様、このかわいそうな男を助けてください。わたしは彼を質問攻めします」と祈りました。神様はとても素晴らしいお方です。わたしたちがどんな状況にあっても、その場所でわたしたちに会ってくれます。その男は、ジャマイカ出身のムーゲン・モーガンという小柄な男でした。わたしが質問をする度、彼は興味深い答え方をしました。例えばわたしが、「イエス様はなぜ人の子であると同時に神の子であるのですか?矛盾しているでしょう!」と言うと、彼は「とてもいい質問だね。君は深く物事を考える」と言いました。ムーゲン・モーガンはとても賢い人でした。彼が「とてもいい質問だね。」というので、わたしは「そうだろう!」と思いました。すると彼は、「聖書のこの箇所を読んでみて」と言ったので、そこを開いてみると、わたしの質問に対する答えが書かれていました。わたしは「すごい…」と思いました。彼はいつも聖書から答えをくれました。「それならこれはどうですか?」と次々に彼に質問を投げかけると、彼は毎回、「とてもいい質問だね。君は本当に真実が知りたいんだね。それじゃあ聖書のこの箇所を読んでみて」と言いました。どれだけ質問しても聖書から答えを引用できるので、彼は手品をしているのではないかと思うほどでした。わたしは、聖書のどの本の何章何節に何々があると正確に記憶している人に出会ったことがありませんでした。原稿やメモに聖句の箇所を書いている人はいましたが、ムーゲン・モーガンはそれらをすべて記憶していたので、ぱっと答えがでてきました。わたしは、「どうしたらそういうことができるのですか?」と聞くと、彼は、「神様を愛している人は、神様と過ごす時間と神様の言葉を学ぶ時間をもつんだよ」と答えました。
 1か月ほど後にわたしはバプテスマを受け、セブンスデー・アドベンチスト教会に加わりました。わたしはすぐに、昔ダンスを一緒にしていた友達のデミエンの所へ行き聖書を一緒に勉強し、彼もバプテスマを受けました。そして彼と一緒に近所を一軒ずつまわり、他の友達たちとも聖書を勉強し始めました。わたしたちはお互いに電話を掛け合い、わたしが友達に、「イエス様は神様じゃないとわかった。聖書に、イエス様が『わたしの父なる神はわたしより優れている』と言ったと書いてあるよ。イエス様が神様ほど優れていないなら、どうしてイエス様が神様になれるのか。どうやって証明する?」と聞けば、友達は、「それじゃあ聖書のここを見てごらん。イエス様は父なる神様と等しかったと書かれているよ。そこから更に読むと、イエス様はへりくだり自分を低くした、とある。すべての主人は僕にまさると書いてあるように、イエス様はこの地上で人間であったとき、自分のやりたいことではなく神様の御心を行うためにきたので、『父なる神様はわたしより優れている』と言ったんだよ」と答え、お互いをテストしあっていました。何度も電話をかけあい、互いに質問しあいながら御言葉を学びました。わたしたちはとても興奮していました。聖書はわたしに命を与え、それを読むことに興味をくれました。高校中退であったわたしは高等学校卒業程度認定試験を受け、後に短期大学士をもらうに至りました。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年10月28日日曜日

ドウェイン・レモンの証 11


audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

 数日後、友達が家にやってきて、「わたしが見つけたものを見て!道路に落ちていたわ。」と言いました。それは広告でした。皆さん、よく道ばたに広告が落ちていると思いますが、あなたはそれを拾いますか?それにどんな恐ろしい菌がくっついているか、知れたものではありません。ところがわたしの友達は、なぜかその広告を拾ってきたのです!
 ここでわたしは一つ、みなさんに打ち明けなければなりません。わたしはその頃、黒人である自分に対する見方に問題がありました。イスラム教の人たちとたくさんの質問を投げ合い、議論しているときに彼らはわたしにこう言いました。「じゃあ君に質問しよう。もし君がそんなにキリスト教を信じると言うなら答えてくれ。なぜ天使たちは白人で、イエスも白人で、モーセも白人なのだ?まるで聖書に出てくる人はみんな白人みたいだ。ただ唯一の黒人は、イエスの十字架を運んだキレネ人のシモンだけ。なぜだ?何かおかしいと思わないのか?」彼らはこういう毒々しい考え方をわたしの脳に植え付けていました。
 それでは、わたしがイスラム教に傾いていたとき、神様がどの様にしてわたしのいたその場所で会ってくれたかお話しましょう。わたしはどれほど神様を愛しているか!神様は、私たちが今いるその場所に来てくれます。神様は当時のわたしがどういう考え方をしているかよくご存知でした。その頃わたしは、スティーブン・マルクメスというロックミュージシャンをものすごく尊敬していました。彼の知的なトークや、物の見方が大好きでした。再度言いますが、神様は、今あなたがいるその場所で会ってくれて、あなたを引き上げてくださいます。神様はとても素晴らしいかたです。では、神様がわたしに何をしてくださったか言いましょう。わたしの友達が拾ってきたその広告には、誰かの顔写真が載っていました。そして、その顔はマルクメスの顔にそっくりでした!それを見たとき、「クリスチャンの人だけど、マルクメスにそっくりだ!いい知らせだ!」と思いました。その広告は、わたしの家から15分離れた場所で持たれるテント集会の宣伝でした。初日の夜の題名は「アフリカ系アメリカ人と豚」でした。「これは行ってみなくては!」と思い、わたしはその土曜の夜、集会所へ行ってみました。説教者は、スティーブン・ウィリアムズ牧師という人でした。彼はレビ記11章からお説教をしていました。豚は清くないものだと言ったので、イスラム教を勉強していたわたしは「その通りだ!このクリスチャンたちに言ってやれ!教育してくれ!豚を食べないように言ってやれ!」と思いました。ところが、ウィリアムズ先生は、「それから、海老、伊勢海老、カニも」と言ったので、わたしは「何っ?!」と思いました。そんなことは一度も聞いたことがなかったからです。イスラム教徒たちは、豚は食べませんが、海老やカニは食べていました。そこで聖書を見てみると、確かにそう書いてありました。それからウィリアムズ先生は、もっと詳しく聖書を解説しはじめました。わたしは、今までにこんな話し方をするクリスチャンに出会ったことがありませんでした。何故なら、彼は言った全てのことを聖書で証明できたからです。
 その集会の後、わたしはウィリアムズ先生に話しに行きました。「こんばんは、あなたたちは何者ですか?こんなことは一度も聞いたことがありません。」と言うと、彼は、「わたしたちはセブンスデー・アドベンチストです。」と答えました。わたしが「なんですかそれは?」と聞くと、彼は「君は勉強したいみたいだね。」と言い、彼の私用の電話番号をくれました。わたしは、今までそんな牧師に出会ったことがありませんでした。家に帰ると、さっそくその番号をダイアルしました。本当の番号だと確かめたかったからです。すると、それは本当にウィリアムズ家につながりました。わたしは「うわぁー!ほんとうに家にかかったのですね」と思わず言ってしまいました。それから、ある男の人がわたしの家に来て聖書勉強をすることになりました。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年10月25日木曜日

