2014年4月30日水曜日

マルコ2:1-2 デボーション

今日の聖句:マルコ2:1-2
数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口のあたりまですきまもないほどになった。イエスがみ言葉を語っておられると、
 
イエス様は奇跡の方でした。彼が行く場所では悪霊が追い出され、病人がいやされました。そんなイエス様がカファルナウムに帰ったという話は、あっというまにその地の人たちに伝えられました。多くの人たちがそれぞれの期待をもって、イエス様の周りを埋め尽くしたことでしょう。しかし、そこでイエス様が最初にされたことは、神さまのみ言葉を人々に伝えることでした。

今日の質問:
あなたはイエス様に何を期待していますか?何よりもまず神様のみ言葉を聞くことができていますか?

今日の祈り:
神さま、自分の期待することだけを願うのでなく、まずあなたのみ言葉を聞くことができるように助けてください。

もっと深く:
ヨハネ17:17、サムエル下7:28、マルコ1:22

執筆:亀山晴人
04/30/2014

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4.30(水)二重のサイン


イエス様が人間を創られた目的は、たった一つだけでした。
人間が、神さまの愛のもとで、いつまでも幸せに生きること。

「わたしがあなたを創った。だから、あなたはわたしのもの。」
創造の記念である安息日は、人間に対する神さまのサインです(出20:11)。

ところがサタンは、人間を神様に反逆させ、イエス様のもとから引き離してしまったのです。
「人間はあなたよりもわたしに従うことを選んだ。だから、こいつらはわたしの奴隷だ。」(ヨハ8:34

それから、すべての人間はサタンに束縛されるようになりました。
「こいつらは罪の奴隷なんだから、苦しんで生きるのが当然だ。死んでしまうべきなんだ。」

イエス様のものとして、いつまでも幸せに生きるはずだった人間が
サタンの奴隷として、苦しみながら生き、そして死んでしまうようになったのをみて
イエス様の心ははり裂けそうになったはずです。

「ちがう!彼らはわたしのものだ。わたしは彼らが苦しんで死ぬために、彼らのことを創ったのではない。」

それに耐えることのできなかったイエス様は、ついに自分自身の命をなげうって、罪の奴隷となってしまった人間をサタンの手から解放するのです。(ヘブ2:14,15

こうして、イエス様はもう一度、人間について堂々と宣言することができるようになりました。
「わたしがあなたを救った。だから、あなたはわたしのもの。」

安息日は、創造の記念であるだけでなく、わたしたちの救いの記念にもなりました(申5:15)。

なぜなら、イエス様は救いの業によって、人間が創られた本来の目的をもう一度達成されたからです。
そして、わたしたちは二重の意味でイエス様のものとなったのです。

「わたしはあなたを創った。そして、自分の命をなげうってあなたを救った。
だから、あなたはわたしのもの。」(イザ43:1

安息日は、自分の命をすててまで人間を取り戻そうとされた、
神さまのあなたに対する二重のサインです。

執筆:山地悟
2014/04/30

2014年4月29日火曜日

マルコ1:45 デボーション

今日の聖句:マルコ1:45

しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

イエス様の厳しい注意にもかかわらず、彼はいやしの奇跡について早速人々に語り始めました。彼はイエス様の言葉を真剣には受けとめませんでした。しかしイエス様は、その話が広まることで、祭司たちのねたみや群衆の混乱が引き起こることを知っておられました。イエス様の語られる言葉の一つ一つには、深い目的と意味があったのです。イエス様の明らかな言葉に従わなかった男の行動は、たとえ彼がよかれと思ってしたことであっても、結果としてイエス様の救いの働きを妨げることになったのです。

今日の質問:
あなたは、イエス様のみ言葉をどれほど真剣に受けとめていますか?聖書の明らかな言葉よりも、自分がよかれと思うことを選んでしまうことについて、今日の聖句は何を教えていますか?

今日の祈り:
イエス様、どうかあなたのみ言葉を真剣に受けとめさせてください。あなたのみ言葉の一つ一つに、深い意味と目的があることを教えてください。そして、自分がよかれと思うことよりも、あなたの御言葉に信頼し、従わせてください。

もっと深く:
詩篇18:31; 箴言3:5-7; イザヤ55:8,9; ルカ22:42

執筆:山地悟
04/29/2014

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4.29(火)あなたとの記念日


愛するパートナーとの大事な記念日。

その人のことを、本当に本当に心から愛しているとしたら
あなたはその日をどうやって過ごしたいですか?

