2014年4月1日火曜日

4.1 (火)羊かわいそうじゃん!


 羊がかわいそうじゃん!
神様が定めた、羊を殺すいけにえの制度(創4:4;レビ1:2)。それをはじめて知った時、どんな子供でもそう思うんじゃないでしょうか。

世界で一番最初のいけにえ。それは、アダムとエバが罪を犯したすぐあとのことでした。彼らの衣を作るため、神様が自分自身の手によって動物を殺したのです(創3:21)。

神様が自分の手で殺した??そんな殺生な。
神様は動物を愛していないんですか?神様にとって人間は大事だけど羊はそんなに大事じゃないんですか?

それは神様にとってもはじめての、「殺す」という行為でした。殺すことは神様にとって異常行為だったのです。神様の唯一の喜びは、すべてつくられたものに良いもの、命を与えることであって、奪うことではないからです(詩104:27,28)。神様の品性はただ愛することだから、動物だろうが人間だろうが、僕らが幸せに生きることを望んでいるのです(マタ6:26; 1ヨハ4:8)。苦しんで死ぬことではありません(エゼ33:11)。その神様にとって、「殺す」という行為がどんなに心苦しめることなのかは、想像すらできません。

それでも、神様は罪人を滅ぼさなければいけませんでした(出34:7)。罪は、人が幸せに生きることを不可能にするからです。罪は、人に悩みと苦しみをあたえて、憎しみ合わせ、殺し合わせるからです。愛の神様にとって、ご自身の形に作られたはずの愛する人間が、罪の中で永遠に苦しみ続けるのを見ていることは、耐えられないことなのです(創6:5,6; イザ1:4-6)。だから罪人は死ななければいけないのです(創3:22,23)。それは愛が要求することです。だから神様はアダムに、罪を犯すならあなたは「必ず死んでしまう」といったのです(創2:17)。

しかし、彼は罪を犯してもすぐに死にませんでした。そのかわり、あの動物が死にました。アダムが死ななければならなかったのに、かわりに一匹の動物が、神様の手によってその日に殺されたのです。アダムの衣とするため、もう一度彼に生きるチャンスを与えるために。

動物の死がアダムに生きるチャンスを与えたのではありません(ヘブ10:4)。それはやがて来られるイエス様のことを指し示していました(ヨハ1:29; 1ペト1:18,19; 5:12)。
神様はご自分の手でイエス様のことを殺されたのです(イザ53:8)!神様はイエス様のことを愛していなかったからでしょうか?とんでもない、イエス様は神様と永遠の昔から愛に結ばれて一つだったのです(ヨハ17:21; コロ1:15)!それでも神様は、僕たち人間が死んでしまうことよりも、自分自身を自分の手で殺すことの方を選んだのです(ヨハ3:16; 1ヨハ4:9)。

羊を殺すことで神様が喜ばれるなんて、決して思わないでください(ホセ6:6)。それは、
神様がイエス様のことを喜んで殺した、というのと一緒だからです。犠牲がささげられるたびに、神様は僕たちが想像できないほどの苦しみを味わっていたんです。それでも神様は、人間にイエス様の犠牲を見つめさせ、もう一度生きるためのチャンスを与えることの方を選んだのです。

執筆:山地悟
2014/04/01

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