ドウェイン・レモンの証 10

audioverse.orgのhttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

 異言を体験した後、教会を出ましたら、神様はわたしにあることを見せてくれました。教会の外には礼拝中に異言を話していた人がいました。その人は「今日は素晴らしい教会だったなぁ」と言いながらタバコを取り出し、それを吸い始めました。わたしは、聖霊に満たされた人はタバコなんて吸わないと思っていましたし、なぜ吸っているのだろうと疑問に思いました。更に、他の人が教会から出てきました。その人はとても汚い言葉で話し始めました。罵り、呪い、侮辱、誓いの言葉を平気で使っていました。それらは、わたしがとても親しみをもっていた言葉たちです。わたしは、クリスチャンはそういう話し方をしないかと思っていました。
 みなさんは、「クリスチャンだからって言葉遣いに気を付けないといけないの?怒ったときに、ふと口から出てきてしまうことだってあるじゃないか」と言うかもしれません。しかし、愛する兄弟姉妹たち、マタイによる福音書26章にある話をどうか忘れないでください。そこには、イエスが捕えられ、ペトロが大祭司の屋敷の中庭にいたときの話が書かれています。ペトロは一人になりました。ペトロはみんなでいるときは勇敢でしたが、一人でいるときはとても弱い男でした。女中が近寄ってきて、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言いました。ペトロは、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と答えました。ほかの人が近づいてきて、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言うと、「そんな人は知らない」と誓って打ち消しました。しばらくして、再び人々が近寄ってきて、「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」と言いました。そこでペトロは、イエスと関係がないことを証明するために、呪いの言葉さえ口にしながら「そんな人は知らない」と誓い始めました。この話を通して分かることは、わたしたちが呪いや誓いの言葉を使うとき、わたしたちはイエスと関係がないことを証明しているということです。そして、私たちは誘惑や困難を言い訳に「こうするしかなかった。」と言うべきではありません。なぜなら、誰もイエス様ほど試練にあった事は無いからです。
 わたしは聖霊について疑問を持ち始めました。そして、わたしは友達と聖書を勉強して、「異言」は五旬祭で人々が聖霊によって語ることができた、文字通り「言語」であったことが分かりました(使徒言行録2:1-13)。わたしはその教会に行くのをやめました。それから数々のキリスト教の教会に行きましたが、飽きてしまい、キリスト教以外の宗教に興味を持ち始めて、イスラム教を勉強し始めました。わたしは、イスラム教が尊厳と規律のある宗教であることが好きでした。「クリスチャンたちは幸せそうにしているけれど、彼らは、自分達がなぜ幸せなのかを説明することすらできない!」と思っていたので、クリスチャンへの興味は薄れていきました。その反面イスラム教徒は知的に見えたので、その知的な雰囲気が好きでした。よって、イスラム教を勉強し始めたのですが、キリスト教を完全に捨てたわけではありませんでした。わたしは心の中に葛藤を覚えました。
 ある金曜日の夜でした。ベッドの上にはイスラム教の聖典であるコーランとキリスト教の聖書があり、わたしは泣きながらひざまずいていました。「主よ、あなたがアッラーなのか、イエスなのかもう分かりません。わたしはただ、あなたが誰なのか知りたいのです。どうかあなた自身をわたしに示してください。もしあなたが、あなた自身をわたしに示してくださらないのなら、わたしはヌワビアン(イスラム教の一派)になります。そして、もし必要なら、キリスト教の基礎を揺るがすような運動を起こします。」と祈りました。わたしは怒りに満ちていましたが、それは心からの祈りでした。

つづく

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年10月21日日曜日

ドウェイン・レモンの証 9


audioverse.orghttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

今度は、近所のカトリック教会に行ってみました。そこでは厳粛な讃美歌をたくさん歌いました。また、ワインを飲まされ、「なんだこれは!?なぜ教会でワインが出てくるんだ?」と思いましたが、その後もワインを飲むために何度かそこへ行きました。しかし、退屈になりました。皆がよく分からない本を読んでいて意味不明だったので、再び友達のT.J.の教会に戻りました。するとある日、T.J.が、「ドウェイン、異言で話す経験をしないと!」と言ってきました。なぜかと聞くと、「聖霊に満たされないといけないからだよ」と言われたので、「どうやって聖霊に満たされるの?」と聞くと、彼は、「それは自然に起こるよ。」と言いました。T.J.の教会では、皆がとつぜん異言で話し始め、ひきつけを起こしていたので戸惑いましたが、わたしは「自分は嘘をつかないし、聖霊で満たされたふりもしない」と心に決めていました。もし本当にこういう事が起こるならば自然に起こるはずだ、と思いました。
ところで、みなさんはMC ハンマーというアーティストを知っていますか?ある日、彼の牧師がT.J.の教会に来て、礼拝をすることになりました。T.J.の教会では何をするかというと、他のペンテコステ教会のように、まず会衆を一列に並ばせます。そして一人ずつ牧師の前に行き、頭に手を置いてもらいます。すると手を置かれた人は崩れ落ちたかと思うとひきつけを起こし、異言を話し始めるのです。それが聖霊に満たされたしるしというわけです。その日、わたしもこの列に並ばされました。自分には何が起こるのだろうと思っていると、友達が「よく聞け、神様に任せろ、手放せ」と言いました。わたしはどういう意味かさっぱり分かりませんでしたが、「分かった、神様に任せて手放す」と答えました。ついにわたしの番になり、牧師がわたしのことを見、わたしも彼を見ました。牧師は「手をあげて」と言ったので、わたしが手をあげると、「イエス様のみ名により…」と牧師は言い、手をわたしの頭にのせました。すると、途端にひざに力が入らなくなり、わたしは崩れ落ちてしまいました。とても衝撃的でした。なぜなら自分は演技をしていたわけではなかったからです。そして「あだだだだだだ~~~」と人生で一度も口にしたことのない言語が、わたしの口から出てきました。わたしは自分を制御する力を完全に失っていました。ひきつけを起こし、異言を話し、力がぬけ、すべてが終わったあと、「あぁ~っ、疲れた」とため息をつきました。体中のエネルギーが全て吸い取られてしまったようで、元にもどるまでしばらく時間がかかりました。そうしたら、友達が来て「おめでとう!これでお前も聖霊に満たされたな!」と言いました。わたしは「よし。」と思いました。

続く

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年10月19日金曜日

安息日


 友達と一緒に十戒のひとつの安息日について考えてみました。十戒は出エジプト記20章と申命記5章にあります。出エジプト記にはモーセがシナイ山で神様から十戒を授かったときのこと、申命記にはモーセがイスラエルの民に再び十戒を思い出させるために語ったときのことが書かれています。今回は特に、出エジプト記20章8節「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」(口語訳)に焦点を当てました。