その人と一緒に、時間を過ごしたいと思うはずです。

ところが、いざその日にデートの約束をしたとして
当のパートナーがこんなことを考えていたらどうでしょう。

「ああ、今日バイトのシフトを入れていれば来月だいぶ楽だったのに。」
「本当はこの時間、リアルタイムで見たいテレビ番組があったのに。」

愛する人との交わりを心から喜ぶはずためのはずだった記念日が、
ただ自分のしたいことができないだけの苦痛の時間に変わってしまったら。

悲しくありませんか?

「安息日に歩き回ることをやめ わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ 
安息日を喜びの日と呼び 主の聖日を尊びべき日と呼び これを尊び、
旅をするのをやめ したいことをし続けず、取り引きを慎むなら

そのとき、あなたは主を喜びとする。」(イザ58:13, 14

なず神さまはこんなことを言われたのだと思いますか?
あなたから自由と楽しみを奪うためですか?

違います。
それは神さまにとって、愛するあなたとの交わりが、他の何にもまして貴い時間だからです!
あなたにも、その大切な交わりの時を心から喜んでほしいのです。

「主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」(ゼファ3:17

あなたへの愛によって、神さまの心が喜び楽しんでいることを知っていましたか?
あなたが神さまとの時間を大切にする時、彼の心がどれほどの喜びに満たされるか、想像できますか?

神さまにとって安息日とは、心から愛するあなたとの交わりを喜ぶためにとっておいた、大切な大切な記念日です。

あなたにとって、安息日とは何ですか?

執筆:山地悟
2014/04/29

2014年4月28日月曜日

マルコ1:43, 44 デボーション

今日の聖句:マルコ1:43, 44

イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」

ハンセン病の男は、イエス様のみ手によって完全にいやされました。あとは、病気から清められたことを祭司に証明してもらう必要がありました。そうすれば、今まで人々から避けられて生きていた彼は、もう一度健康な人として認められ、堂々とふつうの生活を送ることができるのでした。祭司達はイエス様の働きを嫌っていたので、もし彼がイエス様に癒されたことが分かったら、清めの宣告を下してくれない可能性がありました。だからイエス様は厳しく注意し、彼が確実にもとの生活に戻ることができるようにされたのです。

今日の質問:
あなたは、イエス様のいやしによって完全に清くされることを信じていますか?神さまと人の前に、汚れがないと認められて生きていくことを望んでいますか?

今日の祈り:
イエス様、わたしが罪の汚れから完全に清められて、神さまと人の前で堂々と生きていけるという約束を感謝します。また、あなたがそのことを望んでくださっていることを感謝いたします。

