2014年4月6日日曜日

4.6(日)心に割礼


 ユダヤ人の宗教で最もユニークな儀式の一つが、「割礼」という儀式です。イエス様も赤ちゃんのときに例外なく行いました(ルカ2:21)。
それは、男の赤ちゃんのおちんちんの皮を、生まれてから八日目に切り取るというものです(レビ12:3)。

なに!?なぜ生まれたばかりの赤ん坊にそんなあわれなことを…

99歳になったアブラハムと、神さまはある契約を結びます。
アブラハムが神さまに「従って歩み、全き者と」なることを条件に、神さまはアブラハムの子孫を「ますます増やし」、彼が「多くの国民の父」となることを約束されたのです。
しかも、彼らを神さまご自身の民としてくださるという約束でした(創17:1-8)。

その契約のしるしとして、神さまご自身が定めたのが、あの「割礼」だったのです(創17:9-11)。
アブラハムの下にいる全ての男性は割礼を行わなければいけませんでした(いたた…)。そしてそれから先は、割礼を受けているか受けていないかによって、神さまの契約の民かどうかが決まるのでした(創17:1214)。

ユダヤ人にとって割礼とは、自分が神さまの民であるという大事なしるしだったのです。だから、割礼を受けているかどうかということが、彼らにとっては死活問題だったのです(使15:1)。

え、ちんちんの皮があるかないかで神さまの民かどうか決まるの?
いいえ、神さまのポイントはそこではありません(エレ9:24,25)!

「割礼を受けて主のものとなり あなたたちの心の包皮を取り去れ。」(エレ4:4
割礼は、「心の包皮」を取り去ることの象徴でした。心の包皮は、私たちの心をかたくなにします(申10:16)。心の包皮は、神さまの声を聞こえなくさせ、その声に逆らうようにさせます(使7:51)。心の包皮は、私たちの生まれながらの心、神さまの声に聞き従うことのできない罪の心を表しているのです。

アブラハム、あなたがわたしとの契約の条件、「わたしに従って歩み、全き者と」なるためには、あなたのかたくなな古い心を脱ぎ捨てなければいけないよ。
神さまがイスラエルに本当に求めていたことは、かたくなな彼らの心の包皮を切り取り、脱ぎ捨て、神さまの愛の律法に聞き従うようになることだったのです(申30:6; ロマ2:25,26)。

割礼をうけているかどうかで、イスラエルの民かどうかが区別されたように、わたしたちも、心に割礼を受けているかどうかで、神さまの民かどうかが決まります(ロマ2:28,29)。
心の包皮を切り捨て、神さまの声に聞き従う心を持っていること(1コリ7:19)。「愛の実践を伴う信仰」を持っていることが、わたしたちが神さまの民であるという唯一のしるしなのです(ロマ4:11,12; ガラ5:6)。

「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。」(ガラ6:15

わたしたちは生まれながらの古い心のままに生きているでしょうか。それとも、イエス様によって創造された、全く新しい心によって生きているでしょうか(フィリ3:3; コロ2:11-13)。

心に割礼を受けていますか?

執筆:山地悟
2014/04/06

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