Q1.「安息日を覚えて」とは?
 「覚えて」とは、「忘れないように」ということです。神様は、忘れやすいわたしたちの性質を知っておられたからこそ、「覚えて」いるようにと求められました。また「覚えて」と出エジプト記の時点で書かれているということは、その以前から、天地が創造された時から安息日は存在していたということです。では何を「覚えて」いるべきなのでしょうか?安息日は、神様が6日の間に天地を創造され、7日目に休まれた創造主であること(出エジプト記20章11節)と、神様が人々を奴隷から解放された(申命記5章15節)ということを覚える日だと書いてあります。神様が創造主であるということはわたしたちに関係がありますが、神様がイスラエルの人々を奴隷から解放されたこと(申命記5章6節,15節)はわたしたちに何の関係があるのでしょうか?ローマ信徒への手紙8章1-2節に「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである」とあります。つまり、イエス様の十字架での死により、わたしたちは罪と死の奴隷から解放されました。安息日は、神様が創造主であり、救い主であることを思い起こす日なのです。

Q2.仕事とは?
 わたしたちが7日目に安息日を守るのは、神様が6日間で天地を創造され、7日目に休まれたからです。わたしたちも6日の間は働き、7日目に休むようにと書かれています(出エジプト記20章9-11節)。では働く、仕事をするとは何を指すのでしょうか?学生にとっては学業が仕事です。勉強すること、宿題をすることも仕事と考えられるでしょう。また、自分の利益を追い求めたり、報酬をもらうための業も仕事と考えられるでしょう。そこでわたしたちは、医師や看護師等の職業について考えました。彼らには一日でも治療をやめることができない患者さんがいますし、安息日にも治療をします。これは仕事なのでしょうか?わたしたちは、それは他の人を助けるためであり、お金を儲けるためではない、もしくは儲け目的であるべきではない、よっていいのではないかと考えました。事実、イエス様も安息日に人々を癒しました。しかしそれはお金目的ではありませんでした。

  さらに、イザヤ書58章では断食と安息日を比べています。断食をする目的は自分が食べないことで余ったパンをほかの人に分け与えたり、貧しい人を助けたりすることで、自分にとって価値のあるものを神様のために手放すことを学ぶためです。他人に見てもらおうとか間違った動機で断食しないようにと聖書にも忠告されています。「また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」(マタイによる福音書6章16節) 食べることを「仕事」として考えたとき、断食は「仕事」をしていない状態、つまり「安息日」と考えられます。断食をするときには「陰気な顔つきをするな。」と書かれています。断食をすれば食べ物を食べていないのでお腹がすきます。安息日に仕事をしないとその分の収入はありません。しかし「陰気な顔つきをするな。」とあります。「人に見せようとして、自分の顔を見苦しく」しないようにと忠告されています。つまり安息日には神様が休むようにと言われた日に自分の利益を目的としたことはしないように、また仕事をしていればもっとお金が稼げたのにという考え方をしないように、また安息日に仕事を休むことで苦労しているというのを憐れんでもらおうと見せびらかすような行動はしないように、そして、なにかほかの人のためになるようなことを仕事をやすんだためにできた時間を使うようにということではないでしょうか。

Q3.聖とするとは?
 わたしたちは、どのようにしたら安息日を聖別された日として過ごせるかについても話し合いました。その中で「安息日だけ聖なる生活をすればいいのか?」という質問が出ました。6日の間は神様から離れた生活をし、安息日だけ聖なる日だから聖人のように過ごすというのは偽善者的な考えではないかという意見でした。安息日にはこれをしないほうがいい、という暗黙の了解はたくさんあります。どうしてでしょうか?安息日にはこういう本は読まないほうがいい、世俗的な音楽は聞かないほうがいい、テレビは見ないほうがいい、外食はしないほうがいい、等々あげたらきりがありません。では何故これらのことをしてはいけないのか、根本的な理由を考えてみました。そこでわたしたちがたどりついた結論は「安息日は神様が聖別された特別な日だから」(出エジプト記20章11節)でした。それは、わたしたちの努力によって安息日は聖別されるのではないということです。神様が安息日を与えられた目的を考えるとき、神様はわたしたちと交わるために特別な一日を毎週備えてくださったということに気づきます。それは神様がわたしたちの創り主であり、罪から解放してくださった贖い主であるということを忘れやすいわたしたちに思い出させるためです。ですから、安息日に何をすべきか、すべきではないかを考える前に、神様がわたしたちの創造主で贖い主であることを真剣に考え、神様と交わるために安息日が与えられたということを思うとき、安息日の過ごした方は自然と聖なるものへと変えられるのではないかと結論しました。

森春香
編集:品末拓真

10/19/2012

2012年10月6日土曜日

ドウェイン・レモンの証 8


audioverse.orghttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

もう少し詳しいことを話しますと、クイーン・ラティファのツアーに行った時、T.J.はクリスチャンでした。彼はたまにイエス様のことをわたしに話してきました。しかし彼の偽善者的生活は、彼自身にとってもわたしにとってもよい証ではありませんでした。わたしは「イエス様を受け入れるにはまだ準備ができていない。もっとお金を稼いで自分のやりたいことをやろう。」と思っていました。ところがチャーリーの事件後、お葬式でチャーリーの棺が地面に埋葬されるのを見ました。お葬式はそれまでに一度しか行ったことがありませんでしたし、誰かが埋葬されるのを見るのはこれが初めてでした。棺が地面の中に埋葬されるのを見たとき、わたしの中で何かが変わりました。お墓に入っていくチャーリーの棺を見たとき、初めてチャーリーが自分の人生から引き抜かれてしまったような気がしました。聖書のコヘレトの言葉7章2節にはこの経験に適したことが書かれています。

「弔いの家に行くのは
酒宴の家に行くのにまさる。
そこには人皆の終わりがある。
命あるものよ、心せよ。」
コヘレトの言葉7章2節

 この聖句の通りのことがわたしに起こりました。お葬式に出席した時から、わたしは人生について考えはじめました。わたしにとって「弔いの家」に行くこと、お葬式に行くことのほうが、「酒宴の家」、パーティーが行われているクラブ会場に行くよりも良かったのです。なぜなら弔いの家に行ったわたし、命あるもの、は人の終わりを目の当たりにさせられたからです。
 チャーリーの棺が埋葬され、リムジンで家へ帰っている途中、わたしはとても明確な声で「今なら、わたしを受け入れてくれるか?」と言うのが聞こえました。ステレオから聞こえてくるような、はっきりとした声でした。「今なら、わたしを受け入れてくれるか?」サウロであったころのパウロになった気分でした。それが神様の声だとはっきり分かったからです。神様のことを勉強したことはあまりなかったのですが、それでも神様の声だと分かりました。それはT.J.がわたしの心に種を植えつけてくれていたからです。愛する兄弟姉妹たち、どうか覚えていてください。たとえわたしたちが、青年たちはとても手に負えない、もう希望がない、とんでもなく堕落した道を歩んでいると思えるときでも「神様の御言葉」という種を彼らに植え続けてください。神様の計画されたタイミングでその種は成長します。T.Jがわたしの心に種を植えつけました。そしてリムジンの中であの声を聞いたとき、その種は初めて芽を出しました。わたしは「はい、神様、あなたを受け入れます。」と答えました。
わたしはエンターテイメント業界を去ったわけではありませんでしたが、T.J.に会いに行き「俺はこれから何をしたらいいんだ?神様に心を捧げたんだ。」と言いました。「じゃあ教会においで。」と言われ、わたしたちはニューヨークのブルックリンのヒゼキヤウォーカーズ教会というところへ行きました。このヒゼキヤウォーカーズ教会はペンテコステ派の教会で、わたしは死ぬかと思うほどの怖い経験をしました。そこにいた人たちは右へ左へと走り回り、前へ行ってジャンプをしたり、よくわからない言語をしゃべったり、ひきつけを起こしたりしていました。わたしは「一体これはなんだ!?ここにはいられない。これは自分にはちょっとエネルギッシュすぎる」と思いました。

