2014年5月6日火曜日

5.5(月)死刑にされた王さま


「人を殺したものは、死刑又は…懲役に処する。」(刑法199条より)

この法律は、何のためにあるんでしょうか?
人の命を守るためですよね。人を死なせるためではありません。

もし人をどれだけ殺しても何の罰も受けないような社会に生きていたら、
僕たちの命は絶えず危険にさらされ、安心して外を歩くこともできないはずです。

この法律は、日本国民が安全に、幸せに生きていくためには絶対に必要なものなのです。

しかし、あなたが人を殺してしまったとしたらどうでしょう。

それまであなたの命を守ってくれていたはずの法律は、
とたんにあなたを死に定めるものと変わってしまいます(ロマ7:9, 10)。

なにが変わってしまったのでしょうか?
善いものだったはずの法律が、悪いものに変わってしまったのでしょうか?

そうではなく、あなたが罪を犯したことによって、あなたと法律との関係が変わってしまったのです(ロマ7:13)。

法律の目的は決して変わりません。その国に住む人が、安全に、幸せにいきていくこと。
法律に従っている限り、それはあなたの命と幸せを守ってくれます(詩119:165)。

しかし罪を犯したその瞬間、あなたが人々の命と幸せを脅かす存在になるのです。
だから法律は、その国に暮らす人の安全と幸せを、あなたから守らなければいけないのです。

神さまの愛の律法を守ることのできない僕たちは、宇宙の安全と幸せを脅かす存在です(ロマ8:7)。
僕たちが罪の心に従って歩んでいる限り、律法は神さまの国の安全と幸せを守るために、僕たちを死に定めないといけないのです(エフェ2:1-3)。

しかし、イエス様はわたしたちが罪人として死刑にされるのを許すことができませんでした。
イエス様の目から見れば、わたしたちも神さまの国の大事な民だったからです(申14:2)。

そしてわたしたちの代わりに、神の国の王さまであったイエス様ご自身が、律法によって罪人として死刑に処されたのです(ロマ8:3; フィリ2:6-8)!

それはわたしたちが、律法によって死に定められる罪人としてではなく、律法によって命を与えられる神さまの国の民として、もう一度生きるチャンスを与えるためでした(ロマ8:1, 2, 4)。

宇宙の安全と幸せを脅かす危険な罪人。
愛の律法に従って幸せに生きる神さまの国の民。

あなたは、どちらとして生きていきたいですか?

執筆:山地悟
2014/05/05

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