2014年4月28日月曜日

4.28(月)今日、あなたがわたしの声を聞くなら…


どんなに癒し系グッズに走っても
自分の好きなことで心を満たそうとしても
すぐにまた、もとの不安と疲れにおそわれてしまう。
どうして、僕の心はこんなにもすぐつかれてしまうんだろう。
もし、神さまが今日、あなたの心に本当のいやしを与えることがとできるとしたら、あなたはそれを手に入れたいですか?
イエス様はこの地上で生活されたとき、子供のころから安息日を守っていました。その日も、彼は「いつものとおり安息日に会堂に入り」、人々とともに礼拝に参加していました(ルカ4:16)。
想像してみてください。
世界のすべてを創造し、安息日を定められたのは、イエス様でした(コロ1:16; マルコ2:27, 28)。そのイエス様ご自身が、人の安息のために定められたその日に、心に数々の疲れと重荷を背負っている人々を前にして立っておられたのです。
しかも、その日彼は偶然にも、ご自分の救い主、いやし主としての使命を説明している聖書の言葉を朗読するように任されました(ルカ4:17; イザ61:1, 2)。
その言葉を読みながら、イエス様の心は一体どんな思いに満たされていたでしょうか。
あなたを苦しめる罪の重荷から、たえずあなたをおそってくる疲れと不安と恐れから、あなたを本当にいやし、解放し、自由にしてあげることができるのは、わたししかいないんだよ(ルカ4:18, 19)!
人々に本当の安息を与えたいと熱望されたイエス様は、聖書を朗読したあとこう言わずにはおれませんでした。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(ルカ4:21)
悲しいことに、その日そこに集っていた人々は、神さまからの安息を手に入れることはありませんでした。
彼らは、イエス様の言葉を自分自身に結びつけることをしたくなかったのです。なぜならそれは、自分たちが救いと、いやしと、自由とを必要としている惨めな人間であると認めることだったからです。自分たちのプライドを打ち砕くような、こんな一人の若い大工の言葉を、彼らは信じるわけにいかなかったのです。
「このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。
だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。
けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったためです。
信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。…
今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」
(ヘブル3:19-4:3, 7)
「イエス様、わたしは今日、あなたのいやしを必要としています。」その祈りをもってキリストのもとに行く人は、彼の言葉を自分自身のものとして心に結びつける人は、誰一人として神の安息から取り残されることはありません(詩51:19)。
「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタ11:28)
今日、今、イエス様はご自分が約束された通りに、あなたに本当のいやしを与えることができます。あなたはそれを手に入れたいですか? そして、あなたはそのことを信じますか?

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