続く

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年10月1日月曜日

ドウェイン・レモンの証 7


audioverse.orghttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

 ある日、ニューヨークのブルックリンに住んでいた甥のチャーリーから連絡がありました。チャーリーはとても貧しい少年で、お金を稼ぐ手段もありませんでした。しかし、ダンスをしたいという熱意がありました。そこでチャーリーは「ドウェイン、僕がダンス業界に入れるように手伝ってくれる?」と聞いてきたのです。わたしは「君のためにできるだけのことはやってみるよ。」と答えました。わたしは自分の過去をよく覚えていました。わたしには自信が無く、できそこないだと思っていた少年時代がありました。だからこそ、チャーリーを助けてあげたかったのです。そこでわたしはチャーリーに様々な機会を与えたのですが、誰もチャーリーのダンスには興味を示しませんでした。

 そんなある日のこと、チャーリーは地元の麻薬売人に出会いました。彼らは「お前、金を稼ぎたいのか?1夜で$5,000稼ぐ方法を教えてやるよ。」と言いました。チャーリーは「よし、じゃあやってみます」と答えました。チャーリーは彼らと手を組むことに賛成したのです。その夜、チャーリーはとある屋台の裏にいました。防弾加工されたドアから人が入ってきて、チャーリーは麻薬を渡してお金を受け取る、ということを数時間繰り返してお金を稼いでいました。チャーリーはガラの悪い少年ではありませんでした。とてもよい少年で、成績もすべての科目でAをとっていました。しかし、とても貧しかったのです。彼の叔父であるわたしはたくさんのお金を稼いでいたので、チャーリーは少しでもお金持ちの気分を味わいたいと思い、麻薬をその夜売っていたのです。
 するとその場に彼の友人が二人やってきて、三人で話し始めました。ところが、二人の友達は言い争いをはじめました。そして言い争いが、殴り合いの喧嘩になりました。そこで平和主義者のチャーリーは、彼らに麻薬とその夜稼いだ札束を見せることに決めました。チャーリーは「お前ら、喧嘩をやめてこれを見てみろ。」と言いました。喧嘩を止めようとしたのです。しかしチャーリーがそうした途端、彼の友達であったはずの二人はすぐさま銃を取り出し、チャーリーに向かって発砲しました。彼らは9ミリ拳銃でチャーリーの額に2発、お腹に3発撃ちました。そして彼らは地面に横たわるチャーリーを放って札束を盗み、逃げていきました。その4日後にチャーリーは亡くなりました。19歳でした。
 わたしたちはたまに「よくないとは分かっているけど、一度だけ試してみよう」と言います。わたしたちは罪の報酬は死であることを知っています。(ローマ信徒への手紙6:23)しかしそれでも、「ただ一度だけ…」と手を出します。わたしの甥チャーリーも一度だけ試しました。そして命を失いました。愛する兄弟姉妹たち、罪はおもちゃではないということを、サタンはわたしたちの友達ではないということを、神様はわたしたちによく理解してほしいと思っておられます。
 チャーリーのお葬式の時、彼の顔はとても見せられる状態ではなかったために棺の蓋は閉じられたままでした。その棺を見ながらわたしは「チャーリー、君が言ってくれれば欲しいだけのお金をあげたのに…。どうしてこんなことをしたんだ?」と思い、怒りがこみあげてきました。

続く


訳:森春香
編集:品末拓真

2012年9月30日日曜日

ドウェイン・レモンの証 6

audioverse.orghttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

わたしはツアーから帰ってきた後、トニー・テリー、C.Cペニストン、ラップグループのア・トライブ・コード・クエスト、ブーテン・クレン、ヘヴィD、ブランディーなどの様々なアーティストと仕事をはじめました。またダンスの振付も担当するようになり、自分で振付したダンスをブランディーと同じ舞台で踊りました。ここまで積み上げてきた自分の成果を見て、わたしは雲の上にいるような気分になりました。振付をし、舞台でダンスをし、ツアーに行き、お金も稼いでいる。ヘヴィーDとは月給$30,000の契約でダンスをしていました。週$100で踊っていた素人の頃とはかなりの違いです。更にわたしを良い気分にさせたのは、わたしの才能はどこへ行っても通用したことです。クラブ会場に行けば、そこにいたすべての人がわたしのことを知っていました。わたしはこの力と名声をとても愛していました。リムジンが家の前にわたしを迎えに来ると、わたしは家の表にある階段をゆっくりと下りました。近所にいる人たちがわたしをよく見られるようにするためです。わたしはとても有名でした。ダンスの振付に関しては、わたしが他のダンサーに指示を出すようになっていました。そして様々なアーティストとツアーに行きました。わたしは「なんて素晴らしいんだろう!」と思っていました。

