2014年5月8日木曜日

5.8(木)呪われてる?


陰口を言ったことはありますか?(出20:16; レビ19:16
誰かに腹を立てたことはありますか?(出20:13; レビ19:17, 18; マタ5:21, 22
人をいやらしい目で見たことはありますか?(出20:14; マタ5:27, 28
お父さんお母さんを軽べつしたことはありますか?(出20:12
神さまよりも大事にしているものがありますか?(出20:3-5

僕たちは、神さまの愛の律法を一つも守ることができません(ロマ3:10-12)。
神さまの律法は心で守るものなのに、僕たちの心は生まれつき、罪によって汚れてしまっているからです(ロマ7:14)。

「律法の書にかかれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」(ガラ3:10
律法を守らない者には神さまの呪いがある、と聖書は言っています。

僕たちは、神さまから呪われてしまっているのでしょうか。

エデンの園で。アダムとエバは蛇の策略につまずいて、罪を犯してしまいました。
神さまの明らかな戒めに背いた彼らは当然のごとく、神さまの呪いをうけなければならなくなったのです。

その日の夕暮れ、神さまは罪の宣告を下すためにエデンの園にやってこられました。
神さまの語られる宣告を聞きながら、彼らはどれほど恐ろしかったことでしょう。あぁ、わたしたちは神さまの呪いを受けなければいけないんだ…。

ところが神さまが語り終えた時、彼らは「…あれ?」と思ったはずです。
神さまは蛇と土のことは呪われたのですが、肝心の罪を犯したアダムとエバに対しては、一切呪いの宣告が下されなかったからです(創3:14-19
その代わり彼らに与えられたのは、救いとゆるしと命の宣告でした(創3:15, 20, 21)。

彼らに下るはずだった呪いは、一体どこへ行ってしまったのでしょうか?

神さまに逆らい続けたイスラエルの人々が、荒れ野で毒蛇にかまれて死にかけた時、モーセは青銅の蛇をつくるよう神さまに命じられました(民21:4-9)。そして、その蛇を竿の先につけて高く掲げるように命じ、神さまはこう言うのです。
「蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」(民21:8

その物語について、イエス様はこう言いました。
「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子もあげられなければならない。」(ヨハ3:14
罪のせいで死にかけたイスラエル人に命を与えたあの青銅の蛇は、わたしのことを表していたんだよ。というのです。なぜ蛇なのでしょうか?

思い出してください。蛇は、人類が罪を犯した時に神さまの呪いを受けた、唯一の動物でした。蛇は「神さまに呪われたもの」の象徴だったのです。
蛇に対する呪いの宣告は、人間を陥れたサタンに対する宣告であると同時に、わたしたちに下されるはずの呪いを一身に受けてくださった、救い主であるイエス様への呪いの宣告でもあったのです。

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。」(ガラ3:13

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(2コリ5:21

「それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」(ヨハ3:15

あなたが神さまの呪いを受ける必要は全くありません。イエス様がすでにわたしたちの代わりに罪となり、その呪いをすべて一身に受けてくださったからです。

今日、十字架にかけられたイエス様を自分の救い主として見上げるなら、あなたは神さまの前に正しいものとされます。そして、律法の呪いではなく、神さまの救いとゆるしと命とを豊かに受ける者として、生きていくことができるのです(使16:31; 18:38, 39ヨハ6:47)。

執筆:山地悟
2014/05/08

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