2014年4月27日日曜日

4.27(日)安息日は、1日目。


生まれたての赤ちゃん。命が始まって間もない彼らにとって、最も大切な時間は何だと思いますか?
それは、自分を産んでくれたお母さんと過ごす時間です。僕たちすべての人間は、人生の始めに、ただお母さんからの愛情を存分に受けるための時間を必要としているのです。
その貴い交わりを通して、赤ちゃんは「あ、この人は僕を産んでくれたお母さんなんだ。僕の幸せのことを考えて、愛してくれる人なんだ。」と知っていくのです。
神さまは、6日間をかけて世界のすべてを創造されました。一日の仕事が終わるたびにその出来映えを見て満足しながら、神さまは一つ一つていねいに愛を込めて、創造のみわざを進めていかれます(創1:3-25)。
どうして神さまはそんなにうきうきしながら仕事をしていたと思いますか?それは創造のみわざのすべてが、神さまの心を最も喜ばせる、ある一つのクライマックスに向かっていたからです。
それは、人間の創造です。
アダムは、神さまご自身のかたちにかたどり、神さまの子供として創造されました(創1:26,27; ルカ3:38)。神さまは創造のみわざのクライマックスとして、つまり六日目の夕方に、最も楽しみにしていた仕事を完成させるのです(創1:31-2:1)。
命の息を吹き入れられ、初めて生きる者となったアダム(創2:7)。その開いた目に一番始めに映ったものは、自分に命を与えてくださった神さまの、優しい愛情に満ちたほほえみでした。
神さまは、アダムが生まれた瞬間から始まったまる一日、つまり六日目の夕日が沈んでから七日目の夕日が沈むまでの時間を、創造のみわざの記念の日「安息日」として、特別に祝福し、聖別しました(創2:2,3)。
そして、神さまはその安息日を、ただ人間との交わりのために献げられました。神さまにとって、自分の子供である人間が生まれたことはあまりにも喜ばしいことだったので、永遠にわたってその出来事を記念せずにはいられなかったのです(出31:16,17)。
ここで一つ大事なことに気付いてください。
神さまにとって、安息日は創造週の一番最後の日、七日目でした。
しかしアダムにとってみれば、安息日は自分が生まれた一番最初の日、つまり彼の人生の一日目だったんです。
生まれたばかりのアダムにとって、最も大切な時間は何だったと思いますか?
それは、自分を生んでくれた神さまと過ごす時間、彼の愛情を存分に受けるためだけの時間でした。安息日を通して、アダムは「この人が、わたしに命を与えてくださった神さまなんだ。わたしの幸せを考え、愛してくださるお方なんだ。」と知っていったのです。
これが、安息日の目的のすべてです。安息日は、わたしたちが神さまとの特別な関係をもっともっと深く知っていくための日です。神さまは、造り主としての愛と祝福を存分に注ぐためだけに、この日一日を永遠にわたってわたしたちに献げてくださったのです。
安息日はユダヤ人のためだけのものではありません。それは神さまから生まれたすべての人が必要としている時間です(マルコ2:27)。
それは、神さまご自身があなたの命を喜び祝って定められた、人間の誕生の記念日なのです。
「わたしは、彼らにわたしの安息日を与えた。これは、わたしと彼らとの間のしるしとなり、わたしが彼らを聖別する主であることを、彼らが知るためである。…
わたしの安息日を聖別して、わたしとお前たちの間のしるしとし、わたしがお前たちの神、主であることを知れ。」(エゼ20:12, 20)

執筆:山地悟
2014/04/27

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