続く

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年9月23日日曜日

ドウェイン・レモンの証 5


audioverse.orghttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

ツアー中、ケンタッキー州にいた時のことです。今でもよく覚えています。それはわたしたちの仲間のトレッチの誕生日でした。トレッチは「クラブ会場を貸し切ったから、来たい人はみんな招待して来てくれ。自分は育ちもたいして良くないし、V.I.P.扱いされる必要もない。どんな人でも招待しよう」と言いました。そして地元の人たちも招待されましたが、それは大きな間違いでした。わたしがクラブ会場にいくと、Qティップ、アイスティー、ア・トライブ・コード・クエスト、パブリックエネミー、そして、クイーン・ラティファなどたくさんの人がいました。その中には地元の麻薬売人たちまでいました。すると、売人たちは「俺たちがここのスターだ」と言い始めました。他の人たちは、ただ楽しい時間を持ちたいだけだと言ったのですが、売人たちはそれを聞かず、気づいたときには暴力沙汰の喧嘩がはじまっていました。わたしは今まで、あれだけたくさんのガラス瓶が人の顔で割られるのを見たことがありません。それは最初の警告でした。わたしとT.J.は文字通り机の下に隠れないといけない程でした。
わたしはS.D.A.の青年たちに芸能界のことを話すとき、テレビには映らない裏の世界のことを伝えます。なぜならテレビには、わたしがこのクラブ会場で実際に見たようなものは映らないからです。
警察が来ましたが、その警察官は男の人を無理やりトイレに連れていきました。警察なら、もし誰かを怪しいと思ったのならその誰かを外へ連れ出し、パトカーで取り調べをするはずです。しかし、その警察官はトイレに男の人をひきずりこみました。わたしたちはその男の人の叫び声を聞きました。トイレから出てきた時には、その男の人の顔はボコボコで血まみれになっていました。そしてその人は「俺は何もしていない…」と何度も言っていましたが、パトカーに連れていかれました。この一部始終を見ていたわたしは、「僕がやりたかったのは、ただダンスをすることだけだったのに…」と思いました。こんな暴力沙汰があるなんて知りもしませんでした。
 トレッチはその夜の出来事にすごく腹を立てていました。トレッチも警察に捕まるところでしたが、凄みを聞かせた声で「俺に触ったら殺すぞ」と言ったため、警察は去っていきました。この事件で15人が病院に送られました。わたしたちはバスに乗り込み、ホテルへ帰ろうとしましたが、その途中でトレッチが「あのクラブ会場に戻れ」と言いました。なぜまたクラブ会場に戻る必要があるのだろう?ホテルに帰るべきじゃないのか?と思っていると、トレッチは「バッグをよこせ」と言いました。男の人が洗濯物入れ用の大きな白いバッグを持ってきました。彼がバックの中に手をのばして取り出したものは、10ミリや9ミリのピストル銃でした。彼の指示は明確でした。「クラブ会場に戻り、奴ら(売人)を見つけたら、撃て。」わたしは「自分は人殺しじゃない。ダンスをしに来ただけだ」と思いました。サタンはこのように働きかけます。わたしたちは世の中にあることを試してみようとします。そしてよく表に出ているイメージだけを見て、裏に隠されている世界を見落としてしまいます。わたしはダンスをしたいがために世俗的なことに手を出しましたが、サタンは「ダンス以外の計画もある」と言ってわたしをこの世界に巻き込みました。しかし神様の恵みにより、わたしたちがピストルを持ってクラブ会場に戻った時には、会場は警察で固められていました。わたしたちはすぐに引き返し、後にツアーも終了しました。

続く

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年9月16日日曜日

アリゾナの学校


アリゾナの学校
今年から、アリゾナのSOULS WESTと言う大学へ転校するので、南からのお便りで記事を書くのは少しお休みします。記事をしばらく書いていなかったのは夏の間さまざまな伝道プログラムに参加していたからです。5月には3週間ほど西アフリカ大陸にあるシエラレオネ共和国でShareHimという団体と共に伝道講演会を開き、毎晩お説教をしました。497人がバプテスマを受け、そのほかにも300人以上がバプテスマを近い将来に受けたいと決心しました。
さて、伝道講演会から帰ったあと、6月のはじめから8月の終わりまで文書伝道をしました。教会に寝泊りして、20人ぐらいの高校生、大学生と共に10週間の期間、週五日、一日8時間文書伝道をするというプログラムでした。金曜日は備えの日として、洗濯や掃除をし、土曜日は近くの教会で証をしたり、お説教をしました。約20人の学生グループでしたが10週間も寝泊り、食事、伝道、聖書勉強、お祈りなどたくさんのことを一緒にしたので、プログラムが終わるころには大家族のような信頼関係ができました。
文書伝道では、色々な経験をしました。天使の存在をまじかで経験したり、悪霊に取り付かれている家でお祈りしたり、聖書の事を知り、感動して泣く人を見たり、たくさんの素晴らしい経験をしました。文書伝道は決して簡単な仕事ではありませんでした。夏の日差しのなか重い本をもって家を一軒一軒回り、聖書などの本を売るのは体力的にも辛く、それだけではなく、精神的にも辛い仕事でした。しかし、辛くて、絶望するような経験をする中、仲間と共に助けあい、祈り、神様と真正面から向き合うことができました。わたしにとって伝道は本当に楽しくて、クリスチャンとして伝道することは重要な使命だということをあらためて実感しました。
さて、アリゾナのSouls Westと言う学校ではわたしは2年間のプログラムに参加します。2年間、聖書や教会について深く学びます。Souls Westの目的は若者たちを教会のリーダーとして育てるためにトレーニングするということです。教科書を使った講義だけではなくて、実際に文書伝道をしたり、伝道講演会を開いたり、お説教をしたり、聖書勉強を地域の人と行ったり、健康な生活の秘訣、教団との関係、教会の使命などを自ら経験できるプログラムです。
Souls Westのプログラムで若い学生たちが学ぶ知識、経験することは世界各地で効果的な伝道を実行するために活用されます。わたしはアジア、特に日本とその周りの国々へ伝道することにとても興味をもっています。マタイ24章14節にある「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」という御言葉が私たちの世代で実現されるのがわたしの夢です。毎日、一刻も早く全世界に福音が伝わりますようにと祈っています。2年間のSouls Westでの学びを終えた後は、引き続きどこかで神学の勉強をする予定です。

著者:福田 ダニエル

編集者:森 春香

2012年9月16日

2012年9月15日土曜日

ドウェイン・レモンの証 4


audioverse.orghttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。

ある日、友達から電話が掛かってきて「クイーン・ラティファ(歌手、女優)がパブリック・エネミー・アポカリプス・91世界ツアーに連れて行くダンサーを集めるためのオーディションをしている」と言いました。なぜか「アポカリプス・91世界ツアー」と呼ばれていましたが、わたしは「本当か?よし!」と返事をし、仲間たちとマンハッタンへオーディションを受けに行きました。そこにはクイーン・ラティファがいました。わたしはとても興奮しました。しかし、幼いころから父に「どんなに内心では興奮していても、平静を装え」と言われていたわたしは、クイーン・ラティファを見て「あっ!!」と言いたいのを抑えて「こんにちは、いかかがお過ごしですか?」と声をかけました。平静を装って握手や一通りの挨拶をすませましたが、内心「クイーン・ラティファと握手をした!信じられない!」と思っていました。クイーン・ラティファに「オーディションを受けにきたのね」と聞かれ、「はい」と答えました。「それでは見せてもらいましょう」と言われ、オーディションがはじまりました。当時、わたしがただ一つ自信を持っていたのはダンスをすることでした。仲間たちも一緒にオーディションを受けていましたが、彼らよりも優れたダンスをして世界ツアーに行くためのチケットを勝ちとらなければと思っていました。ダンスにはパワームーブというものがあります。パワームーブは、ここぞという時にする決め技のようなものです。オーディションの最中、クイーン・ラティファがわたしのことを見ているのが分かりました。そこで、恐れ知らずの友達のT.J.はパワームーブを決め、得意技であるスピンをしました。すると、さっきまでわたしのことを見ていたクイーン・ラティファはT.J.をみて「うわぁー!」と言い、近くにいた関係者の人に何か耳打ちしました。それを見たわたしは、このままではいけないと思い、自分もパワームーブをすることにしました。わたしのパワームーブは、新体操の動きと開脚をあわせたようなものでした。クイーン・ラティファが見ているときを見計らってパワームーブを決めると、クイーン・ラティファは目を真ん丸にしてびっくりしました。わたしは「やった!」と思いました。オーディションの後「君たち素晴らしかったわよ」と言ってもらい、家に帰ると電話が鳴りました。電話の相手が「もしもし、ドウェインさんとお話しできますか?」と言ってきたので、わたしは「本人です。」と言うと、相手は「クイーン・ラティファです。」と言いました。そこで「あぁっ!」と叫びたいところでしたが、平静を装って「こんにちは、お元気ですか?」と尋ねました。そこでクイーン・ラティファは「よく聞きなさい。あなたとT.J.を世界ツアーへ連れて行くことに決めたわ」と言いました。わたしは「素晴らしい!」と答えました。待ち合わせ場所や、計画を聞いてから電話を切ると、すぐさま両親に電話をかけ「お父さん、お母さん、オーディションに受かった!!!」と報告しました。わたしはすごく嬉しくて興奮していましたし、両親もわたしのためにとても喜んでくれました。両親は、わたしが麻薬などをやっていないかぎりはそれで良いと考えていました。
ツアーのためにまずはニュージャージー州へ運転していき、フレーバーユニットという建物でミーティングをしました。そこで感心したのは、クイーン・ラティファが「このツアーではお互いを謙遜しあってほしい。女の子と遊んだりしないように。」と言ったことです。わたしは、この人は高潔な女性だと思いました。そして、ついにツアーがはじまりました。T.J.とわたしはとても興奮していました。ほかのヒップホップグループも一緒にツアーに来ており、州から州へと旅行し、わたしたちはステージでダンスをしました。何千というお客さんがわたしたちのことを見に来ました。わたしは「クイーン・ラティファと一緒の舞台にあがっているなんて信じられない!」という気持ちでいっぱいでした。また、わたしたちはそこそこの収入を得ていました。しかし後でわかったことなのですが、わたしたちは少し騙されていました。事務所はわたしたちが素人だとわかっていたので「週に$100あげるよ。」と言われ、わたしたちは「素晴らしい!」と条件をのみ、満足していました。

