2014年5月19日月曜日

わたしが憐れみを受けたのは、


ダメなんだ、俺なんか。

周りに受け入れられようと無理して自分を繕って、とっくにつぶれそうになっているのに、どこに向かってるのかも分からずに、とにかく進み続けなきゃいけない。

そんな友人の姿を見ると、「はらわたの裂ける思いがする」んです(詩73:21)。その空しさと苦しみを、僕も知っているからです。

「わたしは愚かで知識がなく あなたに対して獣のようにふるまっていた」(詩73:22
僕は、神さまの愛と救いのメッセージに当たり前のように囲まれて生きてきたにもかかわらず、自分がそのメッセージを受け入れないだけでなく、すぐ近くで苦しむ友人たちのことを気にも留めずに、ただ自分の快楽とプライドのためだけに生きてきました。
「わたしは、その罪人の中で最たる者です。

しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。」(Ⅱテモ1:15,16

「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」(マコ5:19

これは、若かろうが年を取っていようが、信仰経験が長かろうが短かろうが、イエス様の恵みを味わったすべてのクリスチャンに与えられている使命です。

僕は、イエス様のことを伝えずにはいられません。
僕自身は昔も今も変わらずダメ人間のままです。でも今は、愛と憐れみに満ちたお父さんであり、同情し理解してくれる友人であり、知恵と力と命にあふれた神さまであられるイエス様のみもとに、いつでもいることができるのです。

「わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう」(詩73:28)。


写真説明:イエス様とつながっている友人の輪を、もっともっと広げていきたいですね。












執筆:山地悟
2014/05/19

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