ユダヤ人のお祭り。もうそれはイエス様によって廃止されたんだから、さすがに僕らが知る必要はないよ。
本当にそうですか?思い出してください。旧約聖書の全ては、イエス様のことを証ししています(ヨハ5:39; ルカ24:44)。ユダヤのお祭りは、無意味なものだから廃止されたのではありません。ただそれは実体であるキリストの姿を映し出す、影のお祭りだったのです(コロ2:16,17)。
レビ記23章をよく読んで、簡単な年表にしてみてください。一年を通してのユダヤのお祭りは、イスラエルの人が神さまの働きと恵みを思い起こすために必要だっただけではなく、僕たちにとっても大きな意味があります。
「主はモーセに仰せになった」という言葉で始まる5つの大きな祝祭日(レビ23:1,9,23,26,33)。過ぎ越の祭り、初穂の捧げ物と七週の祭り(五旬祭)、ラッパの祭り、贖いの日、そして仮庵の祭り。これらはイエス様の救い主としての働きと教会の歴史を、驚くような美しさで教えているのです。
過ぎ越の祭り(出12:1-28;
レビ23:5)。イエス様は過ぎ越の祭りの日に十字架にかかりました(マタ26:17; ヨハ18:28)。彼の血によって、わたしたちは死の災いから免れ、罪の奴隷から解放されるようになったのです(エフェ1:7; ヘブ2:14,15)。
初穂の捧げ物(レビ23:10-14)。これは、死者の中から最初に復活されたイエス様を示しています(1コリ15:20)。五旬祭(レビ23:15-21)。キリストはこの日に聖霊を送り、それをうけた弟子たちの働きによって何千人という人々の魂が収穫されました(使2:1-41; 2テサ2:13)。
その後約半年にわたって続く、雨の降らない夏の期間。これは教会にとっての荒野の期間を示していました(黙12:14)。長い年月にわたって、教会は霊的に渇き、荒れ果てた状態を乗り越えなければいけなかったのです(ダニ7:25; 9:26,27; 2テサ2:2−6)。
ラッパの祭り(レビ23:24,25)。エルサレムに鳴り渡るラッパの音は、夏と乾期の終わりを告げました。そのように、イエス様の霊によって心動かされた人たちは、ラッパのようなはっきりした響きで、もう一度福音のメッセージを告げるのです(黙11:15-19; 14:6-12)。
贖いの日(レビ16章; 23:27-32)。これは、大祭司が行うもっとも厳粛な最後の働き。聖所から人々の罪を完全に消し去るための日でした。同じようにキリストも、彼を信じる人々の罪を完全に消し去るための働きを、定められたときにはじめられました(ダニ7:10,26,27; 8:14; ヘブ4:14; エフェ4:30)。
仮庵の祭り(レビ23:34-43)。大祭司の働きによって、罪を完全に取り去られた人々は、心からの喜びをもって、エジプトから導き出してくださった神さまを喜び祝いました。そのように、キリストの救いの働きが完全に成し遂げられる日、贖われた人たちは、神さまとイエス・キリストの救いを喜び祝うのです(詩27:4-6; イザ4:3-6; 黙7:9−14)。
教会の歴史は、偶然の連続で成り立ってきたのでしょうか。それとも、モーセの時代から定められていたキリストの働きの完全な計画の中で、一歩一歩導かれているのでしょうか。
今、教会はどの時を生きているでしょうか。そのことは、今日のわたしたちに何を告げていますか。
執筆:山地悟
2014/04/07
執筆:山地悟
2014/04/07
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