続く

訳:森春香
編集:品末拓真

Mission Report


Mission Report
Thank you very much for your prayers and support. I finished the first year of my college education at Southern Adventist University. After college, I plan to become a pastor. I am especially, interested in church planting and evangelism in Asia.  
            We went to Waterloo and Freetown, located in Sierra Leone with a group of 14 students from SAU, one teacher, and one ShareHim coordinator. ShareHim worked together with the Sierra Leone Mission conference to plan and coordinate all the evangelistic meetings. Each of us was assigned to preach 19 different sermons at various sites over a period of about two weeks. Freetown is the capitol of Sierra Leone; and Waterloo is the town next to Freetown. Fifteen of us, including the teacher, went every night to preach at various locations. Most of us preached outside in public places for people to easily come and hear us. The average attendance at my site was about 200 people each night. Out of the 200 people, more than 100 of them were visitors. With all 15 sites combined, a total of 479 people were baptized while we were there, and 300 more people have decided to get baptized sometime soon. The team members that went were not necessarily theology or religion majors. In fact, only 5 out of the 14 students were religion or theology majors. The rest of the students’ majors include elementary education, psychology, international business, nursing, and graphic design majors.
The students
Joel S., Rebekah R., Sarah D., Jenny K., Jennifer H., Jacque F., Katie H., Robert H., Daniel F., Kevin F., Sarah A., Stephanie B., Deborah R., and Lizabeth P.
The sponsors
Professor Michael Dant – computer science professor at Southern Adventist University
Pastor David Dobias – ShareHim Assistant Director
           I decided to go and preach in Sierra Leone because preaching 19 sermons sounded very exciting and fun. I have always wanted to preach an evangelistic series. Preaching my first evangelistic series in Africa with a translator sounded very exciting. The local people there were very humble, friendly, and hard-working people. There were not many foreigners in Sierra Leone. So the mere fact of me being in Asian attracted the attention of people everywhere I went. People waved and greeted me as though I was a celebrity because I was a foreigner. The life and culture in Sierra Leone was very different from America. Some of the different things included bumpy roads, spicy food, hot and humid temperature, bathrooms, people carrying things on their head, and handshakes. However, I was able to adapt to it quite comfortably. When I came back to America, I had to re-adapt to my culture again. I miss Sierra Leone.
            The sound speakers at the sites were very loud. Before the meetings started, for about an hour, they played African gospel music over the speakers in a very loud volume. The sound was so loud that I could not even hear myself speak. I had to shout to barely communicate with the person next to me. After about a week of campaign, I was getting headaches from the loud speakers. So, I was about to ask them to turn the sound down. Then, one of my elder shared with me a story. In Sierra Leone, about 47% of the population is Muslim. Many Muslim people want to hear about the Bible and Jesus, but, even if they are interested, if they get caught going to church, their Muslim family and friends would not be happy. The loud speakers were for the people that wanted to listen but are too embarrassed to come to the meetings. Then, one night, an 18 year old, young Muslim lady came forward for the altar call to get baptized. Apparently, she had been listening to all the sermons since the first day from her house. That night, for the first time, she decided to come to the church for the meeting, and she came forward at the end of the sermon, to get baptized. God used different ways to reach people. For the 18 year old, young Muslim lady, God reached her through loud speakers.
          Through the experience, Jesus became more real to me. By preaching every night, I depended and trusted in Jesus more often than before. The enthusiasm and the passion of the local church members inspired me. My view of life changed a lot. Life here on earth is short and fragile compared to the eternal life promised by Jesus Christ. As Christians, we should focus more on the eternal life, and make decisions according to the eternal truths. If I have the opportunity, I will definitely like to go back to Sierra Leone and preach again. People there are so warm and receptive. I have never seen children so hungry for the Word of God. Many children came to me after every meeting to shake my hand and say thank you. Many children asked me to give them a Bible because they wanted to learn more about Jesus. Children are hungry for Jesus and his truth. I was very touched.  
            God taught so many things in this trip to Sierra Leone. Luke 10:2 says, “The harvest truly is great, but the laborers are few…” There are so many souls that are hungry for Jesus and his truth. The sad reality is that there are not enough workers. I am determined more than ever to surrender my life completely to Jesus, and share the gospel to all the worlds. Before the trip to Sierra Leone, I had a burden to spread the gospel to Asia, especially Japan. However, during the trip, I felt like God was telling me to have bigger goals and dreams. Now, I not only have a burden for Japan and Asia, but I have a deep burden for Africa and the rest of the countries in this world. Matthew 24:14 says, “And this gospel of the kingdom shall be preached in all the world; for a witness unto all nations, and then shall the end come.” Too many people are suffering in this world. I want Jesus Christ to come back as soon as possible and put an end to all sin and suffering forever. I am convinced more than ever of the urgency of Jesus and his truth. By faith, I am determined to do everything to share the gospel to all the words, so that Jesus will come in my generation, in our life time.
            Once again, thank you very much for your prayers and support. This mission trip to Sierra Leone have truly opened my eyes, and implanted in me a deep desire and determination to spread the gospel to all the worlds. This mission trip introduced me to a new chapter of my life: hopefully, one of the last chapters of my life here on earth, before Jesus comes back again in the clouds of glory with his everlasting kingdom.
            One last thing I learned in Africa that touched my heart. For Christians, there are no good-byes. I may not see my brothers and sisters in Sierra Leone here on Earth, but, I know I will see them again in Heaven. When I left Sierra Leone, I did not say good-bye to anybody there. I just said, “see you later…if not here on earth, we will definitely see each other in heaven with Jesus forever, never to be separated again.” Mission trip in Sierra Leone changed my life forever.
Thank you,
Your brother in Christ,
Daniel Fukuda
            

