「キリストは律法の目標であります。信じる者すべてに義をもたらすために。」
ローマ10:4
「数学の期末試験は、全問、難関国立大学の入試問題から出題します。100点が取れなければ落第です。」
そんなの絶対に不可能だよ!
もう終わりだ僕らは…悲嘆にくれる生徒たち。
かわいそうに思った先生は、テストが始まる直前に、「テストの答えを全部貼りだすから、自由に見ていいよ」と発表します。
しかしいざテストが始まると、話を聞いていなかったのか、発表の意味が理解できなかったのか、生徒たちのほとんどは貼りだされた答えを見にいこうとしません。
それでいてみんな頭を悩まし、絶望的な表情をしています。
どうして答えが貼ってあるのに見にいかないんだ?先生は不安になってもう一度発表します。
「100点が取れなければ落第だよ!」
どうして先生は彼らに不可能なことをいったのでしょうか?壁に貼ってあるテストの答えに、生徒の注意を向けたかったからです。
僕らが自分の力で律法を守るのは不可能です。それでも、律法を一つでも破るなら僕らは罪人として滅びてしまいます。
それならどうして、神さまは僕らに律法を与えたんですか?意地悪じゃない。
それは、答えがすでに与えられているからです。だれでも自由に見ることのできるその答えに、わたしたちの注意を向けさせるためです。
「100点が取れなければ落第だよ」という律法のメッセージは、
「わたしがあなたの代わりになった100点をとったから、あなたは落第する必要がないんだよ」という恵みのメッセージと一つなのです(ヘブ4:15, 16)。
今週は、律法とキリストの恵みについて学びます。イエス様によって与えられた恵みのすばらしさを僕たちがもっと深く理解し、またそれを自分のものとすることができますように。祈りながら学んでいきましょう。
執筆:山地悟
2014/05/10
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