「愛する、ってどういうことですか?」
あなたならなんて答えますか?
愛。なんとなく心地いいことばではあるけど、
「愛しなさい」っていざ言われると、実際何をどうすればいいのかよく分からない。
イエス様の弟子たちも、そんな風に思ったはずです。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハ13:34)
ついさっきまで、「誰が一番偉いか」って喧嘩してた弟子たちです。イエス様のこのことばを聞いて、若干きまずい空気になったかもしれません。
「こいつらと愛し合うっていってもねえ…。どうすれば。」
しかし彼らは、その翌日に起こった恐ろしい経験を通して、イエス様の語られたことばの本当の意味を悟るのです。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
のちの弟子たちは、このことばを思い出す度に、彼らの愛する教師であるイエス様が、目の前で十字架にかかっておられる姿を鮮明に思い出したに違いありません。
これが、イエス様がわたしたちを愛された愛なのか。この愛でわたしたちが互いに愛し合うことを、イエス様は求めておられるのか。
「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」(1ヨハ3:16)
十字架によって、イエス様はわたしたちに「愛する」という意味の答えを与えてくださったのです。
愛するって、どういうことですか?
それは、“人のために自分の命を与える”ことです。“自分を無にして、人の幸せのために仕える”ことです(マタ16:24-25; 20:26-28)。
それが、神さまの国に存在するたった一つの律法です。モーセを通して与えられた十戒も、預言者たちが語っていたことも、そしてイエス様と使徒たちが教えていたこともすべて、この愛の律法を指し示しているのです(ロマ13:9; マタ22:37-40; 1ヨハ4:11)。
イエス様はその律法に従って、わたしたちのために仕え、ご自分の命を投げ捨ててくださいました。それは、わたしたちが愛することのできる存在となり、神さまの国でもう一度生きるようになるためだったのです。
「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハ13:35)
あなたは、イエス様があなたのことを愛してくださったように、まわりの人たちを愛していますか?
執筆:山地悟
2014/05/19
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