アフリカ


私の名前は福田ダニエルです。Southern Adventist Universityの神学科で昨年一年間勉強しました。将来は、牧師になりたいと思っています。また、教会建築と伝道にすごく興味を持っています。
わたしはこの夏、シエラレオネ、アフリカに三週間行きました。生徒14人(私も含めて)、先生1人、そしてShareHimの係りの人ひとりと行きました。ShareHimは、地元の教団と教会と一緒に伝道講演会を計画する団体です。ShareHimの目的は、アメリカや韓国、ヨーロッパの若者たちを、伝道が進んでいて教会が比較的のびている国、例えばアフリカや南アメリカへ送り、伝道への熱意、決心、力を自分の国へ持ち帰ってきて、教会のリバイバルの為に働き始めてくれるようにすることです。
私がアフリカで実際に何をしたかと言いますと、Evangelistic Series、伝道講演会で19回お説教をしました。ダニエル書と黙示録に描かれているメッセージを分かりやすくした伝道講演会でした。毎日1回、土曜日は2回お説教しました。また、学生も先生もそれぞれ一人ずつ別々のところでお説教をしたのですが、全15か所合わせて、なんと479人もの人がバプテスマを受けました。さらに、300人以上が近い将来にバプテスマを受けると決意しました。14人の学生が講演をしたと言いましたが、皆が神学科の生徒だったわけではなく、14人の内、たったの5人だけが神学科の生徒でした。他の学生たちは、看護学科、教育学科、心理学科、経済学科などを専攻していました。
私がシエラレオネへ行くと決めた理由は、毎日あわせて19回もお説教をするというのがとても面白そうで、楽しそうだったからです。また、以前から伝道講演会の説教者になりたいとも思っていました。シエラレオネの人たちはとても思いやりがあって、優しくて、心が温かくて、努力家でした。シエラレオネには外国人があまりいませんでしたので、私がアジア人ということだけでどこへ行っても人々から注目を受けました。私と握手やあいさつをするだけでとても喜んでくれて、まるで有名人になったような気分でした。アフリカの生活は、私の慣れているものとは違いました。例えば、でこぼこした道路、辛い食べ物、蒸し暑い温度、トイレの方法、頭の上を使って物を運ぶ習慣、握手などです。でも、一週間ぐらいしたらだいぶ慣れました。最後のほうは、文化や習慣の違いに対してなんとも思わなくなりました。逆にアメリカに帰ってきたら、前には気づかなかったような事に気づいてかなり不自然でした。
毎日、講演会が始まる一時間ぐらい前から、会場ではものすごく大きな音で音楽が流れていました。あまりに大きな音なので自分の声は聞こえませんし、隣の人とは叫ばないと会話ができない程でした。なぜこんなにスピーカーの音量が大きいのだろうかと思っていたら、教会の長老が短い話をしてくれました。シエラレオネでは、人口の47%がイスラム教徒だそうです。そしてイスラム教徒の中には、イエス様と聖書に興味を持っている人たちが少なからずいるそうです。しかし、たとえ興味を持ったとしても、堂々と教会へ行くところをイスラム教徒の家族や友達に見られてしまうと恥ずかしい思いをしたり、いろいろ問題が起きたりするので、そういう人はほとんど教会に来ないそうです。大音量のスピーカーは、お話を聞きたいけれども教会には来づらい人たちのためでした。伝道講演会では毎晩お説教の終わりに必ず、バプテスマを受けたい人、あるいは聖書をもっと勉強したい人に会場の前へきて、人々の前で神様への献身を宣言する場を与えていました。伝道講演会が始まってから一週間半くらい経ったある晩、18歳のイスラム教徒の女性がバプテスマを受けようと思い、お説教の終わりに前へ出て来て、神様への献身を決意しました。その女性は、この講演会に来たのはその晩がはじめてでしたが、実は、家から全てのお説教を聞いていたそうです。次の土曜日にその女性はバプテスマを受けました。アフリカにいる間、神様は色々な不思議な方法で人々をキリストへと導きましたが、この18歳の女性には大音量のスピーカーを通して、キリストへと導きました。
私はアフリカの経験を通して、もっとイエス様の事を知る事ができました。神様が自分にとってもっと本当に重要な存在となりました。毎晩一時間ぐらいのお説教をして、神様に完全に頼ると言う事を学びました。地元の人の神様に対しての熱意と努力に感動しました。私の人生は大きく変わりました。地球での人生は、天国での永遠の人生と比べたら短く、不安定なものだと言う事をしみじみ実感しました。すべてのクリスチャンは、もっと永遠の命とイエス様の事を日常生活の中で考えるべきだと思いました。また機会がありましたら、迷わずシエラレオネに行きたいと思います。シエラレオネの人々は本当に心が温かくて、真面目でした。あそこの子供たちほど、神様と真実に興味を持った子供は見た事が在りませんでした。沢山の地元の子供たちが、毎晩かならず講演会の後に握手をしに来てありがとうと言ってくれました。何人もの子供たちが、もっと神様の事を知りたいから聖書を下さいと頼みに来ました。神様と真実を真剣に求める子供たちを見て感動しました。
この経験を通して、神様は本当に色々な事を教えてくださいました。ルカ10章2節にこう書かれています。「収穫は多いが働き人は少ない。」世の中には、イエス様と真実を待ち望んでいる人たちが沢山います。イエス様の愛と真実の欲しさのあまり、彼らはお腹を空かせています。しかし悲しい事に、働き人が本当に少ないのです。私はいまだかつてないほどに、キリストの愛と真実を全世界に伝える決心をしています。アフリカに行く前は、イエス様の事をアジア、特に日本に伝えたいと思っていました。しかし、アフリカで伝道講演会をしている間に、神様が私に「もっと大きな目標と夢を持ちなさい」と言ったような気がしました。今の私の夢は、日本だけではなく、アジアだけではなく、アフリカだけではなく、この世代が生きているうちに全世界に福音が伝わるようにお祈りして、信仰によって全力を尽くして生きていくことです。み言葉と信仰によってイエス様が私たちの世代に帰ってきて、私たちの生きている間に、天国が現実になるようにと祈っています。
改めて、お祈りしてくださったり、サポートして下さったりした方々、本当にありがとうございました。シエラレオネでの経験は一生忘れない、かけがえのない経験です。神様の愛と真実を、全世界の人たちに全力を尽くして伝えていくと決心しました。
最後に、アフリカで学んだ事をもうひとつ。この罪深い世の中では、お別れやさようならを言うのが当たり前になっていますが、私はどんなにお別れをしても『さようなら』と言う言葉に慣れる事ができません。しかし、私はアフリカで改めて希望を実感する事ができました。イエス・キリストを信じていれば、『さようなら』と言う言葉を使う必要がないのです。クリスチャンには、永久に離れる心配がないからです。私はシエラレオネで沢山の友達を作りました。でも、私は『さようなら』とは言いませんでした。なぜなら、たとえこの世界で彼らに再び会わないとしても、我々には再開する希望があるからです。たとえこの世界で会わないとしても…近い将来、イエス様が帰って来る時に、皆再会できるからです。そして天国では二度と、引き離される心配はないのです。天国では、イエス・キリストと共に愛と真実、喜びに満ちあふれた人生を永久に歩む事ができるのです。私は、イエスキリストこそが私愛と真実と希望であることを心から実感しました。アフリカでの経験は、私の人生、私の永遠の人生を変えました。
本当にありがとうございました。

