2014年4月8日火曜日

4.8(火)死ぬために生きてるんだ


自分はこのために生きてるんだ。
って言える人いますか?
12歳のイエス様。早い人だったら、思春期が始まるくらいの年頃。「自分はどういう人間なんだろう」「何のために生きてるんだろう」
そんな若きイエス様は、生まれて初めて、お父さんお母さんと一緒に「過ぎ越の祭り」というお祭りに参加します(ルカ2:42)。
過ぎ越の祭りは、昔神さまがイスラエルの民をエジプトから脱出させてくださった時にできたお祭りでした(出12章)。
子羊の血をみて、神さまはその家を「過ぎ越し」、命を救ってくださった。これは、ご自分の血によって人々を死から救い、罪から解放してくださる救い主を示す祭りでもあったのです。
イエス様は子供のころから、聖書のみことばを熱心に学んでいました(ルカ2:46,47)。いつも神さまに向かって大きく開かれていた彼の心に、神さまは彼の人生に対するみこころを、少しずつ示されました。
「あなたは、こういう人間なんだよ。」「あなたは、このために生きているんだよ」
初めての過ぎ越の祭りは、イエス様にとって、自分のアイデンティティを探る旅でした。祭りの間、イエス様は一緒にいた親戚とも友人とも離れて、神さまとたった一人向き合っていました(ルカ2:44,45)。
過ぎ越の儀式の一つ一つは、彼の使命を教えていました。殺される犠牲の子羊、そこから流れる血。聖書のみことばと、聖霊の声とひとつになって、それらは12歳のイエス様の心に、彼のアイデンティティをはっきりと示したはずです(イザ52:13-53:10)。
「自分は、死ぬために生きているんだ。自分は、多くの人が救われるために命をささげるよう、神さまからつかわされた子供なんだ。」(ルカ2:49; ヨハ3:16)
イエス様は一生の間、彼の人生における神さまのみこころに、忠実に従い通しました(マタ26:39; ヨハ5:19,20; 17:4)。彼は神さまを心から愛し、そして神さまも彼を心から愛していることを知っていたからです(ヨハ17:23)。
一見、死に向かっていくつらい道に見えた彼の使命の結果は、それとは比べものにならないほどの報いに満ちていました(マタ20:18,19)。彼は多くの人の命を滅びから救い、彼自身も神様によって、すべてのものにまさって偉大な者とされたのです(イザ53:11,12; フィリ2:6-11)。
あなたは、今、なんのために生きていますか。自分の生きている意味を知っていますか。あなたの人生に対する、神さまのみこころを知っていますか。
聖書の言葉を、自分に対する神さまからのメッセージとして熱心に学んでいますか。あなたの心は、いつも神さまに向かって大きく開かれていますか。家族や友人と離れて、神さまと一人向き合う時間を持っていますか。
もしそうなら、神さまはあなたに少しずつ示してくださいます(詩37:23)。「あなたは、こういう人間なんだよ。」「あなたは、このために生きているんだよ。」
もしあなたがその声に忠実で、神さまのみこころに従おうとするなら、それが一見つらい道のように見えたとしても、自分の人生が豊かに報いられたことに気付くでしょう(詩37:4-6; マル8:34,35; 10:29,30)。
あなたは多くの人の命を滅びから救い、またあなた自身も神様によって偉大な者とされるでしょう(箴11:30; エフェ2:4-6)。
神様を愛し、イエス様に従っていく人は、イエス様が受けたすべての報いを、彼と共に受けるからです(ヨハ14:23; ロマ8:17,18)。





執筆:山地悟


2014/04/08

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