もっと深く:
レビ14:2-8; Iヨハネ1:7-9; 2:28; ヘブル4:16

執筆:山地悟
04/28/2014

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4.28(月)今日、あなたがわたしの声を聞くなら…


どんなに癒し系グッズに走っても
自分の好きなことで心を満たそうとしても
すぐにまた、もとの不安と疲れにおそわれてしまう。
どうして、僕の心はこんなにもすぐつかれてしまうんだろう。
もし、神さまが今日、あなたの心に本当のいやしを与えることがとできるとしたら、あなたはそれを手に入れたいですか?
イエス様はこの地上で生活されたとき、子供のころから安息日を守っていました。その日も、彼は「いつものとおり安息日に会堂に入り」、人々とともに礼拝に参加していました(ルカ4:16)。
想像してみてください。
世界のすべてを創造し、安息日を定められたのは、イエス様でした(コロ1:16; マルコ2:27, 28)。そのイエス様ご自身が、人の安息のために定められたその日に、心に数々の疲れと重荷を背負っている人々を前にして立っておられたのです。
しかも、その日彼は偶然にも、ご自分の救い主、いやし主としての使命を説明している聖書の言葉を朗読するように任されました(ルカ4:17; イザ61:1, 2)。
その言葉を読みながら、イエス様の心は一体どんな思いに満たされていたでしょうか。
あなたを苦しめる罪の重荷から、たえずあなたをおそってくる疲れと不安と恐れから、あなたを本当にいやし、解放し、自由にしてあげることができるのは、わたししかいないんだよ(ルカ4:18, 19)!
人々に本当の安息を与えたいと熱望されたイエス様は、聖書を朗読したあとこう言わずにはおれませんでした。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(ルカ4:21)
悲しいことに、その日そこに集っていた人々は、神さまからの安息を手に入れることはありませんでした。
彼らは、イエス様の言葉を自分自身に結びつけることをしたくなかったのです。なぜならそれは、自分たちが救いと、いやしと、自由とを必要としている惨めな人間であると認めることだったからです。自分たちのプライドを打ち砕くような、こんな一人の若い大工の言葉を、彼らは信じるわけにいかなかったのです。
「このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。
だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。
けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったためです。
信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。…
今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」
(ヘブル3:19-4:3, 7)
「イエス様、わたしは今日、あなたのいやしを必要としています。」その祈りをもってキリストのもとに行く人は、彼の言葉を自分自身のものとして心に結びつける人は、誰一人として神の安息から取り残されることはありません(詩51:19)。
「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタ11:28)
今日、今、イエス様はご自分が約束された通りに、あなたに本当のいやしを与えることができます。あなたはそれを手に入れたいですか? そして、あなたはそのことを信じますか?

2014年4月27日日曜日

マルコ1:41,42 デボーション

今日の聖句:マルコ1:41,42
イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。

この光景を見た人々は唖然としたでしょう。まず、イエス様がハンセン病患者にお触れになったからです。ハンセン病は感染症です。人々は、この汚らわしい男と同じ空気を吸うことすら嫌悪していました。それなのにイエス様は彼に触れ、彼に対する深い憐れみを示されました。人々は更に、イエス様がこの男の信じた通りのお方であったことに驚きました。この汚れた男が清められるのは、イエス様の御心でした。そしてイエス様には実際に清める力があったのです。

今日の質問:イエス様はあなたを清めたいと望んでいることを知っていましたか?そうする力をお持ちであることを知っていましたか?あなたはそれを体験しましたか?