福田ダニエル 

編集:品末拓真

2012年9月8日土曜日

ドウェイン・レモンの証 3


audioverse.orghttps://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。


その頃のわたしは高校生でしたが、ダンサーでもありました。当時は1980年代後半で、まだギャングがおり、ニューヨークのブルックリンにはディセプティカンズというギャングがいました。ディセプティカンズは極悪で、実際に多くの法を犯していました。
 わたしの高校では、皆がわたしのことを知っていました。ダンスをしていたことから有名になったのです。ある日タレントショーというイベントがあり、わたしは仲間と踊っていました。すると、ステージに他のグループが上がってきて踊り始めました。ダンスバトルを仕掛けてきたのです。どっちのグループが優れているか、競い合いがはじまりました。相手のグループが一通り踊った後、わたしたちがまたステージにあがりました。ところが、わたしのグループの中でダンスバトルがはじまったことを分かっていない人がいました。その人はわたしのところに来て「なんで楽しもうとしているだけなのに、喧嘩を仕掛けようとしているんだ?」と言いました。わたしは喧嘩しようとしていたわけではありません。ただ、ダンスで競い合おうとしていただけでした。しかし、わたしがその仲間に「喧嘩をしようとしているのではない」と説明する前に、殴り合いの喧嘩がはじまりました。わたしたちの高校に来たゲストグループと喧嘩になってしまったのです。わたしは「よし、家に帰る時間だ。」と言い、その場を去りました。
 そのあと散歩をしていると、学校の前にたくさんのパトカーが止まっているのを見ました。「パトカーなんてどうしたんだろう?救急車まで来ている!」と思い、学校の中に入ると、生徒たちが泣いていました。「何が起こっているんだ??」と思っていると、友達が、「ドウェイン!ここで何をしているんだ?早く逃げろ!」と言いました。何故か聞くと、彼は「警察は、お前を逮捕するために来たんだ」と言いました。「何もしていないのに?」と聞くと、「お前がこの大騒ぎを始めたからだ。」と友達は言い、さらに、「彼らはディセプティカンズだった」と言いました。
わたしは高校を退学になり、父親は「もしギャングがきたら、撃たれる前に撃て」とわたしに銃をわたしました。これが、父親のできるベストな指示でした。わたしは家の中で銃をもって震えながら、もしだれか来たらこの銃を使うのだということを想像していました。しかし、神様の恵みにより、また神様の恵みのみにより、わたしの友達がディセプティカンズに電話をかけ「ドウェインはこの騒ぎをはじめなかった、だれか違う人がやったんだ」と伝えてくれました。そして、この騒ぎは終わりました。神様に感謝です。しかし、わたしは高校を退学したままでした。そこでわたしは、高校にもどらずにダンスの道を進むことにしました。卒業証明書はありませんでした。ダンスだけが、今のわたしの持っている全てだと思っていました。

続く

訳:森春香
編集:品末拓真

2012年9月1日土曜日

ドウェイン・レモンの証2


ドウェイン・レモンの証2

audioverse.org https://www.audioverse.org/english/sermons/recordings/1737/testimony-of-dwayne-lemon.htmlを訳しました。


時が経ち、両親に再び「ドウェイン、お前にはダンスの才能がある!」と言われ、わたしは「ありがとう。」と言いました。10代になり、わたしは今までよりも少し自由が与えられました。15歳になったとき、両親はわたしがパーティーに行く許可を出しました。それから、私は友達を集めてしょっちゅうパーティーに行くようになりました。まずパーティー会場で何をするかというと、友達の一人が前にいるもう一人の友達の両脇を後ろから抱えます。そして、その友達を抱えながら友達ごと振り回すように回転し始めます。それはその場にいる人たちをどけるためです。回転している二人をよけるために周りの人は後ろにさがり、そこにダンスステージができあがるわけです。そこで、わたしも友達と踊り始めました。みんなが一通り踊った後も、わたしは踊っていました。踊って嫌なことを忘れ、自分の世界に没頭するためでした。また、わたしは歓声が大好きでした。周囲は拍手をしたり、「お前ら最高だ!」と言ってくれました。わたしとわたしの友達は色々な名前で呼ばれていましたが、定着したグループ名はQuiet Stormでした。静かにやって来るけれども、嵐のように激しく当たるという意味です。わたしたちはパーティー会場に入ったら、うわべだけとても謙遜に、静かにして、状況を把握しました。パーティー会場にいるどのダンサーにも勝てるということは分かっていましたが、平静を装っていました。後ろのほうで「あいつには勝てる。あいつは放っておこう。」などと考えた後、ダンスバトルが始まりました。相手のグループが踊り、自分たちが踊り、また相手が踊るということを繰り返し、トロフィーや賞品を勝ち取るために、しかしほとんどはただ楽しみのために、ダンスバトルを繰り広げていました。
ある日、友達が「ドウェイン、お前プロで踊る気はあるか?」と聞いてきました。わたしは「どういう意味?」と聞き返しました。友達は「ダンスで金儲けをする気はあるか?」と言いました。わたしは今までただで踊っていたので、ダンスでお金が稼げるなら、それはボーナスみたいなものだ、ケーキのスポンジにのっている生クリームみたいなものだと思いました。友達は「マンハッタンでオーディションがあるのだけど、そこでダンスをしてほしい」と言いました。当時、サードベースというグループがありましたが、そのマネージャーのダン・ヌー・カークはR&B歌手で、彼はプロモーションビデオのためのダンサーを探していました。曲名はSmall thingでした。それは本当にSmall thing(小さなこと)でした。なぜなら、誰も聞いたことがないような無名の曲だったからです。カメラを向けられたわたしは25ドルのために踊りました。わたしは25ドルのためにすごく金持ちになった気分で幸せでした。なんて素晴らしい仕事なのだと思い、25ドルを持って帰り、友達にテレビで自分のことを観たかと聞きましたが、だれも観ていませんでした。でも、テレビに映るようなダンスをしたということが嬉しくて喜んでいました。

続く

訳:森春香
編集:品末拓真