今日の祈り:天の父なる神様、私は汚い人間です。そんな私に触れてくださることを感謝します。私を清めたいと願い、そして清めてくださることを感謝します。

もっと深く:ガラテヤ1:4;ヨハネ一5:14,15;1:9


執筆:品末拓真
2014/04/27

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4.27(日)安息日は、1日目。


生まれたての赤ちゃん。命が始まって間もない彼らにとって、最も大切な時間は何だと思いますか?
それは、自分を産んでくれたお母さんと過ごす時間です。僕たちすべての人間は、人生の始めに、ただお母さんからの愛情を存分に受けるための時間を必要としているのです。
その貴い交わりを通して、赤ちゃんは「あ、この人は僕を産んでくれたお母さんなんだ。僕の幸せのことを考えて、愛してくれる人なんだ。」と知っていくのです。
神さまは、6日間をかけて世界のすべてを創造されました。一日の仕事が終わるたびにその出来映えを見て満足しながら、神さまは一つ一つていねいに愛を込めて、創造のみわざを進めていかれます(創1:3-25)。
どうして神さまはそんなにうきうきしながら仕事をしていたと思いますか?それは創造のみわざのすべてが、神さまの心を最も喜ばせる、ある一つのクライマックスに向かっていたからです。
それは、人間の創造です。
アダムは、神さまご自身のかたちにかたどり、神さまの子供として創造されました(創1:26,27; ルカ3:38)。神さまは創造のみわざのクライマックスとして、つまり六日目の夕方に、最も楽しみにしていた仕事を完成させるのです(創1:31-2:1)。
命の息を吹き入れられ、初めて生きる者となったアダム(創2:7)。その開いた目に一番始めに映ったものは、自分に命を与えてくださった神さまの、優しい愛情に満ちたほほえみでした。
神さまは、アダムが生まれた瞬間から始まったまる一日、つまり六日目の夕日が沈んでから七日目の夕日が沈むまでの時間を、創造のみわざの記念の日「安息日」として、特別に祝福し、聖別しました(創2:2,3)。
そして、神さまはその安息日を、ただ人間との交わりのために献げられました。神さまにとって、自分の子供である人間が生まれたことはあまりにも喜ばしいことだったので、永遠にわたってその出来事を記念せずにはいられなかったのです(出31:16,17)。
ここで一つ大事なことに気付いてください。
神さまにとって、安息日は創造週の一番最後の日、七日目でした。
しかしアダムにとってみれば、安息日は自分が生まれた一番最初の日、つまり彼の人生の一日目だったんです。
生まれたばかりのアダムにとって、最も大切な時間は何だったと思いますか?
それは、自分を生んでくれた神さまと過ごす時間、彼の愛情を存分に受けるためだけの時間でした。安息日を通して、アダムは「この人が、わたしに命を与えてくださった神さまなんだ。わたしの幸せを考え、愛してくださるお方なんだ。」と知っていったのです。
これが、安息日の目的のすべてです。安息日は、わたしたちが神さまとの特別な関係をもっともっと深く知っていくための日です。神さまは、造り主としての愛と祝福を存分に注ぐためだけに、この日一日を永遠にわたってわたしたちに献げてくださったのです。
安息日はユダヤ人のためだけのものではありません。それは神さまから生まれたすべての人が必要としている時間です(マルコ2:27)。
それは、神さまご自身があなたの命を喜び祝って定められた、人間の誕生の記念日なのです。
「わたしは、彼らにわたしの安息日を与えた。これは、わたしと彼らとの間のしるしとなり、わたしが彼らを聖別する主であることを、彼らが知るためである。…
わたしの安息日を聖別して、わたしとお前たちの間のしるしとし、わたしがお前たちの神、主であることを知れ。」(エゼ20:12, 20)

執筆:山地悟
2014/04/27

2014年4月26日土曜日

マルコ1:40 デボーション

今日の聖句:マルコ1:40
さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。

重い皮膚病=ハンセン病は、罪に対する神の裁きだと信じられていました。そのため、ハンセン病患者は汚れた者と見なされ、死ぬまで隔離されました。医師にも家族にも見放されたこの人にとって、希望は一つしかありませんでした。彼はそのたった一つの希望-イエス様-にすがりつき、清められることを願い求めたのです。それは、イエス様が自分を清めたいと願っており、しかも実際にそうする力があると信じたからでした。

今日の質問:自分が救いようのない人間だと感じたことはありますか?たった1%でも救いの希望があるなら、それにすがりつきたいと思いますか?

今日の祈り:天の父なる神様、たとえ私の家族や友人が私を見捨てたとしても、あなただけは私を見捨てません。私はあなたのところに来てひざまずいて願います。御心ならば、この重く汚らわしい罪の病から、わたしを清くすることがおできになります。

もっと深く:レビ記13:45,46;ローマ7:24;ガラテヤ1:4

執筆:品末拓真
2014/04/26

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4.26(土)安息日の主


「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」(マルコ2:27, 28)

この言葉を、もう一度じっくり読んでみてください。
イエス様の言葉は、語られたファリサイ派の人たちにとってどういう意味があったんでしょうか。

「わたしが、安息日の主なんだよ。安息日は、あなたたちのために、わたしが定めた日なんだよ。」

ファリサイ派の人たちは、安息日を定めたのが誰なのかよく知っていました。
「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」(創23

つまり、創世記に出てくるすべての創り主である神さまとは、わたしのことなんだよ!
ご自分を「安息日の主」と呼ぶことによって、イエス様は彼らにそう伝えていたんです。

イエス様は、安息日の大切さを、その意味を、誰よりもよく知っていました。なぜなら安息日を定められたのは、他ならぬイエス様ご自身だったからです。安息日の中には、イエス様の人間に対する思いがぎっしりつまっていたのです。

造られたものに込められた思いを一番よく知っているのは、それを実際に造った人をおいて他にいないのです。

今週の教課は、「安息日の主」であるイエス様の視点から、安息日とイエス様との関係について学んでいきます。
どうか私たちが、安息日のうちに込められたイエス様の思いを、もっともっと深く理解することができますように。祈りながら学んでいきたいと思います。

執筆:山地悟
2014/04/26